「ホモ・フロレシエンシス」

ホモ・フロレシエンシス〈上〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

ホモ・フロレシエンシス〈上〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

ホモ・フロレシエンシス〈下〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

ホモ・フロレシエンシス〈下〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)


2004年にセンセーショナルに発表された南の小島にわずか1万数千年まで生存していたホモ・エレクトゥスから派生した矮小種ホモ・フロレシエンシス.その後これに対して懐疑的な学者との間で論争が生じていると報じられている.確かにオーストラリアに4万年以上前にホモ・サピエンスが渡っているなかでこのようなことが可能なのだろうかと第一報を聞いたときには感じたものだ.本書はその発見者(及びサイエンスライター)による記録と主張であり,ホモ・フロレシエンシスに興味のある人にはまさに待ち望まれた本だと言える.


本書は筆者がまずどうしてインドネシアの化石に興味を覚えるようになったのかから始まり,発掘物語,その学術的な解釈,さらに人類化石発見を巡る確執の人間ドラマが綴られている.


冒頭はフローレス島の様々な側面について紀行文的に語られるところから始まる.この島が面白いのはまさにウォーレス線の東側にあり,簡単に陸生動物はアジアから渡れない位置にあり,アジアからオーストラリアへの拡散ルートの1つの可能性も持っているという生物地理的に興味深い特徴を持つところにある.そしてこれまで旧石器時代の石器が発見されており,ホモ・エレクトゥスがゾウやオオトカゲと並んでたどり着いているらしいのだ.だからかなり隔絶した環境で数十万年間・エレクトゥスがここで進化した可能性は十分あることがわかる.


本書は続いて発掘物語にはいる.現地での調査の難しさや面白さ,作業の特殊性などがいろいろ語られて楽しい物語だ.その片側でこれから始まる科学論争の基礎知識講座もさりげなく解説されている.ウォーレス線の意義,プレートテクトニクスから見た東南アジア,古気候,年代測定法,ホモ・サピエンスを巡る単一起源説と多地域説,農耕・言語から見る現生人類の歴史などだ.


そしていよいよ問題の化石の登場だ.小さな初期人類の化石が発掘される.頭蓋は小さくアウストラロピテクスなみだ.ここで人類化石を巡る様々な考え方や知見が述べられる.最初に化石を調べたピーター・ブラウンはホモ属ではないという意見だったが,著者モーウッドはホモだという意見に傾く.ここでこれまで発見された初期人類の化石のあらましが説明される.著者はドマニシ化石を重視しているようで,今回発見された化石人類はエレクトゥスから派生したものですらなく,その前にさらに古いハビリス的な人類がアジアに広がったのではないか(そしてその共通祖先からジャワのエレクトゥス,フロレシエンシスなどが派生した)と考えているようだ.


ここで信じられないほど新しい年代測定値(1万8千年前)がわかる.このときの知的な興奮振りはよくわかる.著者は生物地理学における島の法則,特にホモ・サピエンスを含む捕食者の存在にかかる身体の大きさの法則を説明する.島では捕食者がいなければ身体は小さくなり,いれば大きいままだということがこのフローレス島におけるステゴドンからもわかるのだという.するとエレクトゥス(あるいはハビリス)が島に渡来して,かつサピエンスの渡来前,何十万年も生活するうちに小さくなっていくことは十分あり得るし,ホモ・サピエンスのオーストラリア渡来ルートが北回りでフローレス島への到着が比較的最近なら,1万数千年前という時代まで矮小化した人類が島に生存し続けたことはあり得るだろう.著者は発見された化石が矮小化進化をした初期人類だという方向にチームをまとめ,ネイチャーに発表することに漕ぎつけるのだ.


発見後は世界のメディアの反響と,化石を巡る政治的な状況,特にインドネシア人類学者の大物ヤコブ教授との化石の占有を巡る争いが描かれる.人類化石にはよくあるみにくい光景だ.アン・ギボンズの「最初のヒト」あたりに比べるとまだ穏やかな方だが,どうしても研究材料が特定されていて,掛け金が高いとこうなってしまうのだろう.本書ではヤコブは決定的に悪者に描かれているが,この対立の元には欧米と旧植民地アジアの間の知的発見にかかる南北問題があるらしい.巻末に馬場悠男教授による中立的な解説があるのがちょっとほっとさせられる.
そしてホモ・フロレシエンシスの実在を巡る学術的な論争も本書のポイントの1つだ.しかしホモ・フロレシエンシスの実在を否定し,小頭症のホモ・サピエンスだとしてがんばっている学者の多くは,実は現生人類多地域進化説支持者であることが明らかにされる.彼等にとってはとても都合の悪い化石なのだ.多地域進化説擁護のための主張だとしたらこれはかなり筋悪の議論だろう.


とにもかくにも発見者による本書はホモ・フロレシエンシスに興味のある人にとっては必読本だろう.もちろん論争の当事者なのだから自説に有利なことを主に取り上げているが,その根拠についても詳しく述べられているので,読者は自分でいろいろと考えることができる.


私の受け止め方は本書における主張についてかなり肯定的だ.もう一度掲載されている化石の写真をよく見ると素人目にもこれがホモ・サピエンスとまるで異なり,エレクトゥスに近い特徴があることがわかる.特におとがいが発達していないこと,眼窩上の隆起などでそれが顕著だ.また頭蓋以外では12体にもわたる同一の特徴を持つ骨の化石が発見されている.エレクトゥスはジャワ島にまでは達しており,石器からはフローレス島に渡っていることがほぼ明らかだ.何十万年という時間は矮小化が生じるには十分であり,サピエンスが最近までフローレス島に渡来していなかったなら1万8千年前のフロレシエンシスの存在がありそうもないと考える理由はないだろう.論争は続いているようだが,もう一体頭蓋(の一部でも)化石が発見されれば,決着がつくだろうという強い印象を持った.




関連書籍


原書のコリンズ版(もともとは「The Discovery of the Hobbit」という題でオーストラリアで出版されたらしい)

A New Human: The Startling Discovery and Strange Story of the

A New Human: The Startling Discovery and Strange Story of the "Hobbits" of Flores, Indonesia




人類学者の激しい確執ならこの本.

最初のヒト

最初のヒト

私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071025



2008/7/6追記


ビジュアル版人類進化大全

ビジュアル版人類進化大全

  • 作者: クリス・ストリンガー,ピーター・アンドリュース,馬場悠男,道方しのぶ
  • 出版社/メーカー: 悠書館
  • 発売日: 2008/04/11
  • メディア: ハードカバー
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書店で「人類進化大全」を手に取る機会があった.
クリス・ストリンガーによるこの本でもホモ・フロレシエンシスが取り上げられている.基本的にはフロレシエンシスはエレクトゥス近縁のホモだという主張に賛同のようだ.ぱらぱらとめくってみただけだがなかなかうまく人類進化をまとめているようだ.ちょっと高価(ビジュアル版とはいえ240ページで12600円)なのが残念.