日本生物地理学会参加日誌2009 その2


立教大学キャンパスでの日本生物地理学会.引き続き心地よい桜満開の春の一日.日曜日とあってキャンパスには新入生の初々しい姿もなく落ち着いた雰囲気だ.
二日目は【種】問題がポイントだ.


第2日 4月5日 


シンポジウム「“種”を巡る諸問題:錯綜する論争と解決への道筋」


三中信宏 趣旨説明:【種】問題とその落としどころ


冒頭で,【種】問題は夜も更けて暗くなって怪しい雰囲気の中でやるべきで,こんなに朝早くからやるのはなじまないといいながら,趣旨説明というより【種】問題へのご自身の見解をプレゼンされた.
なぜ【種】問題は解決しないのか.既に何世紀も議論されているがいっこうに収束しない.それは,これが自然科学だけの問題ではないからだ.自然科学者はそれが解けない問題だと安心してそれと共存すればいいのだというのが全体の趣旨.

種問題はカテゴリーの問題とタクソンの問題に分けられる.

  1. カテゴリーの問題は,自然の生物は一種類の定義にまとめられるか,それともまとめられず多元的な定義によるしかないのかの争いになる.
  2. タクソンの問題は,一つ一つの個別の【種】をどう定義するかという問題になり,これは唯名論実在論という形而上学の世界になる.

そして特にこの哲学的な問題はやっかいで,生物学者はこれに入り込まずに放っておけばよいのだ.


次に生物学者は目の前の生物をどう理解するのか,そしてそれにあたって系統樹思考と分類思考は異なった方法となる.
これを説明するには「歴史は科学か」という議論が参考になる.クローチェは分類学的な思考で,歴史を類似に基づいて一般化していく営みと捉えた.ギンズブルグは系統樹的思考で,歴史は分断されたデータから総体的な現実を推定する試みとして科学なのだと議論した.


ダーウィンは,著書の中で「種」の定義を与えず,ナチュラリストが理解しているものとして扱い,村と町の例を用いて,あるカテゴリーが種か属かはどうでもいいのだと論じた.
要するに分類は役に立つのだから,役に立つものとして扱えばよいので,生物学者はそのように役に立つように設定した【種】が自然界に実在するかどうかはどうでもいいことだというスタンスで望めばいいのではないか.実在を問題にすれば形而上学に踏み込まざるを得なくなるのだ.

美しいスライドでなかなか流れるようなプレゼンだった.


中村郁郎ほか 真核生物の分子的な種区分 “ipsum”の提案


遺伝子データで系統解析をしようと思っても,そもそも試料がどの生物からとられたものかの同定ができなければ意味をなさない.しかし実際に分類学者でもない研究者には難しい.だからその目的にあった分子データをデータベース化すればいいのではないか.いろいろ調べてみた結果,Ptugのアミノ酸配列が使えるのではというプレゼン.
【種】問題とはちょっと異なって,既にある種分類を前提にして,その同定に便利なデータベースを作ろうという話だった.


森中定治 種とは何か ―側系統群を巡って


ニューギニアのカザリシロチョウやホッキョクグマとヒグマの例を挙げて,通常,種と考えられるものが側系統だから種ではないとされる議論について考察したいという発表.
側系統とされる系統樹をあげて,これは個体群と種が混在されている.そもそも種とは何かという問題と,種の識別をどうすべきかという問題が混在しているのも混乱の原因の1つだと議論し,種とは,同じ種類のものを複製できる実体だと定義し,側系統であっても将来的に遺伝子交流で混じり合う可能性があるのならそれは同じ種類のものを生みだしていける実体であり,種と扱っていいのだと主張された.
マイヤーの生物学的種概念が前提で,その「潜在的な交配性」を考えれば,個体群として現在側系統的であっても潜在的には側系統でなくなる可能性があるのだから問題ないという主張のように感じられた.


久保田耕平ほか コルリクワガタ種群における隠蔽種の発見


コルリクワガタにおいて,オスの交尾器内袋をよく調べると,かなり明瞭に分離し,安定している形質が見られ,また交尾器であることから相当程度生殖隔離されていると思われるものが見つかる.これらは従前の形態を元にした亜種分類と異なっているが,種として記載したという報告.
同所的に分布するもの,異所的に分布するもの,若干の交雑,戻し交配による遺伝子浸透が生じるもの,別種(オサムシ)では交尾器に連続的な変異がある場合がある例があること(その場合には1種とせざるを得ないだろう)など詳細はなかなか複雑で興味深かった.


