「Evolution for Everyone」


Evolution for Everyone: How Darwin's Theory Can Change the Way We Think About Our Lives

Evolution for Everyone: How Darwin's Theory Can Change the Way We Think About Our Lives


これはマルチレベル淘汰論でひたすらがんばってきたDavid Sloan Wilsonによる広く一般向けの進化に関する科学啓蒙書である.表紙が「頭の上に黄金の輪があるダーウィン顔の類人猿が並んでいる」というあまりにもださい絵なのが大変残念だが,大変密度が高く面白い本である.物事に対する「進化」的な思考とはどのようなもので,どう真実と関連し,どう役に立つのかを説明し,また自分自身の研究の歴史も語ってくれている.当然ながらマルチレベル淘汰の主張およびその背景についても分かりやすい解説が収められている.大変うまく書けていて読後感もさわやかな良書だ.詳しく紹介してみたい.


最初に,進化的な考え方,それを実務として科学することの有用性と,宗教を敵視すべきではないことがふれられる.宗教の主張について,進化的にみて有用だったから現在があるのだと考えるウィルソンの主張がよく出ている.そして本書はすべての人に進化的な考え方を勧めるものだと宣言される.


まず科学は腕まくりして取り組む実務的な作業であることが力説される.
その営みの例としてはウィルソン自身によるツノグロモンシデムシの子殺しの研究(なかなかエレガントな行動生態学の実例だ)が紹介される.そのあとに(子殺しというテーマから)自然主義的誤謬の問題が取り上げられ,ウィルソンとしては価値独立を越えて,「善」はどうすれば進化するのかが現在の関心事であることを示している.そして基本は「善」同士の相互作用をどう構築するかという実務問題だという認識を示す.

ここで,リーサスモンキーの群れの中の乱暴オスの問題が取り上げられる.この性質は当該オスに利益を与えていないように見えるのだ.これはこれにかかる遺伝子がオスにいるときとメスにいるときに異なる影響を与えているらしいこと,そしてメスにおいては有利に働いていることが明らかになる.そして遺伝子効果は「平均」して捉えるべきことを主張し,通常の遺伝子視点的な説明よりこちらの方が誤解されにくいのではないかと述べている.

次にベリアエフによるキツネの人なつこさにかかる人為淘汰実験が紹介される.そしてその驚くべき特徴(人なつこさという性質を淘汰にかけると,イヌにみられるような巻尾,ブチ,垂れ耳の形態的特徴が現れる)は幼児期を長引かせるという性質が表れたと解釈すればうまく説明できるとする.さらにエムレンによるクソコガネのツノの形態進化の研究も紹介される.トンネルを防衛するためにツノは何度も独立に進化し,さらにちょっとした偶然により多様化しているし,機能的に収斂もある.
ここまでが,行動生態学,進化生物学の面白さの紹介だ.


ここからウィルソンは進化一般の特徴を説明する.
まず適応は進化的過去に対してなされていることを説明する.生まれたばかりのウミガメの子は海に向かうために走光性を持っているが,今日この性質はビーチハウスに向かう子亀を生じさせている.ウッドフロッグやミノウの環境の条件依存的な発達戦略,ヒトの脂肪への嗜好なども話題になる.

次は進化的適応の説明が「なぜなに物語」と非難されやすいことについて.至近要因がわからなくとも究極要因が推定できる場合があってもおかしくないこと,そのような「目的」の推定自体興味深い知的営みであることを,キッチン小物を例にとって説明している.最後にグールドの主張について,(グールドの研究エリアである古生物学の)化石による祖先推定だって同じように推測であることを指摘して反駁している.


ここで進化的な思考法についてまとめがある.
適応は非常にわかりやすい考え方であること,適応は善ではないが,善を得る方法として進化的思考は有用であること,生物の進化は複雑であること,進化には時間がかかり,環境とのタイムラグがさらに問題を複雑にすること,仮説・検証・仮説という知的取り組みであることなどが基本的なポイントだ.

またヒトに関して間違えやすいポイントとして,ヒトは決して特別な生物ではないこと,過去のいろいろな進化適応の影響があること,文化などの速い進化現象も生じうるが,基底には遺伝子の進化があることがあげられている.ここから本書は主に「ヒト」の進化にかかる話題が中心になる.


