読書中 「The Stuff of Thought」 第8章 その3

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


ピンカーが次に取り上げる間接スピーチは「礼儀正しさ」だ.
「礼儀正しさ」は,ピンカーによると,聞き手が嫌悪感を持つようなことを何とかして避けようとする話し手の調整のことを言うのだそうだ.


そして礼儀正しさに関する人類学者ペネローペ・ブラウンとスティーブン・レビンソンの議論を紹介する.それは人々は曖昧で,かつ活力に満ちた「体面」というものを保とうといつも心配しているというものだ.ブラウンとレビンソンはそれを2つにわけ.「正の体面」(認められたいという欲望)と「負の体面」(妨げられない,あるいは自由でありたいという欲望)に区分した.この用語法はピンカーも言うようにわかりにくい.なぜ妨げられたくないことが負の体面なのだろう?


ともかくピンカーはこれはヒトの社会生活の2面性をよく現していると評している.これは団結と地位,連結と自主,共有と代理,親密と力,共有と権威順位などの2分法とおなじなのだそうだ.引き続き正負の部分はよくわからないのだが,このあとの解説はとりあえずそこにこだわらなくとも理解可能だ.


ブラウンとレビンソンの議論の核心は以下の通りだ.

難しいのはほとんどの発話は聞き手の体面になにがしかの脅威を与えるというところだ.話を始めると言うこと自体,聞き手の時間と注意を要求する.さらにまるで,話し手は聞き手をこき使う権利があると感じてでもいるように,聞き手の地位や自律に緊急の脅威を与えるのだ.聞き手が拒否するかもしれないことを要求すると,聞き手は利己的だと評価されかねない.何かを言うことは,そもそも聞き手は無知だと言っていることにもなる.さらに,批判,自慢,介入,爆発,悪い知らせ,争いの元を切り出す,このすべてが聞き手の体面を直接痛めつけることができる.見知らぬ人への最初の一言が謝罪であるのは驚きでも何でもないのだ.「すみません」

しかし人生には話しかけなければならない場面がある.だからこの問題の解決としてヒトは礼儀正しく婉曲的にしゃべるのだ.話し手は,言葉を砂糖のコーティングでくるみ,聞き手の自律性について気を配っていることを伝える.


最初の仕掛けは「聞き手が自分で欲していることを話し手も欲しているかのように装うこと」だという.


例:相手の幸運を祈る挨拶.「Good Morning」,相手の健康に対する偽りの気遣い「ご機嫌いかが」,お世辞「いいセーターですね」,聞き手の需要への推定「空腹ではありませんか」,健全だが中身のないアドバイス「気をつけて」,同意せざるを得ない意見の表明「お天気の話題」


このあたりは日本語でもほぼ同じだ.もっとも最初の挨拶は日本語では「おはようございます」「こんにちは」などだから特に相手の幸運を願っているわけではない.相手の幸運を願うような挨拶や定例文というのはあまりないような気がする.ビジネス文書でも「(季節の挨拶のあと)貴社におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます.」みたいなことで,お祝いをいうことはあっても願ったりはしないようだ.日本ではそれはやや僭越にとられるということだろうか.(乾杯の時の発声にはあるが,あれはみんなで同じことを願っているのだから僭越ではないのだろう.)


次は偽りの賛辞を一歩進めた偽りの団結.
例:友よ,兄弟達よ(日本語ではこういう呼びかけは少ない気がする.私の場合『友よ』で最初に頭に浮かぶのはドラえもんジャイアンだったりする.語彙も英語の方が遙かに多いようだ.friend, mate, buddy, pal, honey, dear, luv, brother, guys, fellas ),仲間内だけのスラングを使い,同じ仲間であることを強調する.「Two bucks 貸してくれ」,同じプランに引き入れようとする.「もう一杯いこう.Let's have another beer.」,聞き手の同意を求める.「しってるだろう you know?」 自分の意見をヘッジする.「みたいな,かんじの」相手が詳しいことを認める「ご存じのように you know, 」,そしてまるで質問であるかのように話して,相手の意見を確認する.


ここで紹介されるのは,日本でも若い人の気になるしゃべり方として一時話題になった語尾あげ語法だ.これはアメリカにも同じものがあるらしい.ピンカーによるとこれは一種の「礼儀正しさ」の反射から始まったということになるらしい.

これらは若い人たち,あるいはカリフォルニアの人にみられる話し方の特徴だ.(特にロスの若い女性達valley girlsの話し方とされる)しかしこれは他の人々に急速に広がった.1993年にジャーナリストのジェイムス・ゴルマンはこう書いた.
「私も昔は普通にしゃべっていたものだ.断言もできたし,要求も質問もできた.で,教え始めた.大学で? そして生徒達はこの語尾を上げるような話し方をした? それは電話で特にはっきりわかった.「ハロー? ゴルマン教授? こちらはアルバート? 」
この話し方が風邪のようにうつりやすいものだとはしらなかった.しかしまもなく,私は自分の話し方がジキルとハイドのように変わっていくのに気づいた.それは自分で伝言メッセージを残したときに気づいた.「私はゴルマン? クリンゴンについて調べてる? 」私は知らないうちに語尾を上げるようになっていたのだ.私はまったくたまげた?」

いまやこれはアメリカ英語の標準的なしゃべりかたになりつつあるそうだ.ピンカーは,それはアイルランド語,英語の一部,南部アメリカ方言では数世紀前から生じていたことでもあり,この語尾上げの進行は,言語の歴史的変化を,特に明確な理由から始まったものが単なる慣習になっていくのを直接目撃できるまれなケースでもあるとコメントしている.
日本でも定着するのだろうか,一時より減っている気もするがどうだろう.個人的にはべたべたの互いにもたれかけあっているのが快適な関係以外では嫌な感じだと思うのだが慣れるとそうでもないのだろうか.



そしてさらに進んだものが口先の敬意(ブラウンによると負の礼儀正しさ)だ.
特に命令や要求を行うときには,相手の体面がもっともリスクにさらされるので,卑屈な感じとともになされる.

例:
  要求というより質問:あなたの車をお貸しいただけますか?
  悲観的な見通しを表現:あなたは窓を閉めてくださるとは思っておりません(が)
  要求をヘッジ:窓を閉めて,もしできるなら
  要求の不当さを極小化:私はただちょっとだけ紙をお借りしたいのです.(お金ということか?)
  ためらい:えー,自転車を,あのー,貸してくれませんか
  侵害を認める:お忙しいことはわかっているのですが,
  謝罪:お手間を取らせて申し訳ありませんが,
  人格の希薄化:喫煙は禁じられています.
  債務を認める:もし・・・をしていただけたら,永遠にあなたに感謝します.


そしてこれは当然ながら聞き手の体面への脅威レベルに対して調整される.要求の大きさ,相手との社会的関係,力・地位の差などによって変わるわけだ.
レベルを間違うと異常にへつらっているように聞こえる.


このあとピンカーはこの礼儀正しさのレベル調整が最もよくわかる例として相手への呼びかけについて解説する.


第8章 人が行うゲーム


(2)敏感に,敏感に:礼儀正しさの論理