「Missing the Revolution」 第4章 進化的説明:科学と価値 その3


Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists

Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists


ウリカ・セーゲルストローレによる社会生物学論争の総括.
いよいよこの論争の核心に迫ってくる.最初は価値の問題だ.


8.進化生物学と価値


セーゲルストローレによるとグールドの反適応論にはさらに別のトロイの木馬が仕込まれていたということになる.それは道徳を巡る問題だ.「もしすべてうまく適応しているなら,社会を変革する必要はない,しかし偶然の要素が大きいのなら変革の意味がある.」これが社会変革と社会正義を巡るグールドの新たな議論だ.


これはセーゲルストローレによる「実はグールドこそ究極の自然主義的誤謬的思考の持ち主ではないか」という告発だろうか.進化は偶然の要素が大きいと考えたから,人間社会もそうで,だから改革主義の左派の政治的主張になったのだろうか,それとも,左派の政治的思考の持ち主だったから,断続平衡理論によって自然史の偶然の要素を強調したのだろうか.前者であれば,それは自然主義的誤謬に非常に近いし,後者であれば,こうであるべきだから,自然もそうであらねばならないという道徳主義的誤謬に近いことになるだろう.
もっともセーゲルストローレの解釈はその結びつきは無意識のものだろうと言っている.
一方ルウォンティンはそのような理論をオファーしていない.


ではウィルソンはどうだったのか.セーゲルストローレによると同じようにウィルソンも政治的社会的に正しい理論を目指した.
彼は,IQ,人種は重要でない,遺伝的多様性は重要だと論じ,ユニバーサルな人権を擁護し,不平等はよくない結果を引き起こすと主張した.より性的自由を論じ,ホモは社会にとってよいと擁護した.セーゲルストローレによるとこれは(やはり無意識のうちに)進化生物学の知見と結びついた価値観の主張なのだ.


社会生物学論争史 1,2」においてはこの道徳の議論は,双方が,それぞれのインナーサークルで道徳的な名声を得ようとしているという動機にしたがって行動しているとシニカルに解釈されている.それが論争相手を道徳的に悪いものとしてたたくというスタイルに現れているのではないかと推論されていて興味深いところだ.


では価値と科学と分けようとした人々はいなかったのか.セーゲルストローレは英国ではおおむねそうだったとしている.
彼女によるとアメリカ人は価値と科学を結びつけようとし,英国人はその逆なのだ.(ウィルソンは口では分離すべきだといいながら実際の主張は幾分異なっている)そして結びつけ派は,純粋科学を政策に応用しようとする応用工学派であり,分離派は純粋科学派だとみることができるという.


では,科学はその社会における影響を何も考えずに真実だけを追究すればいいのだろうか.セーゲルストローレは社会学者らしく,実際の普通の人々がどういう人かを考えると,社会生物学批判派の方が実際的だ言う見方に傾いているようだ.事実として人は簡単にいろいろな主張を受け入れてしまうのだ.



9.進化心理学の興隆


ここからは社会生物学のその後のエピソードということになる.
25年たって環境主義は次第に追い込まれてきた.それは,遺伝子についての社会のアレルギーが減少してきたことの帰結であり,人類学におけるフリーマンの告発であり,ヒューマンユニバーサルの受容であり,認知科学の発展であり,類人猿についての知見の蓄積であり,言語学の進展だ.
そして進化心理学が勃興した.トゥービイとコスミデスはSSSM批判を行った.特定問題の解決のための領域特殊なモジュールの集合体がヒューマンユニバーサルだと主張した.
社会生物学論争史 1,2」においては,政治的に正しいウィルソンへと変身したウィルソンや啓蒙家としてのチャールズ・シモニー教授職に就任したドーキンス勝利者として描いている.(もっともグールドもルウォンティンも決して社会的に敗者となったわけではないとされている.しかしセーゲルストローレによる論争の勝者はウィルソン側であるようだ)
また進化心理学会とウィルソンとの微妙な距離(前回紹介した道徳の進化的な起源を巡るウィルソンの姿勢を巡ってのものだ)も詳しく描かれていて興味深い.


そして進化心理学もまた政治的に正しくあろうとした.彼等はヒトの間の違いを測っているのではなく,ユニバーサルに興味があるのだと主張した.また遺伝子を直接は扱わないと説明した.そして文化進化にも興味を示さなかった.このあたりも社会生物学論争の影響があるということなのだろう.




10.進化心理学への抵抗


政治的に正しくあろうとした進化心理学のスタンスは社会科学者に受け入れられただろうか.そうではないというのがセーゲルストローレの解釈だ.

その理由は以下のように整理されている.