進化的思考で初めて捉えられる真実のリサーチの例としてトレヴァサンのつわりの研究(つわりは胎児を毒物にふれさせないための適応だというもの)オースチン橋のコウモリの研究(親コウモリは自分の赤ちゃんの鳴き声を聞き分けて憶えている)デイリーとウィルソンの殺人研究(血縁のあるなしが重大なファクターになっている)などが紹介される.マーチン・デイリーと空港であったときに,話し込んだそのあとでフライト時間になってマーゴ・ウィルソンに搭乗口へ引きずられながらも「彼等はわかっていないんだ.これは人の命がかかっているんだぜ」としゃべっていた(この研究の主張はいまだに法律の実務家にはあまり受け入れられていない)という話は印象的だ.


次は遺伝決定主義への反感について.進化の研究は行動が遺伝子に決定されているという主張だと広く誤解されていることが,アメリカで一般人に進化が受容されない原因の1つではないかとウィルソンは考えている.そして,遺伝子と環境の相互作用を,条件付戦略としてフレームに捉えれば誤解はなくなるだろうと説明している.この説明の仕方へのこだわりはウィルソンの特徴の1つだ.例としては上述のシカゴの殺人研究が使われている.そもそも進化のなんたるかがわかっていない人がなぜ進化的な研究を恐れるのか,まったく理由がないし,それが世界をよくする方法として使えるのであれば恐怖感も和らぐだろうとウィルソンは述べている.


次は「個性」の話.ガラゴの個体に個性があること,進化的には多様性の説明は難しいこと,個性は少なくとも一部は遺伝的だし,有利不利は環境依存であることが多いことなどが説明される.ヒトの個性についても情報処理傾向と考えれば説明しやすいが,それは環境により有利にも不利にもなるだろうと結んでいる.


次は「美」の話.基本は有用なものを美しいと感じるはずだということから,地形への好みなどが話題になる.当然ながら話はヒトの配偶者選択に移る.いろいろな知見を紹介しながら,ウィルソンは,ヒトは精神性や性格も含めて美を判断しているのだろうとしている.


そしてそろそろお待ちかねの道徳と宗教だ.乱暴にいうとグループより個人を大切にするのが「悪」で,グループを大切にするのが「善」だとくくる.そして歴史の中の道徳,カントの主張などもみながら,グループと個体という感覚ならウィルスの行動特性(必須物質の作成を省略して複製を早めるなど)にも善と悪があると指摘する.つまりこれは,グループ内コンフリクトとグループ間競争の問題と捉えれば,非常に即物的でかつ広範囲に使える概念だというのがウィルソンの言いたいことだ.話はバクテリア,そして粘菌と進む.粘菌の研究については詳しく紹介されている.
ここではマーギュリスによる真核生物の起源,サトマーリによる生命の起源にかかる酵素反応ネットワークの話なども取り上げられている.要するにグループ内の個体の「悪」が抑えられるとそれは新しい「個体」になるのだ.反乱抑制失敗の例としては癌が説明される.

続いて取り上げられるのは社会性昆虫.4000匹の個体をマーキング識別したシーリーの研究が紹介されている.個体は単純なルールに従っているだけでグループとしてはうまく意思決定できる仕組みが進化する過程をうまく説明してくれる.これを個別ニューロンの発火パターンとあわせて説明しているのも面白い説明の仕方だ.

そしてヒトの社会性だ.ここではヒトの進化環境では,オスのメンバー間が平等なグループ形成が通常であったことを取り上げ,それが現代社会とはかなり異質であることを指摘している.このようなグループでは反乱を抑える仕組みとして,ゴシップ,批判,あざけり,無視,罰の執行,などがあったとして,狩猟採集民の文化人類学的知見や現代の心理学的な実験を紹介している.また意図の共有がヒトでは重要であったことの傍証としてヒトの視線の重要性(白目の進化)や指さしにかかる類人猿との比較などの研究が取りあげられている.チンパンジーやオオカミのような優劣のある社会ではなくヒトの平等主義的グループでは意図の共有は重要だっただろうという主張だ.

