日本進化学会2008参加日誌 その2 


大会第二日 (8月23日 土曜日)


きょうも涼しくて快適だ.雨が降るかとも思ったが夕方までもってくれた.
本日最初のワークショップ.「動物のデザイン」や「葉の進化」あたりも面白そうだったが,2年前から連続参加している科学哲学のワークショップに.


ワークショップ「哲学はなぜ進化学の問題になるのか(パート3):哲学的観点から見た進化生物学の諸問題」


最初にオーガナイザーの森元良太から趣旨説明を兼ねて「知識としての進化学」の発表.
科学哲学の意義を説明し,演繹法帰納法を解説.さらに推論を正当化する道具として演繹法を用いる場合の補助仮説の重要性についての指摘だった.例として「神の存在」の仮説自体はテストできず,それが「神は生物を完全に合理的にデザインした」という補助仮説を伴って初めてテストできること,別の補助仮説「ヒトをだますように生物をデザインした」を伴う場合にはテストできないのだということをあげていた.
聞いていて,それは単に補助仮説といわれているものをテストしているだけではないかという印象.言葉の定義はよくわからないが,テストできる仮説が重要だということであればごもっともということだろうか.


2番目は三中信宏による「【種】に楯突けば角が立つ:種問題の光と闇」
十八番のネタのようで流れるようなプレゼンだった.
まず系統樹思考と分類思考の違いを挙げ,系統樹思考にとっては最適解を導くアブダクションという手法があることを説明する.ここまでを前振りとして「なぜ【種】問題は紛糾するのか」を読み解くというもの.【種】問題がエンピリカルなものならそれはテストすれば解決するはず.しかしそうならないのはこれが生物学の枠内に収まる問題ではないからだ.
【種】問題はリンネ以来未だに決着していない.これには実存についての形而上学的な論争が関わっている.
ここで【種】というタクソンは集合(個別の【種】)で,【種】というカテゴリーは集合の集合(【種】概念)だという区別をし,一元論か多元論か,実在論唯名論かという部分に形而上学が関与するのだと解き明かす.そしてこの問題はヒトの心に直結している.すなわち「生物学的多様性を前にしてヒトの心は何を見るのか」ということが問題になる.
そして進化したヒトの心は生得的な分類者であって,分類したカテゴリーの背後に本質(エッセンス)があると考える認知バイアスを持つということが背後にあるのだ.
最後に「新しいタクソノミー」という試みを,これは古い革袋に新しい名前をつけただけなのではないかと指摘して発表は終わった.相当厳しい指摘のようだが「新しいタクソノミー」の中身をよく知らなかったのでここの部分は楽しめなかった.ちょっと残念.


3番目は石田知子による「遺伝情報を考える」
発生と分裂で伝えられる遺伝情報の内容が異なっているのではないかということからいろいろ考察されていたが,(申し訳ないが)問題意識がよくわからなかった.


4番目は松本俊吉による「進化心理学の論理の批判的考察」
批判の要点としては,まず進化心理学のよくある手法の中において,仮説構築と仮説の検証が独立になっていなくてロジックが循環しているのではないかというもの.
私にはこれはよくあるジャストソーストーリー批判と同じ批判のように感じられた.要するに現代の一見不適応に思える行動・認知パターンをEEAにおいて合理的だったのではないかという仮説構築までは問題なく,どう検証するかが難しいということかと思われる.ユニバーサル性や性差を予測して検証することも行われており,すべてが循環論法ということではないだろう.

2番目の批判の要点としては進化心理学の前提がおかしいというもの.批判されている前提は(1)社会環境の大きな変化は表面的なもので生存・生殖に関する根本的な必要性は更新世以降それほど変わっていない(2)更新世以降の1万年間では,心理メカニズムのような複雑な適応性質が自然選択によって進化するには短すぎる,という2点.
私には2点ともすべての進化心理学者が当然のこととして受け入れている前提のようには思われない.ありもしないかかしをぶん殴っている筋悪な議論のように感じられた.(1)に関しては変わっているものも変わっていないものもあるというのが普通の前提ではないだろうか.(2)についてはこう考えるのがデフォルトではあるが絶対の前提ということではないのではないか.哲学者としては気になるところかもしれないが,しかし例えば「更新世以降甘みに関する嗜好が変化せずに現代において肥満,糖尿病のリスクを高めているのではないか」という仮説について考察するときに,確かに乳糖耐性のように農業以降の進化も起こりうることは心にとめつつもデフォルトで複雑な進化は生じなかったと考えておくことにそれほど問題があるとは思えないというのが正直な感想だった.


