「Kluge」第4章 選択 その2

Kluge: The Haphazard Construction of the Human Mind

Kluge: The Haphazard Construction of the Human Mind


マーカスは選択における様々な非合理性についてそれは進化的な過去になかったような状況だという説明を行った.次にそもそも証拠に基づく判断をするための適応がないのでモジュールはないとして,しかしそれでも何故おかしな判断をするかを考察する.そしてさらにいろいろな例を挙げている.

  • クリスマス用の貯金を区分して行わないと,使ってしまう.
  • サンクコストを考えてしまう
  • 高く買ったものは心の中で償却するまですてられない(サイズの合わない靴でも買ってすぐには捨てられない)
  • 買い物について,得た取引の価値より,相手にぼられなかったかを基準に評価してしまう.
  • アンカーリング:命が関わっていてもアンカーリング効果がある.(安全装置をいくらならつけるか)
  • フレーム効果:有名な600人問題.論理的に同じ問題でも200人を救いますかという問いかけと400人を見捨てますかという問いかけで選択が異なる
  • 自分の中の記憶による汚染:現在空腹がどうかが1週間先のおやつの選択に効いてくる


マーカスはこのような例で,何故おかしな選択をするかについて「記憶」に問題があるからだという説明する.結局判断は(適切でなくとも)文脈依存になるから歪むのだという説明だ.ここでは,とある法律事務所の広告に,セクシーな男女の像と「人生は短い.さあ離婚しよう」というキャッチコピーがあった例を取り上げて(離婚専門の事務所ということだろう)そもそも広告産業全体が,このような文脈依存の非合理的判断に依存していると皮肉っていて笑わせてくれる.
マーカスは祖先環境では,最新の文脈依存の記憶が優先される方が良かったのだろうと付け加えている.
ここはコスミデスと同じ様式の説明だ.


次に取り上げるのは将来価値の割引の問題だ.
マーカスは,動物も将来価値を双曲的に割り引くことが知られているが,これは将来が非常に不確定であるからだと言っている.


そしてヒトにおける問題は,ハトと同じく近視眼的であることと,将来に別のオプションがあることを意識的に理解できることが組み合わさっているところにあるというのがマーカスの説明だ.

こうなっているからあとで後悔する.この後悔はシステムがクリュージである証拠であり,システム同士でコンフリクトがあることを示している.本来直感の上に合理性があって,うまく統合できていなければならない.しかし合理性システムは強い意志の力がないと使えない,これは恐らくあとから作られたものだからだ.


ここのマーカスの説明はかなり不満の残るところだ.まず将来価値を割り引くとこととそれが双曲的であることがきちんと分けて論じられていない.双曲的であることがハトにとって合理的であるという立場に立つなら,単に将来が非常に不安定だというだけでは理由にならないだろう.
あえて補うと,理由は不明ながら動物にとっては双曲割引が合理的だった.しかしヒトの場合,意識的に将来が考えられるようになったために,両システムがきちんと整合的になっていない.だからある選択のことをあとで後悔するようになっているといいたいようだ.
とりあえず,このようなシステムがEEAで合理的だったが新規な環境で不適になったのだという議論はされていない.そういう意味では序章で予告されているクリュージという議論には比較的よく当てはまる例だろう.後悔するような選択はしない方がEEAにおいても有利であるならそうかもしれない.(本当にその方が有利かどうかについてはなかなか議論があるところかもしれない)



次に取り上げるのは「感情」に基づく選択だ.
マーカスの議論は,感情に基づく選択モジュールと,意識的な熟考システムがコンフリクトしているというものだ.例としては次のようなものを挙げている.

  • 虐げられた途上国の工員達とイルカはどちらが重い問題ですかと質問すると工員と答えるが,寄付はイルカに多くする.
  • 笑い顔を1/60秒見せると,同じ飲み物により高い金を払う.
  • 待合室で心温まるニュースを聞くと,囚人ジレンマゲームでより協力する.


マーカスは,これらは感情が記憶を呼び,それが選択に影響しているという.このあたりもEEAにおいても非合理だったかどうかの議論はない.これらは上の選択より「EEAにおいては合理的」という議論をしやすい部分だろう.


またここでモラルの議論もされている.
ハウザーで有名な暴走列車問題を紹介した後,モラルはまず本能的に把握し,それから理由を探しに行くと説明し,これも祖先システムと熟考システムがコンフリクトしている例だという.


マーカスは道徳的判断を動物にもある感情的なシステムと捉えているが,ハウザーをじっくり読んだあとではむしろヒト特有の道徳モジュールで,これはヒトのEEAにおいて適応として進化したものだと考えた方がよいのではないかと思われる.だからこの部分は進化的に新しい環境に不適だというコスミデス的な議論の方がよいと思われるところだ.



マーカスは最後に熟考システムもいつも合理的であるわけではないと断っている.これを合理的に動かすにはすごい意識的な集中が必要であり,あるいは深い経験があって初めてよい判断ができるようになると.これはそのための特別な計算適応モジュールではない一般知能モジュールの特性としてそうなると考えられるだろう.
そしてそのような集中ができないとき,深い経験がないときには祖先システムに頼り,場合により合理的でない選択をしてしまうというのがマーカスの結論だ.


本章ではいろいろな問題が取り上げられている.私的には,コスミデス的説明の方が良さそうなものと,確かに2つのシステムがコンフリクトしていてうまく統合されていないという感じのものと混じっている印象だ.何故統合されていないのか,それが適応地形の極大点にトラップされたからか,単に時間が足りなかったのか,そのあたりも議論されて無く,ちょっと議論の荒さが気になる章だ.



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進化により形成された道徳モジュールの中身についての大変啓発的な本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070711