「予想通りに不合理」

予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」



本署はイスラエル出身の行動経済学者ダン・アリエリーによるヒトの様々な経済行動についての本である.社会心理学行動経済学では,様々なヒトの行動特性の「非合理性」が話題にされるが,それについてのミクロ的な実験の結果を丁寧に紹介している.


まず最初は選択において,比較すべきものが見あたらない選択肢より何らかの相対的な比較ができる選択肢に引きずられるという効果.マーケティング的には,売りたいものに対して,それよりちょっと見劣りするおとりアイテムをおけばいいということになる.これが様々なおとりを使った実験で見事に効果が出ることを説明している.(いい男の写真を合成して作る話は傑作だ)


次はアンカリング効果だ.何らかの形で最初に値段をすり込むと,ヒトはそこから計算を始めてしまう.これも傑作な実験が次々に紹介される.スターバックスはそれまでのコーヒーと違う価格帯を消費者にすり込むためのマーケティングの例として紹介されている.刷り込みは長期間の間には効果が薄れる.これは経済学的には短期と長期で消費の価格弾力性が異なってくることを示唆しているようで興味深い.ここまでの2つは判断にかかるヒューリスティックスの特徴が出ているということだろう.


その次はちょっと面白い「無料」の威力だ.ヒトは「無料」キャンペーンに極端に弱い.(アリエリーはミニバンを欲しいと思っていたにもかかわらず3年間オイル交換無料キャンペーンに負けてアウディのスポーツカータイプの車を買ってしまって後悔している自分自身の実話を例としてあげている)アリエリーはヒトの「失うこと」への恐怖がこの非対称を生んでいるのだろうと推測している.そうすると有名な「利益と損失の心理学的な非対称」と同じメカニズムということになるのだろう.紹介されている実験では如何にこの効果が強力であるかが示され,何かを政策的に推進したいときに有効ではないかと示唆されている.ここまでの3つのトピックスはヒトの経済的な選択が,「経済合理性」のみで決まっているわけではないという問題を扱っている.


続いて「現金」の不思議な効果について語られている.金を払うといったとたんにパーティが台無しになることをヒトが社会規範と市場規範を使い分けていることから解説している.このあたりはよく知られた事実だが,アリエリーはこの2つの規範について,いったん市場規範になってしまった関係は元には戻りにくいことを指摘して,マーケティングのご都合主義で社会規範を取り入れる戦略について注意を喚起している.ここは非合理性というより,ヒトは2つの規範を持っている(そして社会規範に従っているときには経済合理的ではなくなる)という話だ.


性的に興奮しているときには,通常と異なるリスク選好を持ち,それを事前に予想できないという話のあと「先延ばし」問題が取り上げられる.これはいわゆる双曲割引の問題だ.学生のレポート提出期限などやはり傑作な実験結果を紹介し,実務的には予防医療の普及,貯蓄の奨励などの問題についてこのような「非合理性」を前提にした上での解決策が提案されている.傑作なのは「自制クレジットカード」のアイデアだ.前もってアイテムごとの利用上限を登録しておき,それを越えるときに通知が発されるというもの.「今週のカード使用について,ご主人の自主申告アイスクリーム予算より30ドル超過しています」という通知が奥様に届くという寸法だ.ニューヨークで銀行家に対するプレゼン(このような消費者のためには自行の利益が減ってもかまわないという企業姿勢が消費者に好感度を与えるだろう)まで漕ぎつけたというのだからいかにもアメリカ的で面白い.(もっとも日の目を見なかったそうだが)


次に所有効果(すでに所有してしまったものについてより価値を高く評価する傾向),選択肢効果(選択肢を残しておくことの価値を過大評価する傾向)が取り上げられる.デューク大のバスケットチケットを巡る実験など傑作な話題をちりばめて,無料お試しキャンペーンの有効性を説明している.これらも利益と損失の心理学的な非対称で説明できそうだ.


さらに予測効果,プラセボ効果(またプラセボ効果が価格により異なること)が取り上げられる.ビールにバルサミコ酢を加えたブラインドテストなどが紹介されていて面白い.これらは結局「自分が信じていることと矛盾しないことをより正しいと信じる」という自信過剰傾向で説明できるだろう.アリエリーは最後にプラセボ効果の持つ倫理的な問題にも触れている.なかなか悩ましい問題だ.だまされる方が幸せな場合の倫理問題についてヒトの直感的な道徳判断は無力なようだ.


続いてヒトの犯罪傾向についての章が並ぶ.これらは非合理性とはちょっと異質の問題だ.ヒトは直接誰かから現金を奪うような場合と,間接的に数字を操作して利益を得る場合に心理的な抑止傾向がまったく異なることを取り上げている.アリエリーは理由を説明しようとしていないが,これはまさに進化心理学的なアプローチで簡単に説明できる問題だろう.アリエリーは社会の変化によりますますカジュアルに犯罪が生じるようになるのではないかと警鐘を鳴らしている.


まとめとしてアリエリーはこのようなヒトの心的特徴を前提として政策を立てれば,コストをかけずに効用が生まれる場面があるだろうと示唆して本書を終えている.


本書で紹介された「非合理性」はすでに知られているものがほとんどだし,本書の中には進化心理学的な説明はほとんど出てこない.しかしそれがうまくいきそうな事例・実験の豊富な紹介として大変面白い.特に著者が自分で行った様々な傑作な実験が紹介されていて,その現象の具体的な理解に大変役立つように思われる.私的にはその実験の詳細が大変に興味深かった.



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原書 邦書のカバーデザインが原書通りだというのがちょっと面白い.