読書中 「The Stuff of Thought」 第5章 その1

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


今日から第5章.本章はメタファーについてだ.


前振りでは,いかに言語にメタファーが浸透してるかについて,アメリカ合衆国独立宣言の一節が例にとられる.



Declaration of Independence


When in the course of human events it becomes necessary for one people to dissolve the political bands which have connected them with another, and to assume among the powers of the earth the separate and equal station to which the laws of nature and of nature's God entitle them, a decent respect to the opinions of mankind requires that they should declare the causes which impel them to the separation.

福沢諭吉
人生已(や)ムヲ得ザルノ時運ニテ,一族ノ人民,他国ノ政治ヲ離レ,物理天道ノ自然ニ従テ世界中ノ万国ト同列シ,別ニ一国ヲ建ルノ時ニ至テハ,其建国スル所以(ゆえん)ノ原因ヲ述ベ,人心ヲ察シテ之ニ布告セザルヲ得ズ.

プロジェクト杉田玄白katokt訳 © 2002 katokt
人類の歴史のなかで,ある国民と他の国民を結びつけてきた政治的なつながりを解消し,世界の国々のなかで自然の法則と神の法則が与えてくれる,独立した対等な立場をとることが必要になる場合がある.その際に人類のいろいろな意見にきちんとした敬意をはらうには,分離へと駆りたてられる原因を述べなければならないだろう.

18世紀の英語で,格調高いのでなかなか難しい.ピンカーはこの宣言によって「権力への挑戦」がそれまでの筋肉の問題から論理の問題になったと言っている.そしてこの宣言はよく見るとメタファーのつながりからできているという.もう一度読んでみてもそうは感じないが,ピンカーの説明はこうだ.


political bands によって植民地が英国に connect されている.それは dissolve されなければならず,それは separation の結果を生む.この4つは「同盟は絆」だというメタファーによっている.

つづいて impel (動かすように力をかける)にかかるメタファーがある.これは「行動の原因は力(権力)だ」という暗黙のメタファーによっている.これは類義語 propel 同語族の repel compel 同様な言葉 impetus, drive, force, push, pressure についても言えることだ.

ちょっとわかりにくいのは人類の歴史についてのメタファー course だ.これは歩いてきた経路を表している.これは「出来事の連なりは経路に沿った動きだ」というメタファーだ.


さらに語源的なところのメタファーも解説にはいる.このあたりはなかなか難解だ.

独立宣言 Declaration of Independence という名前自体が2つのメタファーの反響になっている.
declare というのはラテン語の何かを明確 clear にするという意味からきている.これは「理解することは見えることだ」というメタファーからきている.I see what you mean. などもそうだ.
independence は何かにぶら下がってはいないという意味だ.これは suspend, pendant, pendulum などに見られる.
これは「頼っているのは(物理的に)支持されている」というメタファーだ.そして「頼っているものは下にある」にもつながる.control over him, under his control, decline and fall など

さらに語源を下がっていくと,さらに抽象的な言葉の物理的なメタファーに出会う.
event はラテン語の evenire から来ている.これは「出てくる」という意味だ.
necessary は柔軟性がないという意味だ.
assume はtake up (集める,取り上げる)
station は立っている場所,そしてそれは地位 status にもつながる.
nature はラテン語の,誕生,生まれつきの性質という意味から これは prenatal. nativity, innate も同じ.
law は古代ノルマン語の何か決められたものという意味.これは道徳的義務は決められたものだというメタファーがある.
・・・

よくある文法用語にもメタファーはひそんでいる.
it: 状況は物事
in: 時間は場所
to: 意図は目的に向かった動き

of: ゲルマン語のoffを示す語から
for: 印欧語のforwardから


political ギリシア語のポリスから派生した市民のという意味のpolitesから

the, that, then,they, this: 古代印欧語の指し示す意味から



ここで日本での独立宣言に当たるものとして憲法前文をみてみよう

日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し,政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する.そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであって,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する.これは人類普遍の原理であり,この憲法は,かかる原理に基くものである.われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する.

どんなメタファーが隠れているだろうか.
日本の場合,このような硬い文章の場合にはほとんどのメタファーは漢語表現の中に織り込まれているようだ.これはちょうど英語の単語についてノルマン語やラテン語の語源の中にメタファーがひそんでいるのと同じだろう.「選挙」とか「行動」「国会」「代表者」などは語源的にはメタファーと言うことになるのだろう.和語的には「自由」が「もたらす」とか,「原理」に「基づく」というあたりにメタファーがありそうだ.「自由」は何かありがたいもので,恵みをもたらしてくれるものだとかいうことになるのだろう.




確かにこうみると言語が作られている原理として,メタファーが非常に重要な役割を示していることがわかる.ピンカーはもし文字通りにとれは独立宣言がどんなに奇妙なことを知っているかを考えてみるとよいといっている.

一部の人々は別の一部の人々にひもで連結されてぶら下がっている.何かものが流れてきて下にいる人たちはそのひもを切る.そして上にいた人たちと同じ高さに並ぶ.彼等は傍観者を見て,傍観者に何がひもを切らせたのかを示す.

そしてこのようなメタファーについて,特にメタファーなしで何も伝えられないことについて言語学者はどう言っているのか,この章では2つの対立的な見方を眺めていくことになる.


1つはそこには何も重要なことはないという立場だ.
すべての語は歴史のどこかで誰かによって作られなければならない.作成者はアイデアと音が必要だ.そして原理的にはどんな音でも良い.政治的同盟に関しての語はどんな音でもよかっただろう.しかし白紙からまったく新しい音を作るのは難しいし,聞き手がわかりやすいようにするだろう.だから覚えやすいようにメタファーを使う.そのようなメタファーのヒントが聞き手により音と意味を親しみやすくするだろう.単語のダーウィニアン的淘汰の中でメタファーを使った語は有利なのだ.そして単語は広まり,だんだんメタファーは忘れられていく.そしてそれは意味論的化石になるのだ.だから語源学者の興味の的になっても私達の認知に特に響くわけではなくなる.これを「興ざめ説」とよぼう.この説では現在あるほとんどのメタファーは死んでいて単なる化石だという立場だ.


もうひとつはヒトは具体的な経験なしには何かを考えることができないというものだ.光景や音,ものや力,行動や感情,そして文化が必要だというものだ.
それ以外のすべての考えはこの直接経験のメタファーによっている.政治的同盟と考えるのはひもや糊なしでは無理だというのだ.時間を考えるときには空間に置き換えて考えているのだ.もともと霊長類が物理的なことや社会的なことを考えることができた回路を,メタファーを使って抽象的な事柄を考えられるように拡大しているのだ.人々がメタファーを使って考えている以上,人々の考えをよく知るにはメタファーを分解することが鍵になる.人々の意見が一致しないのは,別のメタファーを使っているからだ.そして有害なインプリケーションに気づかずに使うことでトラブルを招いている.心理療法から法律,哲学,政治的な争いまで,解決には言語学的な考察が重要だ.それは「考えることはメタファーをつかむことだ」というメタファーになっている.これを「救世主説」と呼ぼう.メタファーのメタファーだ.


ピンカーの考えはこの中間のどこかにあると言うところだろうか.この2つの考え方を越えたところにメタファーにどんな興味深い問題があるというのだろうか,なかなか面白い章になりそうだ.



第5章 メタファーのメタファー