5番目は中尾央による「文化進化理論における哲学的諸問題」
現在文化進化を考察する手法として主なものは3点ある.(1)ボイド,リチャーソンらによる二重継承説(DIT:Dual Inheritance Theory)(2)遺伝子とのアナロジーで考えるミーメティックス,(3)スペルベル,アトラン,ボイヤーらの心的モジュール中心説(MMM)
DITでは文化を心理状態と捉え,遺伝子とともに社会学習により伝わっていくと考える.MMMでは特殊領域的な心的モジュールの中に情報が感染していくモデルを考える.
発表者の分析ではDITにおける学習に関するバイアスをモジュールに対する入力形式だと定義してやればMMMと等価になるのではないかということだった.
聞いている私としては同じような文化と遺伝子共進化理論の中で互いに純理論的に論争しているということ自体が不毛なのではないかという感想.やはりもっとフィールドに出て現実の現象をどう解釈するかを争った方がよいのではないか.そうすれば理論的に等価であれば争い自体が生じないように思うが,やはり世の中はそれほど単純ではないのだろう.
純理論的な論争を裁くという趣旨ではいかにも科学哲学者の出番という意味で興味深い発表だった.


最後は田中泉吏による「生物学における個体と階層性」
「個体」とは何かを定義していくと通常の概念には収まらない難しい問題が出てくることを示し,この基底にはヒトの認知心理としての「素朴」個体概念が高等生物を前提にしていることにあるのではないかという発表だった.
ちょっと【種】問題に似ているところもあって面白い.もっとも「個体」に関しては結局単に定義の問題に過ぎないのではないかという気がする.特定の問題に関して便利な定義を使えばいいのではないかとも思うが,やはり【種】問題と同じで人間の生得的な認知が絡むとそうもいかないのだろうか.


このワークショップはこれで終了,いろいろな発表があり面白かった.さて大会二日目は変則的な日程で,わずか30分の休みを挟んで12時に4つのワークショップが始まる.そして1時間ずれて公開講演会が始まるという日程だ.公開講演会は外せない.この裏で14時10分から「言語の進化」ワークショップがあったのでちょっと残念.せっかくなので公開講演会前の1時間も早い時間のワークショップに1時間だけ顔を出すことに決め,速攻でおにぎりを食べて,「人為的環境下の進化」ワークショップに参加した.


ワークショップ「人為的環境下の進化のメカニズム,及び,保全策への応用」


最初は北野潤による「硬骨魚イトヨにおける平行進化のメカニズム」
人為攪乱環境における進化適応は,短い時間に急速に生じるものなので興味深いと前置きのあと,イトヨについての解説.イトヨは海水,淡水両方に生息するという面白い魚で,北半球に広く分布している.最終氷期の時にはいったん海にいたものが,完新世になってからそれぞれ川を遡上して淡水に適応していったものだと考えられている.
ここで海にいるイトヨは対捕食者防御として棘を発達させ,捕食者にいったんくわえられてもはき出されるチャンスがあることから,その際に損傷を最小化するように固い鱗板を持っている.淡水に適応すると,逃げ場があることから鱗板が少なくなる.そしてこの鱗板については遺伝子が一部特定されている.
さてアメリカ,シアトルにあるワシントン湖では50年前には鱗板の少なかったイトヨ群が現在鱗板を持つようになっている.発表者は様々な仮説を検討し,1967年頃から下水が整備されて湖水が透明化したことから捕食者カットスロートトラウトの捕食行動が変化し,それに適応したのだろうと推定していた.ワシントン湖は運河経由で海のイトヨ群とわずかながら遺伝子交流があり,それが鱗板の進化に効いているだろうということだった.


