読書中 「The Stuff of Thought」 第5章 その7

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


メタファーが思考そのものでないとしてもいかに思考を助けているのか.そして科学におけるメタファーの使用はどう考えればいいのか.
ピンカーはここで哲学者リチャード・ボイドの考え方を紹介する.

メタファーの使用は,科学による世界の因果関係を示すことを言語を使って達成する多くの方法のうち1つだ.これらには,世界の因果や説明すべき重要性を理解できるようにする用語法の紹介,用語法の修正が含まれる.


ボイドが示唆しているのは,科学におけるメタファーは言語のボキャブラリーを埋めようとする毎日の営みと同じだということだ.テレビの上から伸びているアンテナをウサギの耳というのと同じだ.
科学者は常に英語のボキャブラリーにない新しい概念を見つける.そして名前をつけるのにメタファーを使うのだ.進化における「淘汰」地質学における「やかんの池;kettle pond」(氷河地形の一種,氷河が溶けて後退している時に,落ちたり残ったりした氷のでっかい塊が,地面にめり込んでできた窪みに,地下水からの水が溜ったもの)遺伝学における「連鎖」など.


しかしここからが重要だが,彼等はそれだけにとらわれない.
科学者がある現象を非常に深く理解したあとは,メタファーを使って,重要なところのみハイライトする.メタファーはテクニカルタームとして,その現象ともとの現象に共通する抽象的な概念となるのだ.科学者は最初から注意深く言葉を定義したりしない.まずラフに使って,現象を理解してくるにつれ,用法は精緻化するのだ.



科学におけるメタファーの使用について分析したあと,ピンカーはさらに疑問を提示する.そもそもなぜメタファーはこんなにうまくいくのか.ビッグバンやクォークのように単にわからないラベルになるのではなく真の理解をもたらせるのか.
ボイドの説明は,科学者はシステムを研究しており,良く理解しているシステムからこれから理解しようとしているシステムを説明しようとしてメタファーを使う.そしてその法則に共通点があるから理解が進むのだと.1つの法則が,太陽系と,原子の構造と,ポールに結びつけて回されるボールの挙動を説明し,別の1つの法則が生態系と,身体と,経済の類似性を説明するのだ.


そして毎日の科学の営みにおいては,そもそも当該システムが,メタファーのラベルにあるものと本質的に同じか,あるいは単に表面的な類似性だけなのかが常に議論されている.ピンカーはいくつかの例を挙げているが,コンピューターを人のこころのメタファーとして使うときに,計算や意識がどこまで同じなのか問題になっているというのはわかりやすい.



最後にレイコフが民主党でやらかしたような政治のフレームとメタファーについて解説が入る.


レイコフは自分の認知理論に基づき「フレームが真実を負かす」と主張した.そして政治的な優位者は自分の利益のためにフレームを押しつけるのだと.
これはシニカルで人を見下したような政治理論だ.一般の人はだまされやすく,政治的な議論はまともにできないということになる.メタファーは人の神経回路に焼き付けられるわけではない,いつでも試したり疑問を持つことができるし,馬鹿にすることだってできるのだ.

レイコフは税金をメンバーシップと呼び変えて減税に反対することを主張した.しかし人々の心にあるのは連邦税の一部がしょうもない使われ方をしているのではないかということだ.多くの民主党員はレイコフを単に60年代の左翼的だといってたしなめたということらしい.


ピンカーはさらにフレームはただ受け入れられるのではなく,分析され,評価されるべきだし,実際にそうなっていると主張し,それは結局科学の論争と同じだと主張している.
トヴェルスキーカーネマンの伝染病問題については,この2つのフレームは実は同じに解釈されないというのがピンカーの解釈だ.

「200人が救われる」というとき治療の効果として救われる人を指している.それは別の人たちはさらに何らかの要因によって救われうることと矛盾しない.病気は予想より軽いかもしれないし,医師は別の治療法を見つけるかもしれない.だからそれは「少なくとも200人」が救われることを暗黙のうちに意味している.「400人が死ぬ」というときには原因にかかわらずに400人死んでしまう.それは200人を超える人が救われることはないという意味になるのだ.

いかにも言語学者らしく面白い観点からの主張に思われる.


またピンカーは中身が同じフレームでもその外側に暗黙に意味する主張,政策が異なっている場合もあるだろうという.例としては.中絶を「生まれていない赤ん坊を殺す」とフレームするとき,中絶を認めるのは嬰児殺しを認めるのと道徳的に同じだと主張している.このような場合,人は暗黙に意味している一般化に対して議論することになる.


ピンカーはこの節の最後でこうまとめている.

人々は確かにフレームに影響を受ける.そしてメタファー,特に概念メタファーは論理と説得,コミュニケーションと思考の技術だ.しかしだからといって人々がメタファーの奴隷になるわけではないし,メタファーの選択が好みや洗脳によって生じるわけではない.
メタファーとは一般化なのだ.それは重要なカテゴリーの中の特定の例を包摂するものだ.
異なるメタファーが,同じ事柄を表すことができる.それは別の言葉が同じことを表せるのと同じだ.異なる文法が同じ物事を表現できる.そして異なる科学の仮説が同じデータを解釈できるのだ.そのような別の一般化と同じく,メタファーは予測をテストできるし,その長所を分析できる.そして世界にどこまで忠実か調べることができるのだ.


第5章 メタファーのメタファー


(4)メタファーの下に