読書中 「The Stuff of Thought」 第8章 その12

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


ヒトはなぜ間接スピーチをするのか.ピンカーの説明は,礼儀正しさと親密さ,そして利害が異なる2者間のゲーム的状況にすすみ,さらにヒトの「関係」間のミスマッチを避けるための工夫だと言うところまで来た.


しかしまだ謎は残っている.オフレコとオンレコがもたらす心理的な重要性だ.なぜ,互いの意図がわかっていて,かつ言外の意味が明白であるときにも間接的な言い方をするのだろう.賄賂を受け取るレストランの支配人は客が取引をはっきり持ちかけたら何かまずいことがあるのだろうか?なぜ寄付をしようとしている人は心の中に思っていることを表現されたら寄付を引っ込めてしまうのだろうか?なぜ性的な誘いははっきり持ちかけられると嫌な感じがするのだろう?


ピンカーは思考実験として面白いスキットを用意している.

ハリーはサリーに1時間前に出会った.彼は彼女の容姿に関して間接の程度を間違って表現する.そしてサリーはそれをなじるのだ.

ハリー:なんだって,男性は,女性に魅力的だねということを,カモンという意味なしで言えないはずだって.わかった,わかった.じゃあ議論のためにいうよ,あれはカモンだった.それでどうして欲しいんだい.いまは元に戻ったよ,それで良いね,さっきに戻ったから.
サリー:駄目よ.元には戻れないわ.
ハリー:なんでさ.
サリー:だってもう言っちゃったんだもの.Because it's already out there.
ハリー:なんてこった.じゃあどうすれば良いんだい.警官でも呼ぶかい.そこにいるぜ.It's already out there.


ここで「もう言っちゃったから」とか「元に戻れない」というのは何を意味しているのだろう.ピンカーは,それはある関係(男と女は友達)を続けながら別の関係タイプから得られる利益(性的快楽)を持ち逃げしようとしている場合に,感情を直接表現すると物事に違いが生じるのだと説明している.そして間接スピーチならこの持ち逃げを可能にするのはなぜなのかと設問をはっきりさせる.


ピンカーはこの問題は自分にもよくわからないと認め,いくつかのヒントを提示するにとどめている.


<屈服のサイン>
間接スピーチを使うことにより,話し手は聞き手に,聞き手の権威や感情や体面を守ろうとしていると信号を送ることになる.これを感じることが聞き手を好意的にさせる.率直な物言いは効率的でありそのような配慮を伝えない.


<しゃべらないで,見せて>
共有の関係は言語で交渉するものではなく,儀式や饗宴や接触などの物理的なサインで神聖化されるものだ.関係を言葉で表現するという行為自体が,それが共有関係ではないということを示している.


<仮想的聴衆>
話し手と聞き手は,背景も癖も知っていて,間接スピーチの互いの意図をすべてわかっているかもしれない.しかしそこで立ち聞きしている第三者はそのような知識はなく,文字通りに意味をとるかもしれない.この考えを進めると,もしかしたら漏れるかもしれない可能性を常に気にして私達はしゃべっていると言うことになる.


<呪文を保つ>
話し手と聞き手の間の公的な関係は,観劇したり,プラネタリウムに座っていたりするような楽しい幻想だ.この幻想を間接スピーチは保てるが,直接的な物言いはぶちこわしにする.この理屈では,自分自身は自己欺瞞のために分割されていて,片方にとって信じられなくとも,もう片方の自分は否定可能性を信じることができると言うことになる.


<焦点としての確実性>
関係タイプは完全に独立してほかと違う相互作用のモードだ.そしてひと組の参加者にとってある関係タイプから別の関係タイプにスイッチするのは結構大きなことだ.そしてそれはタンゴを踊るようなもので,両者がタイミングをそろえて切り替えなければならない.その閾値は関係タイプを交渉できないのと同じでオープンには交渉できない.だからそれは声に出さずに展開させなければならない.
直接的にしゃべれば確かに線の向こう側に落ちる.そしてそれと連続した注釈の違いの差はそこだ.否定可能性はきわめて低くとも(1%や0.1%でも)ゼロでない限り,彼女はそこで決めなくとも良いのだ.


そしてピンカーはお気に入りの考え方を最後に提示している.


<双方共通の知識>
ある女性が,男性の絵を見に来ないかという誘いを断ったとしよう.彼女は彼女が相当確実におそらくはセックスの誘いだったものを断ったことを知っている.そして彼は彼女が断ったことを知っている.しかし彼は,彼女が彼が知っていることを知っていることを知っているのか?
もし,あなたが,私がセックスに誘って断られたことを知っていて,私が,私がセックスに誘って断られたことを知っているだけなら,私達はそれがなかったことにしてこれからも友達でいられる.しかし私が,あなたがそれを知っていることを知っていて,あなたもそうなら,もはや見え透いた友情ゲームは保てないのだ.