2番目は小北智之による「海洋環境変化と生物の小進化:日本海から学ぶ」
漁業活動が進化を引き起こす例としては,サイズ別漁獲による小型化,放流のための継代飼育による飼いやすい(野生では不利になる)性質を持つものが野生個体と交雑すること,そして本来他地域にいる個体群が交雑することなどが問題になっていると前振りをしてから日本の沿岸にいるシロウオの話に.
シロウオは漁業的には1種として扱われているが,日本海側と太平洋側で大きさ等で明らかに二型になっている.これはDNA解析をしても大きく根本から分岐している.この原因としては最終氷期における日本海の湖化により低水温低塩分に適応した名残だろうと考えられている.
そして現在東北南部の太平洋側地域ではシロウオが大型化しているという現象があり,DNAを調べると基本は太平洋型なのだが,一部のゲノムで日本海側のものがあり,特定の遺伝子により急速に大型化したのではないかという推測だった.
よくわからなかったのは現在の環境下でサイズが環境に対してまったく中立とは思えず(もしそうなら1万年以上二型が保たれていることが考えにくい),何らかの適応があるのなら,少しぐらい交雑してもいずれ落ち着くところに落ち着くのではないかと思えるところだった.



ここで公開講演会に移動


日本進化学会10周年記念公開講演会「進化で日本を考える」


会長の長谷川眞理子から本日の公開講演会の趣旨について一言.テーマとしては「異分野の交流」と「日本」ということからこういう企画となったと説明があった.


最初は三中信宏による「日本の進化学史:極東の岸辺にダーウィンの波紋は広がった」
日本へのダーウィンの伝播がまず最初の主題.グーグルマップを利用して「Origin」が世界で翻訳・刊行された歴史を見せてくれてなかなか面白い.当然ながらヨーロッパ・アメリカが最初になるわけだが,アジアでは日本が早い.(日本が1896年,中国が1904年,韓国は1954年だそうだ)さらに調べると1881年には「人祖論」として「由来」の翻訳(実際には抄訳兼その他ダーウィン著作のごちゃ混ぜらしい)1883年にはモースの講義録「動物進化論」が刊行されているということだ.このあたりはいかにも博覧強記風で楽しめる.
続いて日本におけるダーウィン学説の教育ということではいわゆるお抱え外国人教師が重要で,それをたぐっていくと「反ダーウィン,反進化,神の創造を深く信じる」ことで著名なルイ・アガシの弟子達の系譜が見えてくるという.エドワード・モース,チャールズ・ウィットマンたちだ.彼等は師匠と違ってダーウィン学説を受容したのだ.(よくある世代が変わらないと大きな理論の受容はなされないという現象がこんなところにも顔を出していて面白い)
最後に受容側の日本の在来伝統との葛藤について.発表者によると日本における生物多様性の理解は「個物崇拝」という特徴に彩られていて,それは東アジア共通だという.これは西洋でも個物の記載から始まる.しかし大航海時代に生物種が500を越えてナチュラリストが個別に認知することが難しくなって,分類体系化が生じたのだが,東アジアではそのクリティカルな種数になかなか届かずに遅れたという.
そして日本では体系化が生じるときにはいきなり超越思想が天から降ってくるように現れると断言し,いろいろな曼荼羅模様や超越図を見せてくれる.確かにそういうことはあるかもしれない.
そしてここにダーウィン思想が降りてきたのだといって講演は締めくくられた.
聞いていた方はここからの受容の葛藤と大波乱を予感していただけにはぐらかされたような気分だが,これは今後のお楽しみということだろうか.全体的にスライドも美しく見事な講演だった.


