「Kluge」第7章 ばらばらのもの

Kluge: The Haphazard Construction of the Human Mind

Kluge: The Haphazard Construction of the Human Mind


本章ではマーカスはヒトの心の脆弱性を取り上げる.


まず最初はちょっとしたへま.
これらを本書ではおなじみの祖先型直感システムと熟考システムの統合の不完全性という観点から説明しようということになる.

  • 目的を見失う

男性は常にセックスを夢想している.このような心のさまよいは時に死の原因になる.

  • 物事を明日に延ばす

人々の2/3は引き延ばし屋.わかっていても後回しにしてしまう.適応としては説明できない.
目的設定とその実行の間の不整合.コストを考えずに後回しにする.将来の割引現象の私生児

後ろ側は時間割引の問題ですでに論じたことで何故もう一度取り上げるのかよくわからないところだ.前半の何かに夢中になってそれ以外のことを見失うというのは確かに2つのシステムの不整合とも思える.もっとも祖先環境ではセックスのチャンスを逃すかもしれない計算負荷の機会コストの方が大きいという議論だってできるだろう.議論としては詰め切れていない印象だ.


続いてマーカスが取り上げるのはもっと深刻な心の脆弱性だ.確かに精神障害や統合失調,強迫神経障害,躁鬱などのコストは大きそうだ.マーカスはこれらはランダムに生じるアノマリーではなく,症状はクラスターを作って何度も繰り返すものだと断っている.


マーカスによると通常の進化精神医学的な説明はある1つの症状を取り上げて適応的に説明しようとするものだということになる.(そして場合によって祖先環境との際を強調する)
この例としては,「統合失調→シャーマン,広場恐怖症→反復パニックへの対処,不安→思考,行動パターンの変更,鬱→敗北を受け入れて乗り越える.」などがある.


マーカスは,サイコパスの頻度依存的説明を例外として,これらにはコストを説明できる説得力がなく,パングロス的だと主張している.

本当にシャーマンになれる可能性のために統合失調傾向があるのか?
鬱は一瞬うまく説明できそうだが,その他の社会的現象をうまく説明できない.鬱は普通は敗北を受け入れられないために生じるし,そして結局うまくいかない.


マーカスは,これらの現象は結局ヒトの心がよいデザインでないことの帰結として考えるべきだと主張している.

車がガス欠になるのと同じようにニューロトランスミッターも足りなくなることがあるのだ.また突然変異によりうまく機能しなくなっているものもあるだろう.病気でも繁殖できればしばらく残るだろう.繁殖年齢後のことは進化は気にしない.

しかし最後のところは,コストが説明できないという先ほどの主張とは整合的ではないように思う.繁殖年齢後のことは進化は気にしないというのはコストがないといっていることと同じだ.結局問題になるのは「何故ニューロトランスミッターが足りなくなるような設計になっているか」ということだ.
マーカスは単純に「ほかに脳を作る方法がなかったからという説明がよいのではないか.」といっているが,もし方法がないならこれはトレードオフ上で最適だと言うことになるのではないだろうか.


マーカスは「不安」について「私たちのように論理的に思考できる生物にそれは必要ないかもしれない.」といい,「社会的認知とむすびつく様々な精神障害」について「このような苦しみは必要ないのではないか.」とコメントしている.
ここもちょっと詰め切れていない理屈を聞かされているようだ.「苦しみ」は進化的にはコストではない.単純に「苦しむ」方が孫の数が多くなれば,苦しみは淘汰で残るはずだ.だから問わなければいけないのは,「論理だけで行動したほうがより繁殖成功するのかどうか」のはずではないだろうか.


マーカスはまた「精神障害は進化的歴史的偶然から生じたのではないか」ともコメントしている.つまり結局祖先システムと熟考システムの統合が不完全であり,自己認知バイアス,動機による理由付けが生じ,現実を見失うというわけだ.
この説明は確かにあり得るものだろう.本来一から統合システムを設計した方がよいものができるが,適応地形の極大点にトラップされているということはあり得ることだ.


マーカスはヒトの心がぐちゃぐちゃになるのは 1.自己コントロースシステムの不全 2.自己評価バイアス 3.動機による理由付け 4.文脈依存メモリ の問題が下方スパイラルを作るからであり,だから一部の精神障害は一度かかると抜けにくいのではないかと推測している.
これはいろいろな精神障害が同一の要因で生じているという主張だろう.もしそうであればマーカスの主張には有利だろう.ちょっと面白い論点のようだ.


本章も最後のところなど面白い論点を含んでいるが,ちょっと論理が詰め切れていない記述が多いような印象だ.