「生命の数理」

生命の数理

生命の数理


本書は名著「数理生物学入門」を読み終えた読者向けという位置づけでこの春出版されたもの.前著は「入門」というだけあってロジスティック成長と線形力学系の解法,離散時間モデル,人口の行列モデル,移動分散と拡散といった群集生態学の基礎から,最適採餌戦略,生活史戦略,様々な初期のゲームモデル,性比,量的性質の遺伝モデルなどの行動生態学の基礎まで広く扱ったものだった.本書はその後の著者自身の研究エリアを中心に,主に分子生物学系のリサーチにとって興味深いトピックをいくつか選んで解説している内容になっている.


本書で扱われているのは,酵素反応が非線形になるメカニズム,概日リズムなどの周期的変動を作り出すメカニズム,拡散方程式による生物のパターン形成,格子モデルによるパターン形成,離散時間系におけるカオスと一斉開花・結実モデル,生活史・性・性比・子育て戦略,ゲノミックインプリンティングの量的遺伝モデル,発ガンプロセスのモデルなどだ.
基礎となる部分については前著のおさらいのような部分を簡単に置いているので,本書単独でも問題なく読み進めることができる.


読んでいて印象に残ったところを挙げると,まず血縁淘汰におけるハミルトン則の導出については,プライスの公式から入って,共分散が生じる1つの現象として血縁を説明するという順序になっている.今日的にはこういう順序の方が合理的だし,その後の発展に進みやすいという意識が感じられる.前著では扱われていない部分で嬉しいところだが,もう少し丁寧に説明して欲しいところでもある.一斉開花・結実のモデルはエレガントで印象的.ゲノミックインプリンティングの遺伝学的解説は入門書ではあまり見かけないところで,なかなか貴重だ.発ガンプロセスの説明では中立形質の浮動,トンネリング,染色体異常などが議論されていて深い.


扱われている数学の基礎について理解を深めたい場合には演習問題として解くことが期待されている,こういう問題はある程度手を動かさないと深い理解には達しにくいので,この手の教科書的の本としては王道の作りだ.(さらに高度な数学的な解説は付録という形になっている)本書の特徴の1つとして,ちょっとがんばってみようという気にさせる適切な量に問題が厳選されている.しばらくこの手の計算をやっていなかった私としては,演習問題を解いて局所配偶競争のハミルトン性比を導出したりするのも楽しかった.ただ大学の演習で使うにはこれで良いのだろうが,(ちょっと高望みかもしれないが)独学者用にはウェブかどこかに模範解答を示してもらえるとさらによかったのではないかと思う.


全般的に体系化されているわけではなく,様々なトピックの集合体なのでどこから読んでもよく,そういう意味では取っつきやすい本だ.前著出版後,近年の研究から生まれたトピックは遺伝子や分子などのエージェントがどう相互作用しているかを数理解析しようとモデル化しているものが多く,ここ20年ぐらいの数理生物学者の興味の動向が,読んで行くにつれて把握できるもの本書の醍醐味のひとつだろう.




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前著.もともとは1990年にHBJ出版局から出されていたもの.18年前ということになる.
これは結構熱心に読んで勉強したので,私にとっても思い出深い本だ.


本書で行われている拡散方程式と生物のパターンなどについての本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060406


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この本もだいぶ古くなったが,名著だと思う.適応戦略の部分が扱われている.