直海俊一郎 種問題の解決に向けて


昨年の発表に引き続いて「個別に進化する個体群リネージ」としての種の実在性を主張する発表.
まず種とは何かという問題と,それをどう識別するかという問題が混同されてはならないと主張.種とは「個別に進化する個体群リネージ」であり,これは何ら識別条件ではない.そして,生殖隔離,形態,同種認識,生態ニッチ,単系統性などは識別基準であり,それはその分類群ごとに異なってもよいのだと議論する.
実際に個体群が分岐してから,形態に差が生じたり,生殖隔離が生じたりニッチが分かれたりするのはそれぞれ時期が異なるだろう.それらをみて,「個別に進化する個体群リネージ」という実体を種として考えればよい.
そして現在様々な形態・分子・生態・分布データを吟味した結果として多くの隠蔽種が新種として記載されている.これは形態的に決めた種が否定され,実在する「個別に進化する個体群リネージ」にちかいものが種として認識されている傾向だと主張している.



パネルディスカッション


最後の発表のQ&Aからなし崩し的にディスカッションに移行.きわめてホットな議論になって【種】問題の根深さをよく感じさせるものになった.


まず隠蔽種の発見が,実務の種認識が実在する「個別に進化する個体群リネージ」に近づいていることを示しているという主張について,それは単に解像度が上がっているだけではないかとの疑問がフロア小野山先生から出される.

直海はより解像度が上がってより真実に近づいているという主張のようで,ここはしばらくフロアの質問者との間で平行線.しかし答えの中で,すべての生物にこのような「個別に進化する個体群リネージ」が実在するかどうかはわからないと発言.


生物によってこのような「個別に進化する個体群リネージ」があったりなかったりするということであれば,直海が主張する「個別に進化する個体群リネージ」の実在は,事実の発見の問題であってデータで検証可能な性質のもののようだ.これは通常すべての生物にラベルをつけようという【種】とはだいぶん違っているような印象.
であれば,それを【種】と呼ぶことに固執せずに,基準を作りデータをもって確かめていけばいいだけではないかと私には思われる.


とはいえ,実務として直海の主張はちょっとよくわからない印象だ.まず認識基準は生物によって異なっていいいという多元基準的主張のようであるが,それをどう決めていくのだろう.これが決まらないと事実の主張としても検証はできなくなるだろう.
また具体的にどこまでを種としたいのかもについてもよくわからない.例えば先ほどの例で行けばヒグマのように個体群がいくつかに分断されている場合にどう考えるのだろうか.このようなケースは,まさに潜在的な交配可能性という部分で非常に多いだろう.しかし個別に進化するかどうかは将来になってみなければわからない.「個別に進化する個体群リネージ」は現時点では決定できないのではないか.


ここで三中が,「種が「個別に進化する個体群リネージ」ということであれば,リネージはつながっているのだから切れないのではないか」「連続しているものを離散的な実体というのはおかしい」と参戦.連続しているもののある部分を色づけしたいというだけではないかと指摘した.


直海は,自然界の中でその連続性には差があり,継ぎ目を見分けることは可能だと反論.
さらにそもそも何が実在するというのか,研究や保全をどうするのかと問いかけた.


三中は,実在するのは生命の樹系統樹)だけ,研究のためのナンバリングは便宜としてすればいいし,保全は政治的に決めればいいのだと切り返す.


ここは議論が途中で止まってしまったが,事実の問題として,連続している中に何らかの統計的に有意にその細さを検索できるつなぎ目があってもおかしくはないような印象.どういう基準でつなぎ目とするかについてはいろいろ問題はありそうだが,それをえいやっと決めた何らかの基準とした場合,三中的にはその統計的な実在問題は,それを【種】とさえいわなければOKなのだろうか?


ここでフロアから質問が出て,一旦別種となったものがまた交雑で単一種になることについてちょっとやりとりがある.元に戻るわけではなく遺伝子交雑の結果,単一の遺伝子プールになってしまうことがあってもおかしくはないという話のようだった.この中で森中がヴィクトリア湖のシクリッドが,色による生殖隔離を行っていたのだが,湖が濁って交雑するようになった話を取り上げて,「元々同種だった,交尾前生殖隔離は信用できない」と発言.
森中の見解もよくわからなかった.種が同じものを複製する実体なら.シクリッドのケースは明らかな別種だったのだが,湖が濁ってまた新しい種になったとしか言えないのではないだろうか.


そのまま森中も参戦して,連続か,連続しつつ切れているか,つなぎ目かというなんだかよくわからない議論になる.


さらにフロア小野山から,系統樹が実在という議論について,系統樹もクレードもすべて頭の中の構築物で仮説に過ぎないから実在しないとの批判.三中が答えて仮説はデータで検証すればいい.小野山:メカニズムがわからなければ説明できずに検証にならない.三中:そんなことはない,と激しいやりとり.


ここはメカニズムがわからなければ何も検証できないというのは明らかにおかしな議論のような印象であった.実在するかしないかはまさに形而上学のトラップに絡め取られたような感じ.結局議論は収束しないまま時間切れ.【種】問題の爆発性を目の当たりにできてなかなかスリリングだった.


学会は続いて「次世代にどのような社会を贈るのか?」のミニ・シンポジウムだったが,私は残念ながら所用あり,ここで立教大学をあとにしたのだった.
外に出てみると,激しい議論とは別世界の桜満開ののどかな春の日.なかなか面白い一日だった.