ここでウィルソンは「笑い」と「芸術」について進化的な適応仮説を紹介・提示している.笑いはメンバー内の協力を勧めるための適応ではないかという説だ.そして行進,ダンス,音楽はやはりグループの協力を高めるための適応だと主張している.これらについてきちんとマルチレベル淘汰の条件を満たしているかどうかは考察されていないのがちょっと残念なところだ.(ちなみに著者のD. S. ウィルソン自身,本書で,マルチレベル淘汰と,ハミルトンの包括適応度理論に基づく説明は,理論的に等価であって視点の違いに過ぎないことを認めている.しかし説明の仕方としてはマルチレベル淘汰の方が誤解されにくいのだという主張は強く行っている)

さらに進んで,絵画や文学についてもグループの結束を強めたり,伝統を子孫に伝えて一体感を強めるなどの機能を通じた適応だと主張している.これらはちょっと無理筋のような気もするが,良くも悪くもこうでなくてはD. S. ウィルソンを読んだ気はしないだろう.また文学の主張については,学界にある人文科学との壁に阻まれた話が振られていてちょっと笑えるところだ.
もちろんウィルソンにかかれば言語も集団の協力を進めるための適応だ.ここではカンジやアレックスについてもふれていて,シンボル操作自体は難しくないのだが,チンパンジーやオウムで自然に生じないのは,そういう協力が有用な環境にいないからだと主張している.


次は集団で協力することが本当に有用なのかに関連するトピック.これまでの心理学的な実験によるとブレインストーミングは効率を上げないとされていたことに対して,それは適切な作業でないからではと考え,適切な課題を与えると知的作業でも協力する方が効率的であることを示したウィルソン自身の研究が紹介される.ここは結構詳しくて興味深い.


ここからは文化の進化の話題になる.そして環境に応じて似たような文化が大きく分かれていく例が紹介される.(アフリカのディンカ族とヌアー族の話で,ヌアー族は牛を飼っていて防衛のためにより強い軍隊を持つようになり,侵略的になったという)また文字のあるなしにより人の心性が大きく異なってくること,有名なアメリカ南部の文化の研究なども紹介されている.
次は宗教だ.宗教を文化進化的に捉えようとしたウィルソンの前著「Darwin's Cathedral」を執筆するに至る経緯(ウィルソンはテンプルトン財団の支援を得ている)に続いて,その内容の概要も示される.宗教の進化的な説明についてはいろいろあるのだが,ドーキンスデネットのパラサイト的な説明に対してウィルソンは適応的な説明をとりたいという.いずれにしても検証はこれからだというのは確かだ.この本ではそれぞれの宗教の教えの内容は,それぞれの宗教が広がっていった社会環境に適応していたことを調べて,それが文化が淘汰されて残ってきている実例だということを主張している.確かにジュネーブのカルビン主義の仕組みはよくできている.リーダーによる信者の搾取をどう防ぐかというところには工夫と英知が感じられる.もっとも,よくあるカルト宗教のおかしな主張についての説明はない.適応的な宗旨に変わっていかなければ泡のように消えていくだろうと言うことかもしれないが,であれば初期の成功の説明としてはパラサイト的なものにならざるを得ないのではないだろうか.ウィルソンの考えが述べられていないのは残念だ.
ウィルソンは続けて,宗教にはグループ内の横の絆を強化し,争いを抑える作用があり,それは特に役立つものであり,宗教の良さを評価すべきだと主張している.また役に立つ行動のための主張は,超自然の存在を認めなくともステルス宗教と考えて,同じように分析できるという.ここから宗旨をどのように表現しているかなどの面白い分析がなされている.ウィルソンによると成功している宗教は,いろいろな利他的行為について(深遠な教示などはせずに)即時に心理的物質的に報われることを教えているそうだ.そしてインストラクションは単純だという.ステルス宗教の例としてはアイン・ランド自由主義的主張が分析されている.ここも面白い.そして役に立つという切り口で進化的に分析すれば,実際に世の中をよくする応用にも使えるだろうと希望を述べている.文化進化の説明の最後には,宗教の次の考察候補として,国家間のダイナミズムがあると示唆し予備的な考察がなされている.


また今後のリサーチプログラムとして,ヒトの行動のデータベース化の手法も取り上げられている.これはテンプルトン財団によるカンファレンスで知り合った研究者のビープメソッドで,一定のランダム感覚で被験者に持たせたページャーか携帯にビープをならし,そのときに何をしていたか被験者にデータを記入してもらい,それを数値化するというものだ.これはまさに特定の動物の行動を記録するのと同じ視点で考えられた方法で,ウィルソンはこのメソッドについて結構入れ込んでいるようだ.これによりヒトの利他行動,性格,社会などを分析したいと語っている.