この互いに知っていることを知っていることを・・・・という再帰的な知識(学者が共有知識,共通の立場などと呼ぶ状況)は確実性を持ち得ない.これは間接スピーチと直接スピーチのもっとも大きな差ではないかという考えだ.つまり直接的なスピーチは個別知識を共有知識に変える力があるということになる.



この力がよくわかる例としてピンカーはバーベキューソース問題を示している.これはよく3人の顔で相手の行動から相手の知識を推測する問題として提示されるのだが,人数を増やし,きっかけを与えるベルというひねりが入っているところがおしゃれだ.

20人の論理家がピクニックに出かけてバーベキューソースのかかったスペアリブが振る舞われる.そのうち3人の顔にソースがかかった.鏡がないので自分では確かめられない.誰も他人の顔について不作法な指摘はしないし,かっこわるいので自分の顔を拭いてみることもしない.シェフはスイカを持って戻ってきてこういった.「1人以上の顔にソースがかかっています.顔を拭くためのチャンスを与えるためにベルを鳴らします.そしてまた鳴らします.これをつづけてみんなの顔がきれいになったらスイカをサーブしましょう」最初のベルでは誰も顔を拭かない.二番目のベルでも誰も顔を拭かない.3番目のベルが鳴ると汚れていた3人は顔を拭いてスイカがサーブされた.


(解説:もし1人しか汚れてなければ,彼女は誰の顔にも汚れがついていないのがわかるから最初のベルで顔を拭くはずだ.2人なら,1人しか汚れた顔が見えない人は最初のベルで彼女が顔を拭かないのを見て,自分の顔も汚れていることがわかる.3人の場合には2人しか汚れた顔が見えない人は2番目のベルで誰も顔を拭かないのを見て自分も顔が汚れていることがわかる.)


ピンカーはこのように解説している.「シェフが言う前にも1人以上の顔にソースがついていることはわかっていた.しかしシェフが皆の前でそれを言うことにより事態は変わったのだ.それはすべての人が自分が知っていることを知っているということで,それを解決に使えるようになったのだ.」


もっともここはシェフが言ったことの本当の意義は「1人以上の顔にソースがついている」ことではなく,「もし1人だけの顔にソースがかかっていても,その人も誰かの顔にソースがかかっていることがわかる」と言うことだろう.厳密に言うと「あることを知っていることを知っている」という話とは少し異なる気もする.さらにこのパズルのエレガントな解決にとってはベルの方が決定的ではないだろうか.ベルが無くとも恐らく3人ならしばらく時間がたったところで,4人でもそれぞれのパズル解決能力と問題解決時間が予想できるなら十分な時間があればこの問題は解決できるだろう.でも20人では無理だ.


ともあれ,共有知識は,日常生活における体面の喪失や体面の維持の多くを説明できる.なぜなら「体面」そのものが共有知識の1つだからだ.あなたが取引において大胆になれるのは,あなたが自分の地位を保つのに十分なだけ力強いと言うことを相手が知っていることをあなたが知っていて,それを相手が知っていて,さらにあなたも・・・・・ということだからだ.
「機転」「如才なさ」と呼ばれるテクニックには,この敏感な知識を個別知識から共有知識へ転化させることを防ぐ技術が含まれている.ディナーパーティでは誰もが,ある客は太り過ぎで,別のある客はスピーチが下手だと知っている.しかしそれを口に出して共有知識にしてしまうのは,どうしようもなくばつの悪いことを引き起こすことになる.


ここまでピンカーの解説を聞いて,もう一度最初のスキットについて考えてみよう.どうしてもう言っちゃったことは元に戻せないと思うのだろうか.ぶしつけで嫌だというなら,謝れば元に戻れるはずだ.誰にも聞かれていないことが確実でもやはり元には戻れないだろう.幻想とか焦点というのも理由としては弱い.元に戻れないと感じるのは二人の間で何かが変わるからだ.そしてそれは二次の共有知識だというピンカーの解説は非常に説得力があるように思う.


ピンカーは最後にこうまとめている.

私は人々がわかっていても間接スピーチをするもっとも強い要因は共有知識だと思っているが,ほかの5つの要因もこれと排他的であるわけではない.おそらく要因は重なっているのだ.
直接的な物言いは,共有知識になってしまって無視できなくなるだけでなく,砂漠にあるたった1つの目印になってしまうし,楽しいことのある相互関係の幻想をぶちこわしてしまう.特に共有関係は交渉によりぶちこわされる.そして考えの深い話し手はこのような災害を避け間接スピーチで意図をほのめかすのだ.これらのすべてが,直接的にしゃべってしまったことは「もう言っちゃったこと」になり,「元には戻れない」と感じさせるのだ.


第8章 人が行うゲーム


(5)ギグルテストをパスする:それはありそうもないという否定の論理