「Kluge」第2章 記憶

Kluge: The Haphazard Construction of the Human Mind

Kluge: The Haphazard Construction of the Human Mind


さてヒトの心のクリュージを見ていこうという本書の最初のお題は「記憶」だ.マーカスによると「記憶こそすべてのクリュージの母」であり,ヒトの認知がおかしいことの根本には記憶があるということになる.


まずヒトの記憶がコンピューターと随分違うことを改めて指摘している.

高校の同級生は憶えていても昨日の朝食は思い出せない.さらに記憶は歪む.ありとあらゆる忘れ物,なくし物をする.そして命がかかっていてもチェックし忘れることがある.ヒトにはチェックリストが必要なのだ.記憶の書き換えも難しい.

マーカスはエンジニア的な話の進め方を行っている.
コンピューターはアドレスによる管理(ポスタルコードシステム)を行っている.ヒトの記憶システムはそういう管理システムを進化させられなかった.そして検索用に文脈メモリシステムを使っている.
文脈メモリシステムの例としてはサルのヘビ恐怖を挙げ,そのメリットデメリットを整理する.


文脈メモリの利点:メモリにプライオリティをつけるのが容易.サーチが速い.(グーグルなどの検索エンジンは速くするために文脈メモリシステムを使っている),脳の内部構造について無知でいてよい.


文脈メモリの欠点:正確さに欠ける,キューが悪いと取り出せない,信頼性に欠ける.似たようなキューに混乱するし,文脈が変化すると思い出せなくなる.

問題点1:キューが適切でないことがある
文脈は常にある.ダイバーは水中でのことは水中で思い出しやすい.トイレットペーパーが切れているのをスーパーで思い出せず,トイレに入って思い出すのはこのためだ.


問題点2:プライミング
単にちょっと見ただけの単語が,そのあとの行動に影響してしまう.「年取った」「賢い」などの単語を与えられると,その部屋から出たあとの歩調が変わるし,トリビアゲームの成績にまで影響を与える.
これは人種差別などに非常に悪い影響を与える元なのだ.


問題点3:記憶の混濁とニセの記憶
2つ以上の記憶がごちゃ混ぜになったり,ニセの記憶が植え付けられたりする.

マーカスはそしてこのようなメモリシステムが現代社会の中でうまくいかないことがあることを次々と指摘する.

  1. 事故の証言について,ビデオを見て答えさせる実験で,質問の動詞によって答えが違ってくることが示されている.文脈に影響される証言は本来信用できないものだ.
  2. 記憶は上書きされて変わることがある.
  3. 鍵をなくすのはいつもの場所と最後に置いた場所が干渉するからだ.帰宅途中の買い物を忘れるのは,目的をスタックして順に実行させられないからだ.何があったかとそれがいつ起こったかの記憶を同期させるのは難しい.それはヒトの心にはタイプスタンプ機能が無く,鮮やかな記憶はより新しい,そして記憶を再構成するという以上のシステムがないからだ.
  4. 5W1Hに関する記憶を認知心理学者はソースメモリと呼ぶ.そしてヒトの心はこれをうまく記憶できない.


これに対処するハウツーの話が次になされる.

  1. メモリトリックはこれらのヒトの心の性質を利用したものだ.例えば何かのリストを憶えるときにはなじみの部屋にあるものに1つづつ対応させて憶える.韻を使うのも1つの方法だ.訳者が台詞を憶えるときはキャラクターの動機や動きとともに憶える.
  2. 行動を記憶システムにあわせるという方法もある.鍵は常に同じ場所におけばいいのだ.


マーカスはここから進化的な議論にはいる.
マーカスが批判しているヒトの記憶システムが「最適」だという議論は次の2つだ.

  1. 完璧な記憶システムを作るのはコストがかかる.だから今のヒトのメモリシステムはコスト対比では最適になっている可能性がある.
  2. メモリシステムに制限があることに何らかのメリットがある.(より深い推論をするため,心の痛みを取り除くためなど)


これに対してマーカスは,まずあまりコストをかけずにもっといい記憶システムは作れるだろうと主張する.グーグルはそのよい例だ,グーグルはポスタルメモリに文脈メモリをあわせていいシステムを作り上げている.
2番目の議論に対しては,これには証拠がないし,ヒトは思い出したいことを思い出せず,忘れたくないことを忘れるのだからこの説は正しくないだろうという.またより良い推論ができるというのもありそうにないと切って捨てている.


マーカスは,これは私達ヒトがコンピューターとして進化したのではなく,行動する者として進化したためなのだとまとめている.

行動するためには素早く決断しなければならない.新しさ,頻度,文脈というのはその観点から十分にいいシステムだったのだ.記憶システムは最適なものではなく,歴史なのだ.

読者としてはこれでおしまい?という気分だ.マーカスの議論はメモリシステムが現代社会という環境下で最適でないと言っているだけだ.コスミデスやトゥービィを批判したいなら,問題はEEAにおいてもそうだったのかどうかではないのだろうか.マーカスがここで明らかにすべきなのは,EEAにおいてもこのメモリシステムが最適ではなく,そこにすでにあるモジュールの組み合わせで実現したつぎはぎであるためのデザイン制限を受けていることではないだろうか.
EEAにおいてもポスタルメモリが有用で,まったくコストをかけずにポスタルメモリを付加できるのならそういう主張になるのかもしれない.しかしこの議論ではそこまで示せているとは言えないだろう.EEAにおいてはたとえわずかなコストでもあえてポスタルシステムを組み込むメリットがなかったのかもしれない.このあたりはいずれにせよ想像で議論するしかないところなのであえて深入りすることを避けているのかもしれないが,ちょっと残念だ.


想像だけで感想を言うと,ポスタルコードシステムまで視野に入れれば,現在のヒトのメモリシステムは適応地形の極大点に閉じこめられたものなのかもしれない.しかし盲点を持つ網膜のような全くの偶然の歴史的な制限によるものというよりも,車輪が漸進的な進化で生じにくいように,ポスタルコードシステムというのは漸進的には進化しにくいものであるような気がする.
そしていったんそのようなポスタルコードを視野の外に出せば,現行のメモリシステムはEEAではコストまで含めれば十分に最適化しているのではないだろうか.


冒頭の第2章,メモリシステムの現代社会における問題点とそのハウツーとしてはなかなか面白い章になっているが,進化的な議論には不満の残る章だ.