1)遺伝決定論への恐れは現在もなくなっていない
2)ユニバーサルな心に対してもグールドは反適応主義からの批判を続けた.これがドーキンスとグールドの論争のまた1つの側面だ.これには後にデネットも参加している.
3)性差の存在.進化心理学はこれは正面から認めている.そしてこれが社会を固定化するのだとフェミニストは批判した.
4)モデルに対して分子的な説明がないこと.(ルウォンティン的な反論)
5)自由意思の問題.生物学的にヒトの本性が説明されるとそれは正当化されるのではないかという恐れ.恐らくこれがグールドが進化心理学を毛嫌いする本当の理由だと思われる.そしてこの背後には「原罪」「責任」をどう考えるかという問題があるのだ.「悪いのは自分ではなくて遺伝子だ」という主張を認めなくてはならないのかというおそれだ.


社会生物学論争史 1,2」においては,最後の自由意思と責任についての論争も詳しく紹介されている.ドーキンスは自由意思によって遺伝子の専横から逃れられるのだと明確に自由意思を認め,批判者は,「しかしその自由意思はどこから来るのか,最終的に遺伝と環境により決定されているなら責任はなくなるのではないか」と主張することになる.セーゲルストローレは,これを本質主義実存主義(彼女によると強く自由意思を認める立場)の現れだと解釈している.これを改めて読んで初めて,バラシュが「Natural Selections」の中で,進化生物学が実存主義と親和的なのだと力説している意味がわかったりして興味深かった.
デネットは自由意思も適応として進化した形質だという主張を行っている.それも1つの立場ということになるだろう.セーゲルストローレはウィルソンの主張を紹介している「道徳にも生物学的基礎がある そして人類は遺伝子をいじって,あるいは社会工学的に,人類自身を変化させることもそのままでいることも選択できる.」まさに究極の実存主義といえるのだろうか.



11.社会科学の矯正

最終節においてセーゲルストローレは冒頭でこのように主張している.

科学的知見が社会に与える意味,事実と価値の真の結びつきを理解するためには,ヒトがどう考え,反応するかを知らねばならない.
科学を理解するだけでなく,それに文脈を与えるのが社会科学者の責務であり,ある科学的主張が政治的にどういう意味を与えるのかを明らかにするのが仕事なのだ.社会のなかでは時代とともに生物学の知見の意味が変わってくるのであり,議論を自然科学者だけにまかせておいてはいけないのだ.
自然科学者にとっては中立的な事実だと思えるものに対しても,批判的に解釈し,将来のシナリオにあわせ吟味しなければならない.これらの仕事を,自分自身の政治アジェンダを持っているかもしれない左派の自然科学者たちにまかせておいてはいけない.
そして自然科学と一般大衆の橋渡しをするためには自然科学の論理と基礎的な知識が必要なのだ.


セーゲルストローレはこの主張を,サイエンスウォーズで広がった自然科学のショービニズムに対して行っている.彼女によるとサイエンスウォーズは一部の社会科学や人文科学が著しく反自然科学になったことに対して生じたものだ.彼女はウィルソンの「コンシリエンス」もこのような反目に対してなされている部分もあると考えているようだ.(もっとも彼女はコンシリエンスはかなり自然科学よりだと言っているが) 確かに自然科学と社会科学は反目すべきではないだろう.


最後に彼女はこう締めている.

社会科学はアカデミーにパートナーとして認めてもらわなければならないだろう.新しい反応が必要なのだ.
同時にレベルが異なる説明に対するリスペクトが必要だ.これは複雑な真実を知るためには重要なのだ.

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A Reason for Everything: Darwinism and the English Imagination

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本書であまりふれられていないが「社会生物学論争史 1,2」においてふれられて論争の背景の1つにナチュラリスト的かそうでないかというものがある.自然の中には複雑で何かの真理がある.それを見つけることが喜びというのが英国のナチュラリストの伝統だ.英国派はナチュラリスト的でより適応的な説明を好んだのに対し,ルウォンティンは実験室で行うような実験が科学であり,自然にある変異そのものには興味が無く,それを説明する原理にこそ興味があるというスタンスだった.グールドは自身ナチュラリストではあったが,政治的なアジェンダを優先させたとある.ナチュラリスト的素養についてはこの本がお勧めだ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060331



Natural Selections: Selfish Altruists, Honest Liars, and Other Realities of Evolution

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通常そうは思われていないのだが,実は進化生物学は実存主義と親和的なのだという記述がある.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080511

(10/13追記 実存主義の記述がある本を勘違いしていました.最初に書いたときにD.S.ウィルソンのような気がしていましたが,バラシュのこの本でした.本文とも訂正します)



Freedom Evolves

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自由は進化する

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