読了 「The Stuff of Thought」

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


最終章「洞窟を逃れる」.これまでの議論を振り返ったあとで,ピンカーはこの章の題名の由来となっているプラトンの「洞窟にいる囚人」の寓意物語を持ち出す.

囚人は洞窟に拘束されている.身体と頭は固定されていて,洞窟の奥の方向しか見ることはできない.ちょうど映画館のように囚人の背後の洞窟内のバルコニーで火がたかれ,映写技師が人形や切り絵を操作する.そして洞窟の奥の壁には影が映る.この映画が囚人が観察できる世界の知識のすべてだ.


この解釈の1つは自分が事実と思っているものも実はその影に過ぎないと言うということだ.
そしてヒトの合理性には明らかに限界がある.ここも要約してピンカーのリストをあげると以下のようなものになる.

  • ヒトは事件に対して異なったフレームを当てはめることができ,ある出来事についてどう記述されているかだけによってそれがフリップしてしまう.また,ヒトの概念そのものは,毎日の道具作りや協力行為には有用だが,科学や社会が可能にした新しい概念世界の中では扱いが難しい.
  • ヒトは集団間の統計的な差と個別の優劣の区別について混乱する.また所有についてあるときにある場所でのみ生じる物理的なものだと考えるためにデジタルメディアの複製の規制についてうまく考えられない.
  • ヒトは初歩の物理学や因果関係もうまく理解できないし,「進化」の理解はあまりに希薄だ.
  • 物理世界だけでなく社会関係についても,ヒトの理解は現代社会の中ではうまくいかないことがある.血縁びいきやえこひいきは組織にとって永遠の危険だ.権威の横取りは常に民主主義の脅威だ.そして互恵主義の直感は,複雑な経済の中での中間媒介者の役割の理解を阻害する.
  • ヒトの感情は言語に自動的なパンチ力を与えて,タブーを作り出し,相互知識を遠ざける.


ピンカーはより具体的な弊害として,法廷で陪審員が因果関係について行けないこと,中間商人と特定民族が結びつけられて迫害されたりすること,現代国家の社会保障問題が家族的なフレームで捉えられてしまうことなどをあげている.最後の点は恐らく現在アメリカで国家的な医療保険共和党の反対で実現できないことを指しているのだろう.



ピンカーは,しかし,言語は洞窟の壁を見せてくれるだけでなく,そこからどう進むべきかを示してくれるのだと主張している.いわく,私達は弱点も持っているが,民主主義による自由も,技術による富も,科学による真実の知識も言語を通して手に入れることができたのだと.


そのような言語によって私達の認知的感情的な限界を超える方法としてピンカーは概念メタファーと組み合わせ力をあげている.ある簡単な問題を解決し,それをより難しい問題に応用する.そして組み合わせにより無限の表現能力が手にはいるのだ.(無限の表現能力については本書ではあまりふれていないが,ここではピンカーそれを示す例として,スターバックスの注文種類をあげている.サイズの数*ローストの種類*カフェインの有無*シロップの種類*入れ方*ミルクの種類によって10万を超える注文ができると言うことだ.日本ではローストの種類はあまり見かけないし,カフェインもデカフェを指定する人はほとんどいないようだが)


ピンカーは,無限の表現能力について,人々がオフィスや地下鉄や生活の中でちょっと聞きつけた面白いことを投稿するウェブサイト群を引いている.いくつか実例が示されていて笑える.傑作なものもある.

  • オフィスの同僚:いまから僕は自分自身を3人称で表すことにするよ.僕はこれから「怒れる中国の貝」だ.怒れる中国の貝は君の振る舞いに我慢できない.
  • 携帯に出ている男:君に昨日電話しようとしたんだよ.でも君は家にいなかったろ.どこにいたんだい? え,なんだって,結腸内視手術? それで彼は少なくとも君に花を買ってののしったのかい? ごめん,関係なかったね.(that was out of line.)バカな話は止めなくちゃ.(I'll cut the crap now.)はっはっは,いま思わずだじゃれになっちゃったよ.いや,違うんだ もしもし,もしもし・・・


ピンカーはこの「概念メタファー」と「組み合わせ」を使ってヒトの限界を突破する際の注意事項をあげている.

  • 表されたアイデアがよいものか悪いものかを見分けなくてはならない.それにはより適合するメタファーにスイッチすることが重要だ.
  • イデアは目的に沿ったものかどうかよく吟味されなくてはならない.
  • 異なる意見を表明できるコミュニティは重要で,かつその中では「体面」に対する脅威から真実が隠されることがないように,その礼儀正しさへの欲望を抑える工夫が必要だ.
  • そのコニュニティではアイデアは個人に帰属せず「共有」されるという,ある意味自然ではない「心理セット」において運用されなくてはならない.


言うのは簡単だが,なかなか実装するのは難しい問題だ.最後のシステムの問題は科学におけるオープンな議論とピアレビュー,公式な組織のチェックとバランス,会計システムなどの基礎だと指摘されている.常にヒトの「合理性の限界」を警戒しつつ,そのようなシステムを不断にメンテして進んでいくほか無いと言うことだろうか.


ピンカーは最後にこう本書を締めくくっている.

言語からの視点は私達が住んでいる洞窟を見せてくれる.そしてそこから脱出する方法も見せてくれるのだ.メタファーと組み合わせを使って,私達は新しいアイデアや物事をうまく扱う方法を楽しむことができる.私達はそれを,主人公と敵対者,点と線と塊,活動と達成,神とセックスと目に見えない発散物,共感,意思,公平など思考の材料となっているものを使って行うことができるのだ.


じっくりゆっくり読み進めてきたがついに読了だ.ピンカーのもくろみとしては本書は言語3部作の最後を飾るとともに人間の本性3部作の最後も兼ねると言うことだった.読み終えた印象としてはより前者としての性格が濃いものに仕上がっていると思う.ヒトの本性を考える上でも非常に示唆に富んでいるのだが,これが3部作の最後を飾る結論という感じではなく,むしろ3部作の第1巻に当たる内容ではないだろうか.ともあれ,いつも通りのピンカー節は満載で大変楽しい本であった.



なお夏期休暇により本ブログの更新は10日ほど停止する予定です.