読書中 「The Stuff of Thought」 第6章 その1

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


今日からは第6章.題して「名前には何があるのか」.ものの名前の話らしい.名前に個物特定のためのタグ以外のどんな問題があるというのだろう.楽しみだ.


導入部は「スティーブ」というピンカーの名前についてのとびきり楽しい蘊蓄話が詰まっている.スティーブは語源的にはギリシア語の stephanos で王冠という意味だ.
しかしピンカーによるとこの名前は最初の殉教者に現れた後長い間忘れ去られたという.ウィキペディアによるとキリスト教における最初の殉教者というのはステファノ.新約聖書の『使徒行伝』に登場するユダヤキリスト教徒(35年または36年頃没)でラテン語ではステファヌス,ギリシャ語ではステファノスないしはステパノスとも表記するということだ.そしてスティーブという名前はこれにちなんだウェンセラス王のクリスマスキャロルで歌われるだけだったそうだ.

ちなみにそのキャロルの出だしは以下の通り.
Good King Wenceslas looked out on the feast of Stephen,
When the snow lay round about, deep and crisp and even


しかしスティーブは20世紀に劇的に興隆する.1930年代にアメリカでは75番目に多い名前になり,1950年代には7番目になった.ピンカーは常に周りに大勢のスティーブがいたといろいろな逸話を書いている.本を書き始めてからはグールドやホーキンズにならびたいと熱望し,同じくグールドやローズと対談も行い,書店の本棚をさらにブディアンスキーやジョーンズとともに席巻し,さらに増え続けている,いまやマイクロソフトとアップルのCEOもスティーブ(バルマーとジョブス)なのだと進軍ラッパを吹いている.


さらに面白いのは「プロジェクトスティーブ」だ.http://www.ncseweb.org/resources/articles/3541_project_steve_2_16_2003.asp

創造論者がよく,「現在進化を受け入れていない科学者が何人もいます」というのに対して,このプロジェクトでは「そう?でも私達には進化をはっきり断言する科学者が何百人もいますよ,それもスティーブだけで」と言い返すのだ.一部は風刺として,一部はグールドへのメモリアルとして,このプロジェクトは「スティーブ オー メーター」を持っているそうだ.
ということで早速見に行ってみると現在877人が登録されている.http://www.natcenscied.org/resources/articles/meter.html


このプロジェクトはマグカップやTシャツなどのグッズも扱い,さらになんと論文まであるのだ.Annals of Improbable Research 誌に載った "The Morphology of Steve".「スティーブの形態学」このミソはこれに間に合ったスティーブ博士は共著者を劇的に増やせたということだろう.
http://www.improbable.com/airchives/paperair/volume10/v10i4/morph-steve-10-4.pdf


ピンカーによるとこのこのハイパースティービズムは20世紀後半の現象だ.チューリップやドットコムと同じで,スティーブの幸運もすぐ終わり,現在はだんだん見慣れない名前になりつつあるようだ.


そして何が名前の流行を決めているのだろうと問いかける.ここはスティーブン・レヴィットの「ヤバい経済学」をふまえてのことだろう.


スティーブという名前は最初は野暮ったい名前だったようだ.あるいは渋いいぶし銀のような男をイメージしていたということもあるようで,ボガートの映画には寡黙な男を(本名でないのに)スティーブと呼ぶ場面があるそうだ.しかしいまやゲイのスローガンに「神はアダムとイヴを作ったのではない.アダムとスティーブを作ったのだ.」などと使われるようなイメージに変わってしまったという.

日本で言うとちょうど「ひろし」とか「きよし」とか言う名前と時代背景が一致するのだろうか.いずれにせよ本章でピンカーは「名前」の持ついろいろな問題を考えていくようだ.

本章は名前についてだ.子供に名前をつけたり,もの一般に名前をつけることを考えよう.ほとんどの人にとって,子供に名前をつけるのが名付けることの唯一の経験だ.しかしOEDの50万の単語も誰かが名付けて,コミュニティに受け入れられ,現代に伝えられたのだ.これが,世界と心と社会を驚くべきやり方で巻き込んでいるのだ.これから見ていくように,慎ましい名付けるという行為の態様が,論理,意味,知識と現実の関連についての私達の理解をひっくり返した.そして別の態様は文化と社会の理解をひっくり返したのだ.


第6章 名前には何があるのか