読書中 「The Stuff of Thought」 第4章 その14

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


言語に表れたヒトの心の因果の認知について

ピンカーによると,「傾向を持った主人公(agonist)に,敵対者(antagonist)が働きかけ,主人公は反応するというシナリオが,いろいろな組み合わせと結果を持つ」ということが,ほとんど(おそらくすべての)言語の因果にかかる構文を構成しているということになる.


言語に表れる7番目の特徴は,敵対者が意図を持って,受動的な主人公にもとの傾向を変えさせるというシナリオが,どの言語でも,使役形の中で最も簡単な形をとる.


これ(force dynamics)を確かめるためにウルフは,コンピュータースクリーンに物理現象を映し,被験者にそれを言語で表現させてみた.
池にあるボートを送風機が動かすときに

  1. 最初の航路からそらせたときには cause
  2. 最初の航路を後押ししたときには help
  3. 最初の航路に逆に吹き返したときには prevent

を使った.

そして同じことは社会的関係においても観察された.(道を渡ろうとする婦人と交通警官)


日本語ではどうだろうか.

  1. 送風機は船の進路を曲げた(そらした).
  2. 送風機は船が進むのを助けた
  3. 送風機は船が進むのをじゃました.

いずれも「曲げさせた」とか「曲げさしめた」とかの複雑な使役構文は使わないようだ.



ピンカーによると「因果」で問題になった.「近接した可能世界」がここに現れていることになる.つまり主人公が持っていたもともとの性質が近接した可能世界で生じていたはずのことということになる.

そして因果と単なる必要条件はこの(force dynamics)にとってはまったく異なる.「原因」は主人公のもとからの傾向を凌駕するが,「助け」や「可能にする」や「許可」はそうではない.そして(force dynamics)は直感物理学によるメタファーにも(正式な論理学より)マッチする.それは推移律のような要件を満たさなくても良いのだ.

いくつかの実験は,人々は論理的に同じものを,異なる(force dynamics)として区別することを明らかにしている.
コインが裏を出そうとしているときに直接小石を当てて表にするのと,表がでそうなときに別の人が投げてあたるはずの小石を妨害してそのまま表を出させるのでは違うのだ.前者では「Bill caused the coin land on heads」というが,後者では「Frank caused the coin land on heads」とは言わない.前者ではビルは「コイン」の成り行きを変えようとする敵対者だが,フランクは「小石」の成り行きを変える敵対者に過ぎない.


ここは日本語でも同じだ.
前者なら「ビルがコインの出目を変えた」というが.後者では「フランクがコインの出目を変えた」とはいわないだろう.「フランクはコインの出目が変わるのを防いだ」とかいう言い方になる.これはコインがもともと持っていた傾向を凌駕していないからだという説明が当てはまるだろう.(コインが直接対象でなければ「物事の成り行きを変えた」とは言えるだろう,この場合は事件のとらえ方が広くなっているのだろう)



当然ながら(force dynamics)はニュートン力学とは異なっている.(force dynamics)は単一の主人公とそれへの敵対者の存在が前提になっていて,主人公は動きや静止の内部的傾向を持つ.また運動と静止は明確に区別する.敵対者は主人公を凌駕する力を持つ.(ニュートン力学では作用と反作用は同じ)出来事は(前提無く)ただ単に生じることがある.
ピンカーはここでそういっていないが,これがいわゆる世俗物理学を構成していて,ニュートン以前にアリストテレスが(より(force dynamics)に近いために)受け入れられていた理由ということなのだろう.それにしても(force dynamics)という言葉を使っているとスターウォーズの世界に紛れ込んだような不思議な気持ちになる.


ピンカーはこのような言語に埋め込まれた物理学が,学生の物理学への理解を困難にしているといっている.
ボールを上に投げ上げたときに,上昇しているときには上向きの力がかかっていて重力より大きい,頂点で2つの力は同じになると多くの大学生はは考えてしまうのだそうだ.
そしてニュートン力学よりさらに激しくアインシュタインの理論や量子力学はこの(force dynamics)とは異なっている.ニュートン力学ですら.ラプラスの悪魔的な状況では原因も結果もないのだ.一部の哲学者は因果の概念は,キリンに向かって石を投げていた頃の遺物であり,科学的に見て時代遅れだと考えているそうだ.しかしピンカーはこう言って本節を締めている.

しかしそうであるはずがない.チャレンジャー事故の原因や,ケネディ暗殺の犯人を捜している専門家は非科学的なわけではない.
たしかに彼等はすべての粒子の位置と速度を測定してコンピュータにつなごうとはしない.それは人々が興味を持つようなスケールでは,摩擦と化学反応があり,人々の脳内でものすごい数の相互作用が生じているからだ.このような世界では,物事はそれなりの原則で動くのだ.そしてニュートン力学でこれを解析するのは不適当だ.

ここにパターンがあるのだ.物質や空間や時間の言語を説明するときに,これらは人の目的に沿っているのであり,単に測定器や時計になっているわけではないことをみた.そして因果も同じだ.因果の言語は人の意図と利害にかかわっているのだ.カントにしたがって,この問題については物理学や数学の世界にとどまるのではなく,工学や法律の世界を見てみるべきなのだ.


第4章 大気を切り裂く


(4)魅力:因果についての思考