2番目は篠田謙一による「自然人類学が描く「日本人」の成り立ち」
まず日本の人類学の学説史から.基本は縄文時代人と弥生時代人,さらにそれ以降の日本人をどう考えるかというところがポイント.明治以降,違う人たちに入れ替わったと考える学派と,同じ人たちの形態が変化していったという学派の抗争史ということになる.明治時代はお抱え外国人教師モース,ベルツらの人種交替論が優勢.大正時代より交替の否定論が唱えられ始め,鳥居の固有日本人論,清野の混血説,長谷部の変形説と続く.清野は人骨を調べ,渡来人と石器人の混血により説明しようとした.長谷部は文化により人骨は変わると主張,農業文化により形態が変化したのだと主張した.(これは現代になって栄養条件などによって体格が向上したことなどを考えるとその主張の説得力がわかる)
戦後は金関により混血説が,鈴木により変形説(小進化説)が唱えられた.金関は渡来弥生人縄文人の骨格が大きく異なり,古墳時代には渡来人から逆に縄文人に近づくことを,渡来人と縄文人の混血によって説明しようとした.一方鈴木は日本人の骨格変化が大きいのは縄文・弥生間で農業文化が導入された時期と,江戸・明治間で文明開化が生じたときの2回だとして,文化に対応した変形だと主張した.
学会の大勢はいったん鈴木説で収まっていたのだが,1980年頃から弥生時代人の人骨が多く出土されるようになり,歯の大きさは縄文人より弥生人の方が大きく農業文化では説明できないのではないかと(外国の研究者から)指摘されるようになり,埴原は1991年に二重構造説を提出した.これは混血説がベースになっており,縄文時代人は南方渡来の原日本人.そこに北方渡来の渡来人が流入して混血して日本人になったというもの.(当時はまだ原人からの系譜も考えていたらしい)
ここからは発表者の解説で,結局縄文人弥生人の解釈は一体量的にどちらがどれだけはいっているのかという問題になる.埴原説では渡来人が100万人規模ということも主張されていて,そこには批判もあったのだが,その後,渡来自体は少数でも農業の持つ生産力から300年程度で相当に人口増加し,その後に混血したと考えればいろいろなデータがうまく説明できるとされている.

このあとは激動の日本人類学説史で,まず人類の多地域起源説から出アフリカ説への外国からの大きな流れ.発表者は最初に出アフリカ説を聞いたときに「何バカなことをいってるんだ」と感じたそうだ.このあたりはなかなか興味深い.進化生物学的な普通の感度から行くとそもそも世界各地である種(ホモエレクトゥス)から別の同じ種(ホモサピエンス)に進化するということはいかにもありそうもないことであって,むしろ出アフリカ説を最初に聞いたときには「それですべてがわかる」といって膝をたたくべき話のように思えるのだが,当時は多地域進化説が非常に深いところまで浸透していたということなのだろう.
次の激震はいわずとしれた旧石器捏造事件だ.出アフリカ説のあとも次々と発見される旧石器(一時は78万年前までいったのだ)と2000.11.5の激震がスライドで説明されていた.「これでいろいろひどい目にあった人もいたのですが,学術的には随分すっきりしました」というコメントには重みがあった.

この結果日本人のルーツについては二重構造説が浸透し,その後はミトコンドリアY染色体遺伝子の分析時代に変わる.ここから著作でもおなじみの現生人類の出アフリカ以降の分散状況が説明される.その後日本人の分析結果が説明され,興味深い事実として,ミトコンドリアのデータとY染色体遺伝子のデータでは微妙に異なる系譜が示唆されいていることが示された.最後に今取り組んでいるベトナムでの狩猟採集と初期農耕への移転時期の遺跡発掘の話がなされて終了した.

日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

御著作 私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070624



3番目は大西拓一郎による「方言から日本語のルーツを探る」
長谷川会長の紹介によると最初は日本語のルーツ,系譜を研究している研究者を捜したのだが,実はそういう研究はあまりなされていないということで方言研究者としての発表者に白羽の矢がたったということだった.確かにアルタイ語族かそうでないか争いがあるぐらいだから,比較しようにもあまりデータもなく業績を上げるのは容易ではないのだろう.

