読書中 「The Stuff of Thought」 第8章 その11

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


間接スピーチの謎解きのためピンカーは進化社会心理学の領域に.そしてユニバーサルなヒトの関係タイプとして「共有」「権威」「交換」を見てきた.


これらはユニバーサルだが,ある特定の状況でどれが適用されるかは文化により異なっている.ピンカーはいろいろな例を挙げている.

西洋文化では,土地を売買するが,賄賂として女性の婚約を整えたりはしない.別の文化では逆になる.
現在のアメリカのオフィスのボスは雇用者の給料とオフィススペースをコントロールできる.しかし勝手にものや妻をとったりはできない.でも別の時代,別の場所では領主には初夜権があったのだ.
アメリカのディナーパーティの客はディナーのあと財布を取り出したて金を支払おうとすべきではない.また翌日にあからさまにお返しをしてもいけない.しかし多くの文化では,私達がクリスマスカードを交換するようにそれは期待されている.


このような期待に反すると感情が大きく動くことがある.私達は結局のところ,リソースやパワーについて文化が認めた方式に沿って取り扱っているのだ.食べたいだけ食べる大食はある文化のある文脈では特権だが,別の文化では窃盗になる.周りのものに命令することはある状況のある仕事では義務だが,別の場所では強要罪になる.


ピンカーはこのようなミスマッチは「決まりの悪さ:awkwardness」という感情を引き起こし,そのイベントは「へま:gaffes」「失態,不品行:faux pas」と呼ばれると解説している.確かに期待される行動をしくじったときには恥ずかしいものだ.


さらにピンカーはもしミスマッチが一回限りではなく,仕組まれたものや長いものであれば,引き起こされる感情は,きまりの悪さから,道徳的非難,糾弾にエスカレートすると解説する.面と向かって意図的に期待に反した行動をとられれば,それはあからさまな侮辱でありうるわけであり,そうなるだろう.さらにピンカーは子供を売る母,生徒に次々と性的関係を迫る教師,利益を得るために友人を売る人などは軽蔑を越えて取り扱われるといい,これはタブーの感覚なのだと説明している.つまり適切でない「関係」を「考える」だけで非難されることになる.


だから「ソフィーの選択」や「幸福の条件」で,考えてはいけない選択を主人公が迫られているきに,私達は釘付けになってしまうのだ.
またリラックスした状況ではそれはユーモアになる.ピンカーはいくつか例を挙げている.

男が女に向かって言う「100万ドル払ったらセックスしてくれるかい」「うーん,良いかもね」「100ドルでセックスしてくれるかい」「私をどんな女だと思ってるのよ」「もう僕たちはそういう関係を樹立したじゃないか.いまは値段を交渉してるだけだよ」


ピンカーはここまで解説した上で高級レストランの支配人の買収問題に戻る.
冷や汗をかきながらレストランの支配人を買収しようとしたライターが正直な支配人を前にしているのなら,彼は「権威」(客と支配人の間での通常の関係)と「交換」(席にかかる売買)の間のミスマッチを生じさせようとしているのだ.だからフェイラーは道徳的な罪悪感でないにしても「きまりの悪さ」を感じるのだ.
間接スピーチにより彼は表面上「権威」関係にとどまれる.「キャンセルがあるかもと思っているのだが」


ピンカーは性的な誘いも同じだとしてマトリクスを提示する.

    その気のあるパートナー   その気のないパートナー
何も言わない   握手   握手
セックスしたい   セックス   ワインを浴びせかけられる
部屋へ上がって絵を見ていかない?   セックス   握手


なぜマイケルは単にきまりが悪いだけでなくワインを浴びせかけられるのかについてもピンカーは補足している.

お互いにコミットした恋愛は「共有」関係だが,これから入ろうとするセックスの関係は,短期的な性的関係にかかる男性側の需要の大きさから「交換」関係の要素を持っている.魅力ある女性は将来的なパートナーから特別の注目と優しさを期待し,彼の望ましさ特に地位に関してかなり高い基準を持つ.ジュリーは魅力的な売り出し中の女優でマイケルは彼女に好意を寄せる名も無き若者に過ぎない.彼の「さあおいで」はミスマッチだけでなく,彼女の「体面」に対する脅威でもあるのだ.彼女は自分の性的なマーケットにおける売り手の地位を守ることを強いられるのだ.


また大きな寄付パーティでの間接スピーチも解説されている.これは日本ではあまりない状況で興味深い.(もっとも私が知らないだけかもしれないが,いずれにせよ頻度は日本の方が少ないだろう)
寄付パーティでは「友情」のオーラが重要で,最後に寄付を募る瞬間が最高にデリケートな一瞬らしい.

「the ask」と彼等が呼ぶその瞬間は,繊細に表現され,「リーダー」,「友情」,利他的な響きのする「贈り物」などが繰り返し指摘される.この取引のシニカルの表現はタブーだ.たとえば「大学は命名権,名声,友情の幻影を売っているのだ」など.共有のオーラを保つために,交換はほのめかされるだけだ.事実を表す表現は「私達はあなたたちだ」というステージでは伏せられる.そして礼儀正しく,パーティはよき友人同士のように終わるのだ.


最後は脅迫の間接スピーチ.
脅迫者は直接スピーチでは逮捕されてしまう.しかし通常の脅迫者はさらに被脅迫者に公然と反抗されると脅しがブラフだったことが見破られるかもしれないというリスクを持っているのだとピンカーは解説する.ブラフでなくとも脅迫を実行するような状況に追い込まれるのが脅迫者にとってコストであれば同じことになるだろう.
そして間接スピーチは単に逮捕を逃れるだけでなく,非脅迫者が反抗したときに自分の脅迫者としての信用を落とさずに撤退戦略をとる選択肢を可能にするところに意義があるのだという.


ピンカーは言語学者らしく,英語ではこのような脅しには未来形がよく使われると指摘している.未来形は自分の意図を表すと同時に単に将来のことを予測したのだとも言い張れるというのだ.日本語だとこうはならないだろう.しかし将来の予測という表現で十分に脅しになると思われる.


ピンカーはもっとも巧妙な例としてゴッドファーザーパート2をあげている.

フランクはマイケル・コルレオーネに不利な証言をしようとしており,FBIに隔離されていてマイケルからのメッセージを受け取れなかった.マイケルはシシリーから連れてこられたフランクの弟とともにまさに証言しようとしたフランクの前の傍聴席に現れた.トムは説明する「彼は自分の兄貴の苦境を助けるために旅費自分持ちでとんできたんだよ.」フランクは証言を止める.


確かに巧妙だが,この場合マイケル・コルレオーネは眉毛も動かさずにフランクの弟を殺すことができるわけで,ブラフというわけではないだろう.フランクが公然と反抗することがリスクとして考慮されているとは思えない.むしろメッセージを直接伝えると処罰されるリスクが問題なのだろう.


ピンカーは1950年代の大学の寮内でゲイ同士がトイレで使った足の動かし方のパターンのサイン(相手がゲイでなければ足が触れても「失礼」で済む.)を紹介してこう締めくくっている.

この言い逃れの巧妙さは言外の意に社会的知能のすべてがつぎ込まれており,単に言語解釈だけに使われるにとどまらないことを示している.

第8章 人が行うゲーム


(4)分配,地位,取引:関係に関しての思考