「Missing the Revolution」 第9章 進化,エージェンシー,社会学 その5


Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists

Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists


ベルンド・バルダスによる社会学と進化理論に関する第9章.


ではバルダス自身は文化についてどう説明したいということなのだろう.まず現在のヒトの文化の特徴についてまとめている.

  1. 私達は種として,身体的特徴だけでなく,行動的文化的な特徴を共有している.笑う,泣く,色の知覚,愛情,子育て,言語,生活史など.多様性の中にユニバーサルとしての中心があるのだ.その源の多くは遺伝子にあり,進化心理学はそれに光を当ててきた.私達の文化は進化的な過去のスタンプが押されている.
  2. しかし,私達は非常に発明的で好奇心が強い.交響曲を書き,ソープオペラを見て,宇宙ステーションを作り,くるくると心を変え,不確定な環境の中でうまくやっていける.結果として私達の行動は常に新しい要素を持ち,予測不可能な環境に対応し,すばらしいデザインと平凡さと非合理性を併せ持つ.


バルダスは,この2番目の特徴,そしてその核になっているエージェンシー性は,適応性質の遺伝だけではなく,試行錯誤で使ってみるという部分を考えるとうまく説明できるという.つまり意図的に試行錯誤し,能動的に(自由意思により)選択するというプロセスが重要だというのだ.バルダスはこれは「内部淘汰」と呼んでいる.


そしてそれには4つの特徴があるとして議論を進めている.

1.試行と,淘汰者の強い可塑性
2.内部淘汰の誤りやすさ
3.その結果の二重の留保性(冗長性が残る)
4.心の創造的な役割


この結果創造的な心はエージェンシーと冗長性を作り,それは生物個体の統合された一部分である.そしてエージェンシーの適応度は,特定の問題ではなく,環境リソースの利用探索を柔軟に行うところにあるのだと主張している.


このあたりの主張のどこに新味があるのかは,私のような読者にはよくわからないところだ.領域特殊モジュールの集合体として進化した心は(あるいは一般知能という1つのモジュールが進化したことにより),いろいろな認知タスクが可能になり,創発的な特性を持つようになり,線形ではない複雑な反応が可能になったり,より深い洞察が可能になったりしたと考えればよいだけではないだろうか.
すでに進化的に見方になれている論者から見ると,あえてバルダスのように大上段に構えたからといって何らかの知的な理解が進むとも思えない.もちろん,この見方自体が間違いというわけではないから,この上で有益なリサーチができればそれで良いのだろうという感触になる.


しかしバルダスは,このような内部淘汰を統合することで,進化に懐疑的な社会科学者に驚くべき展望が開けるのだといっている.「文化について遺伝子の利益や繁殖への影響を考えなくてもよくなる.エージェンシーや冗長性,発明性を周辺物として軽視しなくてもよくなる.エージェンシーはむしろ我々が進化で会得した予測不可能な環境に対する適応形質になる.」というわけだ.
要するにこう言ってあげれば社会科学者にとって受け入れやすくなりますよということだということかもしれない.


バルダスは,「進化社会学」はこのような基礎の上に構築されるべきだといって本稿を終えている.

社会進化学はダーウィンに従い,ヒトとヒトの文化について同じ理論が該当すると主張する.
社会科学者は文化の冗長性と予測不可能性を彼等の理論にとって脅威だと考えてきた.そしてそれを減らそうとしてきた.
これに対して決定不能は進化の特徴だ.外部現実と内部主観の複雑な関係は進化の結果に予測不可能性を与える.これはデュルケームの「社会事実」を否定するものだ.ある条件は常に同じ結果を生むわけではない.

進化社会学はそういうわけで,確率論的な非決定的なものだ.その主たる関心は,予見無いものを分析して,社会に生じる進化的な出来事を再構成することだ.行動,知性,社会的関係,社会的力,長期的な結果.法則はニュートン的ではなくパーキンソン的だ.いろいろな結果は団体の制限や宗教的な関心,権力,富の周りに生じるが,決定的に再現性のあるものではない.予測は一定以上の長期では不可能だ.


このような形で整理して,進化社会学社会学者に受け入れられれば,これまでの社会学の限界を突破できるだろうというのがバルダスの希望なのだろう.こういう整理で受け入れられるのであれば,本稿は大変意義のある小論ということになり,本書の最後に置かれている意味もわかるということなるだろう.

ヒトの文化の複雑さは,実証主義の社会法則にも,機能主義の合理的選択にも,直接的な遺伝子適応主義にも合わないのだ.社会生活への進化的な見方は,社会科学者の決定論的なハードな社会科学でありたいというのぞみを打ち砕く.しかしその代わり,それは社会科学にダーウィン的な強い議論をもたらす.動物とヒトにはつながりがあり,私達は自然の共通法則を探すべきであり,それにはヒトとヒトの文化が含まれるのだ.


ここに本書の主題である「社会科学者に対する進化的思考への招待状」は完結するのだ.何故この読みにくいちょっとずれたような章が最後にくるのかと頭をひねっていたが,社会科学者による社会科学者への説得が,メインストリームの社会科学者にとってもっとも効果的だという判断なのだろう.多くの社会科学者に影響を与えて欲しいものだ.