さて講演は方言から言語の変遷を調べる方法論の解説から始まった.言語は記録されて文字になっているケースもあるので,直接A→B→Cという系譜を考えることもできるし,共通祖先から枝分かれして今のA, B, Cになったと考えることもできる.
その中で方法論として使われているのでまず有名なのは「周圏論」これは柳田国男がとなえたもので,言語には中心地域(日本語の場合機内ということになる)があって,そこで常に新しい方言が生まれ,周りに広がっていくという考え方だ.カタツムリを示す方言としてはナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デデムシ(デンデンムシ)と移り変わってきたことが方言の地理的分布からわかるそうだ.
そしてこれを様々な原則にして理論化したのが「言語地理学」日本では非常に多くの論文が出されているそうだ.
次に日本語の方言分布の特徴として大きく東西に分かれていることがあげられる.この境界線と周圏的な考え方をどうマッチさせるのかが講演のポイントだった.中心から流れ出る方言の変遷の流れが地理的な境界線でブロックされているというのが最初の仮説だが,よく調べると地理的な境界(例:親不知)を越えて東(新潟平野)に広がっているケースもあり,また50年前と比べると境界線は少し東に動いているようだという.このことから引き続き(明治以来の国語教育にもかかわらず,理由は不明だが)西の言葉の方が強く,機内から東への浸透が続いているのではないかということだった.
この理由については大変興味深い.西の言葉の方が発音しやすかったり,なぜか伝染ってしまったりするのだろうか.ちょっとスペルベルの疫学的な手法を思い浮かべてしまった.


最後は山岸俊雄による「文化と制度から見た日本人の心理」
HBES京都でも聞いた話とちょっとかぶった話.日本文化の特徴とされているものが,本当に「協調性」や「集団主義」にあるのではなく,他人の心理についてのデフォルトの推定にあるのでないかという内容だった.
発表者はこの推定のデフォルトに自己実現性がある(デフォルトがそうだから実際に人々はその前提にあうスタンスをとる)ということで「自己実現的共有信念体系」と呼んでいた.
社会的ジレンマやペン選択実験を通じて,他人の期待心理がわかっているときには日本人もアメリカ人も同じ行動をとること,他人について情報がないときにとりあえず仮定するデフォルト推定が日本人とアメリカ人で異なっていることをクリアに説明していた.
またこれは自分が優れていると思うバイアスについても同様で,通常アメリカ人の方がそういうバイアスが高いとされている.しかしこれはテストを行ったあと自分の成績を予想させるなどのアンケート結果によるとそうなるということで,実は日本人はデフォルトで「自慢しない」ことにしているだけに過ぎない.その証拠として,もし自分のテストの成績と予想がマッチしていたら賞金を出すという条件に変えると見事にアメリカ人と日本人のバイアスに差がなくなることが示されていた.あと面白かったのはいかにも社会心理的なトリックで,目の模様があると人は利他的になるという現象.これを利用して日本人のデフォルトがアメリカ人より「見られている」というところにあることも示していた.
なかなか社会心理学は油断ならない学問だ.ヒトの心理を研究するにはこのぐらい懐疑的になるべきだというよい教訓のような気がした.


続いて総会の後,今年の学会賞・木村賞受賞者の授賞式と受賞記念講演


受賞記念講演


郷通子による「タンパク質の立体構造と遺伝子の構造の進化的起源に関する研究」


郷教授はもともと物理化学畑だったのだが,木村中立説の影響もあり,タンパク質の構造と遺伝子の構造に関する研究を始めることになる.そしてタンパク質もそれをコードしている遺伝子もいくつかの部品と呼べるブロックに分かれるのではないかと考え,分子距離のマップを作ってそれを示す研究を行い,これが認められるきっかけとなった.その際には無名の自分に対して温かく意見を示してくれた世界的な研究者との交流などもあり,結果ネイチャーに論文が掲載されたということだった.
あとはこのようにタンパク質や遺伝子に構造があり,さらにイントロンスプライシングという現象があることが,進化的にどのようなインプリケーションがあるかなどについてスパンの広いお話をされた.


このあとは懇親会ということで大会2日目は終了である.(この項続く)