読書中 「The Stuff of Thought」 第7章 その9

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


冒涜語のプラグマティックス(語用論)の最後.「Fuck you」の解説のあと,ピンカーはタブー語の用法の最後としてカタルシス的なものを取り上げる.カタルシス的な用法とは,突然の痛み,フラストレーション,後悔などの時に,damn, hell, shit, fuck, bugger などと口走ってしまうあれだ.これは日本語にもよく見られる.通常用いられるのは「くそっ」「チクショウ」などだろう.


この説明としてよくなされるのは「緊張を逃すため」説だ.しかしピンカーはこの説明には懐疑的だ.

これは感情の蒸気的なメタファーだ.しかしこのメタファーは感情を説明できるわけではない.神経科学者は頭の中に蒸気のパイプを発見していないのだ.また「fuck」といったからなぜ「Oh My」とか「Fiddle Dee Dee」というよりより感情エネルギーを鎮めるかも説明できない.


ピンカーは神経生理学的な説明を行う.
蒸気的な説明と違って,脳のカタルシス時の電気生理的な反応は前帯状皮質 ,あるいは認知的コンフリクトをモニターしている辺縁系の一部から発せられる.神経学者はこれを通常「エラー関連陰性電位」と呼んでいるが,身内では「くそ波動 Oh-Shit Wave」と呼んでいるそうだ.
また辺縁系の「怒り回路」も関連があるそうだ.


そしてこのことからピンカーはカタルシス型冒涜の仮説を提示する.

突然の痛みやフラストレーションは怒り回路を刺激し,それは否定的感情に関連する辺縁系の部位を活性化する.その中には強い感情やそれに結びついている言葉,特にその右半球の不愉快な感情経験にかかる概念の表現がある.防衛的な暴力の衝動は基底核での暴力への制御のセーフティを解除する,なぜなら人生最後の5秒間は慎重さはそれほど良い戦略ではないかもしれないからだ.動物はそのような衝動の瞬間には叫び声を上がることを思い出そう.おそらくネガティブな概念とその言葉の組み合わせ.反社会的行動の禁止の解除,そして突然の強い声を上げたい衝動は,普通の哺乳類的な叫び声より猥褻性で最高点に達するのだろう.(本当に痛いときには哺乳類的に声を上げるにしても)
であれば,カタルシス型冒涜は哺乳類の怒り回路と,ヒトの概念と声のルーティンのクロスワイアから生まれるのだ.


ピンカーはこの自説の難点として,状況に応じて用いられるタブー語が異なるという点を取り上げている.人々は誰か人間によって引き起こされたことに対しては asshole とののしるが,熱い鍋をつかんでしまったときや,ねずみ取りに指を挟まれたときにはそうは叫ばないというのだ.日本語では「ばっきゃろー」という語の用法に近いだろうか.


ではなぜ状況依存なのだろう.
ピンカーによるとカタルシス型冒涜は,言語学でエジャキュレーションとか反応叫びとか呼ばれるもっと大きな現象の一部だという.そして例えばaha ah boy ha hmm oh oops pooh shh uh um whoops wowなどの単語があるのだが,これらは単に叫んでしまった音を綴っているのではなくもともと意味のある言葉だったはずだというのだ.だからこれらは言語によって異なっている.どんなに流暢にフランス語をしゃべっていてもとっさに ouch と叫べばお里が知れるのだそうだ.確かに日本語を話している人がいきなりoh my といえば周りは引いてしまうだろう.


そして状況によって使われるそれぞれの意味も標準化されているそうだ.
可愛い赤ちゃんをみたときは何というか?寒いときは?すきま風が入ってくる窓の隙間を見つけたときは?リンゴに虫を見つけたときは?ナプキンを落としたときは?熱いスープで身体が温まったときは?英語話者ならそれぞれの表現を知っている.


ここは日本語ではそこまで標準化されているだろうか?順番に考えてみよう.最初は「おやまあ」でも「あらあら」でも良い感じだ,若い女性なら「きゃあ」かもしれない.2番目は「さむっ」.3番目は「うわっ」「あらっ」というところか,ショックが大きいなら「ぎゃっ」「げっ」でもいいかもしれない.ナプキンを落としたときは「おっと」だろうか.5番目は「ふーっ」「やれやれ」ということだろうか.たしかにそれぞれを別の場面で使うのは変だ.


社会学者アーヴィン・ゴフマンは,毎日の生活の批評家で,私達が実際のあるいは想像上の観客に対して使う台詞や舞台を分析している.彼によると,このパフォーマンスの目的の1つは,私達は観客に,自分が正気で合理的で,現在の状況に対して,目的を持ち知的な反応をしていることを知らしめることにあるそうだ.つまりちょっと変な行動をとっているときに,実は私は理由があってこうしているのだということを周りに知らせるために声を発しているのだということだ.


そうするとカタルシス的に使われるタブー語はこの調整の役目をしているということになる.shoot ならちょっとした嫌なことだが,fuck ならもっと重大だ.そして言葉の選択や語調によって助けを求めたり,敵対者をひるませたり,不注意な原因を作ったものに対する警告などの効用を果たすのだ.
ゴフマンは「反応叫びは,感情のほとばしりを示しているのではなく,適切に暴露を調整しているのだ」といっている.


ピンカーはこの適応的な反応叫び理論と怒り回路理論は排他的ではなく,それぞれタブー語の一面を捉えていると説明している.


第7章 テレビで言っちゃいけない7つの言葉


(4)冒涜する5つの方法