読書中 「The Stuff of Thought」 第5章 その4

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


第3節はメタファーについての「考えることはメタファーをつかむことだ」という救世主説について


この説を世間に広めたのはジョージ・レイコフだ.レイコフは60年代にチョムスキーの弟子であり,生成意味論(generative semantics)認知言語論(cognitive linguistics)とよばれる新しい考え方を打ち出した.ピンカーによると彼は概念メタファーの世界について深い洞察により注目すべき結論を得た.それはメタファーは言語の装飾ではなく,思考の真に重要な部分なのだというものだ.曰く「私達の通常の概念システムは基本的にメタフォリカルだ」


レイコフによると,精神生活は,ほんの少ししかないメタフォリカルでないものから始まる.感覚,行動,感情など.そして連関条件付けによって,概念メタファーが獲得されていく.私達は勝者がトップになるのを見て「コントロールするものは上」を学習し,何か欲しいもののところに歩くことから「ゴールは目的地だ」,向かってくるものが時間がたつにつれて近くに寄ってくることから「時間は動くもの」を学習する.


しかしピンカーによると,この考えを推し進めると,私達は物事について真理値と論理方程式で考えるのではなく,物理世界のメタファーで考えているということになる.であればギリシア以来の西洋思想の伝統は誤解だと言うことになる.また客観的な,あるいは絶対的な真実という概念は否定されなければならない.そこには競争しているメタファーがあるだけだからだ.プラトン的実在の数学も,政治的イデオロギーも同じことだ.右翼はより厳格な父に命令されたくて,左翼は慈悲深い両親に育てられたいというわけだ.


ピンカーはアメリカの政治もメタファーの争いに過ぎなくなってしまうと皮肉たっぷりにふれている.ジョージ・W・ブッシュは「tax relief」を約束し,税は圧政であり,自分はそれを解放する英雄であり,自分に敵対するものはならず者だと主張しているのだ.民主党はこの「tax relief」のメタファーに引き込まれた.メタファーメタファーの考え方からがんばるなら,税はメンバーシップフィーであり,社会に必要なものを作る基盤だというメタファーを主張すべきだったのだ.2005年,これを主張したレイコフは民主党の救世主と目されるようになったそうだ.なかなか興味深いエピソードだ.


日本の政治状況ではこのような突飛なエピソードは考えにくい.日本の自民党民主党も広告代理店ばかりに頼らず,少しは言語学者認知科学者に教えを請うた方がいいのかもしれない.いまなら差し詰め,「道路特定財源はクラブハウス建設のためのメンバーフィー」と「特定財源は利権の巣窟,無駄使いの帝国」の争いということになるのだろうか.


ピンカーは,これまで言語が世界の知性に与えた影響の様々なものと比較してもレイコフの概念メタファーは奇抜な傑作だといっている.もしレイコフが正しければ2500年に及ぶ真実と客観性にかかる西洋思想から,ホワイトハウス民主党まですべてひっくり返してしまうことになる.


ここまでレイコフの救世主説を持ち上げておいて,ピンカーはこう留保する.

概念メタファーは言語を思考を理解する上で深いインプリケーションになると思うが,レイコフはちょっと行きすぎだ.


ピンカーはいきすぎについて2つの点から反論している.
まずレイコフの主張にみられる相対主義的な色彩(客観性の否定と論理の軽視)について


ピンカーによると,レイコフ自体は相対主義者ではなく,メタファーよらない物理世界があることを信じているし,ヒトの本性があって,世界と相互作用をしており,メタファーの基礎となる普遍的な経験をしていると考えている.しかしレイコフは論理の基礎となっている多くのメタファーは文化特異的だと考えている.


これには相対主義へのよくある反論がそのまま当てはまる.
反論その1 科学と数学がもっともうまく世界を説明できる.ドーキンスの言う「飛行機に乗る文化相対主義者は偽善者だ」という例の反論だ.
少なくともメタファーの中に真実を反映したものがあるのは間違いない.だから言語や思考がメタファーを使っているからといってそれらがくだらないと言うことにはならないのだ.メタファーは客観的な真実を表すことができる.


反論その2 相対主義者は自分の主張が嘘なのかと聞かれれば,(質問自体意味を持たないと言わずに)否定する.
これについてピンカーは手厳しい.
レイコフとジョンソンによる「Philosophy in the Fresh」の冒頭部分を引いて,ここで彼等が,認知科学の3つの発見から西洋哲学の主要部分がこれらの事実と相容れないと断言しているが,そもそもこの3つの発見自体メタファー的であることは説明しないと皮肉っている.(ちなみに3つの発見とは「心は身体にある.」「思考はほとんどが無意識だ.」「抽象的概念はほとんどメタファーだ.」)


続いては人々が実際にどうメタファーを使っているかという観点からの反論になる.



第5章 メタファーのメタファー


(3)メタファーの救世主