「17年と13年だけ大発生? 素数ゼミの秘密に迫る!」




まじめな本にしてはちょっとださい題名(特に?と!)だが,これは出版社(ソフトバンククリエイティブ)のカラーというものだろう.3年ほど前に「素数ゼミの謎 」という小中学生向けの本で,北米大陸に生息する13年,17年の周期をもって発生するセミの謎を丁寧なイラスト群とともに解説した数理生態学者 吉村仁による,より「大人」向けの一冊というふれこみの本だ.


本書の構成は最初に「素数ゼミ」*1のあらましを説明し,著者による氷河期のレフュージアでの交尾確率と交雑確率の最適化による進化という仮説を提示する.ここまでは前著をより詳しく丁寧に述べたところだ.後半は2007年の米国中西部への採集旅行の顛末,全部で7種いる素数ゼミの進化・分岐過程の仮説,昆虫の単位面積あたりの多様性についての東アジアと北米の差,メスの選択による種分化などを解説している.


前半部分の素数周期の進化の説明は説得的だ.氷河時代のレフュージアでは特に交尾相手を見つけることが強い淘汰圧となっていて何らかの形で同じ周期性を持ち,分散せずに集中する性質が進化した.その後似たような年数の周期のセミのグループの中で(セミはもともと積算温度で羽化するので寒いときには一定の年数が必要になる)交雑を避けることに強い淘汰圧がかかり,その結果数理的に素数周期を持つものが有利になった.さらにいったん頻度が傾くと正のフィードバックがかかり(頻度が少ない方はより交雑によるコストが高くなる)素数ゼミのみ残ったというものだ.


この素数周期を持つセミの適応的な説明としては(いつどこで読んだのかは思い出せないが)対捕食者戦略として説明されることが多い.素数周期で大発生すれば,それに特化した周期性を持つ捕食者が進化しにくく,大発生の時は数の多さで捕食を逃れられるという説明だ.本書ではこの対立仮説を取り上げて比較検討していない.これは大変残念なところだ.(全般的に本書は仮説について断定的に説明するスタイルとしている.一般向け書物ということでこうなっているのだろうが,もう少し仮説とそう考える根拠という提示の仕方をとってもよかったのではないかと思う)しかし本書を読んだあとよく考えると,このようなセミ北米大陸でのみ進化していること,北米のこのセミも大きな地域で発生年度がそろっているわけではなく,かなり近い地域でずれた発生群(ブルードと呼ぶらしい)が隣接していることなどは対捕食者戦略では説明が難しいように思える.


後半はまとまり無くいろいろな話が出てきており,玉石混淆という印象だ.
米国中西部の採集旅行の話は,臨場感あふれ,ナチュラリスト的で純粋に楽しい.スイッチの音でオスのセミをおびきよせる米国研究者の話も愉快だし,著者の今後の遺伝子分析のための標本採集の意気込みも感じられる.
7種のセミの進化分岐過程の説明は整理不足のように思う.新種ネオトレデシムの進化についての仮説は面白いのだが,全体の分岐過程の部分は記述が混乱気味だ.特に最後の最後でふれられる17年と13年の周期が先に分岐し,その後にそれぞれのデシム,デキュラ,カッシーニに分かれるという仮説については理解できない.いずれにせよ今後遺伝子分析の結果もっとすっきり結論が出されるだろう.
またある狭い17年周期地域,あるいは13年周期地域においては,それぞれのデシム,デキュラ,カッシーニの3種は同じブルードを形成して同じ年に大発生するのだが,これがなぜなのかについて解説されていない.交雑回避ならむしろずれた方が良いわけで,ここについては対捕食者戦略という説明が妥当するように思えるのだが,コメントがないのは残念なところだ.(前著では対捕食者の効果についても,周期が進化した後の効果として少しコメントされているだけに残念に思う)


昆虫の多様性が,氷河が北に下がっていくときの障害地形の有無によるという話は興味深い.ただ,数万年というタイムスパンに対してパナマ地峡とメキシコの砂漠がそれほど決定的な障害となったのかということについてはちょっと疑問だ.
残念なのはメスの選択についての部分だ.本書の主張にとっては他種との交雑回避のための仕組みだけに絞って解説してれば十分だと思われるが,同種内の配偶者選択の話があまり整理されないまま混入していて,さらに脱線気味に竹内久美子的な言説まで飛び出しているのはいただけない.とはいっても,そこに目をつぶれば,一連の説明によって日本のセミそしてコオロギやウマオイがいろいろな特徴ある鳴き声をしているのは長い進化歴史的な背景があることがわかったりして読み物としてはなかなかいい構成だ.(アメリカ人は一般にセミについて無知だというのも頷ける)


こうあれかしということでちょっと辛口のコメントをしたが,全体としてイラストがふんだんに掲載されていて大変楽しい知的読み物に仕上がっていると思う.遺伝子解析の結果を含めて2年後ぐらいに改訂されればと希望を述べておきたい.



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素数ゼミの謎

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同じ著書による小中学生向けの本.イラスト豊富で,一般書籍と絵本の中間のような出来だ.

*1:この「素数ゼミ」という用語は著者による創作らしい.英語ではperiodical cicada,通常は周期ゼミと訳されるのだそうだ