読書中 「The Stuff of Thought」 第5章 その3

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


救世主説は「考えることはメタファーだ」というメタファーのメタファーを主張する.

この場合心がどのように概念メタファーを扱っているかは重要な問題になる.本節はそれを扱っている.考え方の基本は,新しい概念はそれまで理解している概念を使った方が理解しやすいというものだ.子供は政治的同盟や学問的議論は理解できないだろうが,ゴム紐や殴り合いは理解できる.ピンカーによると「原子は太陽系だ」とか「免疫は鍵穴と鍵だ」というのは単に教育デヴァイスではないのだ.それは心がそれ以外の方法では理解できないものを理解する方法なのだということになる.


ダーウィンやウォーレスの時代から,人々はヒトの心がどうやって物理やチェスや政治などの生存繁殖に何ら関係のなさそうな抽象的概念を操作できるようになったのかを不思議に思ってきた.この謎はウォーレス自身がダーウィンとの袂を分かつ原因にもなった.そして百年後インテリジェントデザイン論にも影を投げかけている.
このピンカーの指摘はウォーレスがヒトの精神は進化によるものではないと結論づけたことを指している.その後のダーウィンのヒトと動物の感情研究や,紆余曲折のすえ進化心理学へつながる歴史をみるとこの問題は結構エポックメーキングな問題なのかもしれない.
ピンカーは概念メタファーはこの謎を解く鍵を提供するといって論を進める.


ピンカーは,過去ヒトの進化において重要だった問題,空間・時間・因果,さらに争い・植物・病気にかかるものについてのヒトの理解できる概念が,概念メタファーの土台になっていると指摘している.ヒトの知性はメタファーとその組み合わせでできているのだ.メタファーは心をいくつかの基本的概念を使ってもっと抽象的なことを理解可能になるようにしている.組み合わせを行って複雑な概念も理解可能にしているのだ.



ピンカーはこのメタファーのメタファー説の説明をつかうとフレーミングの問題が説明できると解説している..
ヒトの世界における多くの意見の不一致は,データや論理の差ではなく,問題をどのようなフレームで捉えるかに起因している.
これが「イラクを侵略する」のか「イラクを解放する」のか,「妊娠を終わらせる」のか「胎児を殺す」のか,「富を再配分する」のか「財産を没収する」のかという問題になるのだ.

いずれの論争もどのようなメタファーを用いるかを争っている.(敵対者が主人公の抵抗をねじ伏せるのか,敵対者は主人公の自由な動きを止めようとしている別の敵対者を排除するのか)
第2章の動詞の構文で見たのは,もっとも基礎的な動詞ですらフレーミングの問題があるということだ.(ペンキをその動きにまかせるのか,壁に変化を起こさせるのか)


ここで有名なトバルスキーとカーネマンのフレーミングに関する実験が紹介される.疫病が蔓延した社会で600人のうち200人を救うのか,400人を見殺しにするのかという問題だ.

「Aなら200人確実に救えるが,Bなら確率1/3でみな救えるか2/3で誰も助けられない」
「Cなら400人を見殺しにするが,Dなら確率1/3で全員死なずにすむが2/3で全員死ぬ」
と言う選択肢を与えられて,典型的にはAとDを選ぶ人が多い


ピンカーによるとこれはメタファーが異なっているのだということになる.利得のメタファーか損失のメタファーかで結論は異なる.このメタファーと,ヒトが利得より損失を重くみるという傾向が組み合わさってこの結果を生むという.


またフレーミングのアイデアが実際に使用された例も紹介されている.
都市計画家のドナルド・ショーンは「urban blight」のメタファーが,混み合った地域を病気になった植物のメタファーとしてその腐敗の広がりを止めようとする運動(1960年代の破滅的なアーバンリニューアルプロジェクト)につながったと議論している.
マイケル・ボーディンは判事たちは「毒のある樹木の果実」(違法に収集された証拠)というメタファー「教会と国家のあいだの壁」というメタファー,「ボトルネックの独占」(ディストリビューションチャネルを握っている企業)というメタファーに影響されていると述べている.
現在,アメリカでは,精神分析やビジネス書にもフレーミングの議論は使われるようになっているそうだ.



第5章 メタファーのメタファー


(2)メタファーは重要