【種】問題についての覚え書き


帰り道でもいろいろ考えたのでここで【種】問題に関する私の感想を書き留めておこう.


すべての生物の系統は連続している.連続性には太いところと細いところがあったりするだろう.
直海先生の主張は,「様々な基準を用いて,生命の連続性の細いところを見分けて『個別に進化する個体群リネージ』単位で切ることができる.つまり自然界は『個別に進化する個体群リネージ』単位に分けられるように(すべての生物でそうなっているわけではないとしても大半の生物群で)なっている.」という主張だろう.そしてそれはおそらく現在隠蔽種が次々と記載されているようなやや細かな「種」とかなり合致するだろうという予想とセットになっている.


これは事実についての主張なのだから,基本的には検証可能な仮説の形にできるだろう.例えば以下の形式になるだろう.

  1. 生命の連続性の中には,何らかの基準・方法で見つけることのできる細い部分(つなぎ目)がある.
  2. そのような「つなぎ目」を見つけて切った見た結果得られるものは『個別に進化する個体群リネージ』の性質を持っている.これは「つなぎ目」の識別基準・方法とは独立の方法で検証することができる.
  3. それは現在の(やや細かな)種区分とおおむね一致するだろう.


しかし,私には,そもそもこの『個別に進化する個体群リネージ』の性質の検証自体原理的には難しいように思われる.ある個体群やその集合体が『個別に進化する個体群リネージ』であるかどうかは現時点で決められないのではないか.例えばある程度の生殖隔離を伴って地理的な遺伝的構造を持っている現在のヒグマの個体群が,今後生殖隔離が継続・完成して別種になっていく途中なのか(すでに『個別に進化する個体群リネージ』という実体になっているのか),あるいは地理的障壁が消滅して近隣個体群と交雑するようになるのか(まだそのような実体はないのか)は,将来になってみなければわからないのではないか.つまり現時点では決定不能だろう.そしてヒグマだけでなく過半の生物群がそのような状況にあるのではないだろうか.


仮に上記の問題がクリアーできるとしよう.
しかし,私の(根拠のない)予想によれば仮説は否定されるだろう.(あるいは検証不能な形でしか識別基準が決められないということになるかもしれない)
つなぎ目を見つけようとしても,実際の個体群は,生殖隔離が完全なものからほとんど交雑しているものまで連続しているだろう.また隔離自体も隔離が様々な年代,様々な遺伝距離,様々な地理分布を持つものがあり,大きく言えばその程度は連続しているだろう.つまり恣意的な識別基準しか作れないだろう.(印象としていえば,時折眼にするような系統地理的な分子データは,様々な個体群間の隔離の程度について連続しているということを支持しているように思う)
そしてそのように連続性を恣意的な基準で切った結果得られるものに共通の性質が現れるとは期待できないのではないか.(もちろんこれは事実の問題だから,得られれば私の誤りだということになるだろう)つまり私の予想では,自然はこの直海仮説(あるいはデケーロス仮説,ヘイ仮説なのかもしれないが)を満たすようになっていないだろう.


またつなぎ目識別基準をエイヤっと決めても現在の種区分と一致しにくいだろう.現行の種区分や『個別に進化する個体群リネージ』の実体性と一致させようとすると,基準をいじくり回して,様々な場合に結果のあてはめがよくなるように操作したカズイスティックで複雑怪奇な基準になってしまうだろう.そうなればもはや「独立の」検証はできなくなるだろう.


結局私達は,人生において何事かをなすために,連続しているものを切らなければならないことがある.
酒を飲んでもいい成人の基準はどう決めればいいのか,選挙権を付与すべき基準は,車を運転していい基準は.いずれも一義的に正しい基準があるわけではない.現在の日本では飲酒と選挙権は20歳という自然年齢基準,運転は(普通免許の場合)18歳という年齢要件と特定の試験の点数基準で決めている.
犯罪の結果が確率的だと思っていた場合,どこまでが過失でどこからが重過失,さらにどこからは故意になるのか.これも一義的には決められない.これは犯罪類型(結果の重大性)によって異なっても良いだろう.
胎児はいつから人になるのか.これも実体は連続しているとしか言えないだろう.日本では民法(相続法)と刑法(殺人か堕胎か)で解釈を変えている.
このような場合,適切なのは,なぜ切り分けたいのかをよく考え,その目的にあった基準をそれぞれに決めるアプローチだろう.


【種】問題については,私は,自然は相当程度連続しており,一義的によい切り方というものはないのだと考えている.研究や保全のために切り分けた方が良ければ,それぞれの目的のために適切な方法で(便宜的に)切り分ければいいのではないか.そしてそれは目的ごとに切り方が異なってもまったくかまわない.そういう意味では三中先生の考え方に極めて近いだろう.
もっともこれが形而上学に踏みこまなければならない問題だという主張に全面的に納得しているわけではない.誰もが納得する様にうまく切れないのは,切ろうとしている対象が十分に連続し,切る目的が多岐にわたっているからだという理由で十分ではないだろうか.(あるいはそのように感じるのは私が実在論にまったく興味も関心もないからかもしれない.そうであればさらに三中先生の考えに近いということになるだろう)



蛇足
バードウォッチャーによる「リストの消し込み」という目的のためには,識別に熟練を要する形態類似種の存在は,悩みの種であると同時に,自然の奥深さを感じさせてくれ,また趣味に深みをもたらしてくれる大事な存在である.しかし分子的にしか識別できない(少なくとも双眼鏡や写真では区別できない)隠蔽種という存在はこの目的にはそぐわないかもしれない.
それにしても私は修業が足りないせいか,(もちろん別に隠蔽種というわけでもない)形態類似種のハシブトガラとコガラを野外で自信を持って識別できたためしがない.最近札幌で出会ったこの個体は嘴から見てハシブトガラだと思うのだが,どうだろうか.