最後に読者に進化的な思考法によって,社会をよくするための研究プログラムに参加することを進めている.そして科学はエリートのためのものではなくそれは誰にでもできることだと励まし,自分のこれまでの半生を自伝風に語っている.父親は貧しい暮らしのあと有名作家になったこと.父と比べられないための職業として学者に憧れたこと,最初の結婚と挫折,生態学との出会い,原生動物のリサーチとE. O. ウィルソンに励まされたこと,熱帯調査プログラムでの開眼,(現在のパートナー)アンとの出会い,捕食者とエサのサイズの問題に取り組み数学にも取り組んだこと,利他主義とヒトに対する興味,現在の学際を越えた進化思考法の取り組みなどが語られる.ここは非常に率直で大変味があるところだ.最後に現在ビンガムトン市で進行中のビープメソッドリサーチを紹介して本書は終わっている.


最初は進化についての一般的な啓蒙から始まり,グループ内のコンフリクトとグループ間の競争の観点からいろいろな生物現象を紹介し,そしてヒトの文化と宗教を進化的に捉える話にうまくつながっている.話の中身もいかにもD. S. ウィルソンというマルチレベル淘汰関連の話もふんだんに含まれ,かつ自伝の味わいもある.中身が詰まってストーリーもあり,著者の主張もきちんと立っている良書だと推薦できる.HBESのホームページの新刊紹介で筆頭にあげられているのも頷ける本だ.





関連書籍



David Sloan Wilsonの本を見てみよう



まずはこれ,哲学者ソーバーとの共著でマルチレベル淘汰理論を扱った大著.手元にはあるが未読.

Unto Others: The Evolution and Psychology of Unselfish Behavior

Unto Others: The Evolution and Psychology of Unselfish Behavior



続いてこれは宗教を文化進化の観点から解説した本.本書で概要が語られているが,カルビン派の教えの詳しい部分がいかに当時の社会の文脈にあっているかなどが語られている.ウィルソンは成功している宗教は役に立つものであったから成功したのであり,それをリスペクトすべきだという姿勢のようだ.このあたりがドーキンスとは好対照だ.もっともこの本でも本書でも,その宗教団体以外の人や社会にとっても有益だったのかなどの実証まではされていない.このあたりについてのウィルソンとドーキンスのやりとりは,korompaさんの,http://d.hatena.ne.jp/korompa/20071108あたりに詳しい紹介がある.(宗教を巡る後半部分で彼がこのような主張をすることはよくわかるのだが,前半では引き続きマルチレベル淘汰論の擁護を執拗に行っていてなかなか興味深い.既に理論的には包括適応度理論と等価であることを認めているのだからここまで執拗に書く必要は無いような気がする.やはり30年がんばってきた執念が吹き出すのだろうか)

Darwin's Cathedral: Evolution, Religion, and the Nature of Society

Darwin's Cathedral: Evolution, Religion, and the Nature of Society




本書の中でも取り上げられている文学を進化的に考えた本.ウィルソンの著書ということではなく,編者として関わっている.いろいろな進化的な観点から書かれた文学の分析の論文を集めたアンソロジーとして出版されたもの.もともとは学部学生だったGottschall(共編者)のイリアッドの分析から始まったプロジェクト.本の発行にはいろいろ出版社や文学サイドから抵抗があったようで,本書の中で 「彼等の間での流行のポストモダニズムは,すべての主張を同様に受容するはずなのに,進化が絡むとそれを例外にするとは」と皮肉っぽく愚痴っている.未読,ちょっと気になる本だ.

The Literary Animal: Evolution And The Nature Of Narrative (Rethinking Theory)

The Literary Animal: Evolution And The Nature Of Narrative (Rethinking Theory)

  • 作者: Jonathan Gottschall,David Sloan Wilson,Edward O. Wilson
  • 出版社/メーカー: Northwestern Univ Pr
  • 発売日: 2005/12/26
  • メディア: ペーパーバック
  • 購入: 1人 クリック: 4回
  • この商品を含むブログ (2件) を見る




1980年とかなり早い頃の本.未入手,未読.

The Natural Selection of Populations and Communities

The Natural Selection of Populations and Communities