ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第4章

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

The Descent of Man (Great Minds)

The Descent of Man (Great Minds)


第4章 人間がどのようにして何らかの下等な形態から発達してきたのか


ダーウィンは3章までで,ヒトと動物の様々な特徴が連続していることを肉体,心的能力の両面から示してきた.つまりヒトが動物から進化してきたことを説明してきたわけだ.ここからダーウィンはその進化が「種の起源」で論じた「自然淘汰」によるものかどうかを論じていくことになる.まず自然淘汰の前提の1つである「変異」がヒトにもあるのかどうかを扱う.


ヒトの間には様々な変異があることは事実だ.ダーウィンは顔つき,体つき,頭の形,歯,動脈パターン,筋肉,内臓,心的能力と次々に示している,
人種については家畜の品種に似ているところもあるが,繁殖が制御されているわけではなく,むしろ非常に広い分布を持つ動物の地域的な変異に似ているとコメントしている.


何故このように変異があるのかについては「わからない」としながらもいろいろと考察している.
今日的にはあまり意味はないところだが,ある種の発達阻害にかかるものとか,先祖返りにかかるもの,変異間の相関とかの考察は,何もわからなかった時代に,それでもな何らかの法則がないかと手探りしている努力を感じさせるものだ.


次に自然淘汰の第二の前提,「生存競争」もヒトにあるのか.
ダーウィンはまずヒトの繁殖率について考察している.基本的に繁殖率は1より大きくて,文明人の方が(今日的には産業革命以降の萌芽という意味になるだろう)栄養や授乳期間の短さなどから繁殖率が高いようだと考察している.
いずれにしても,文明以外の世界に子殺しや堕胎の風習があるのは,子供全員を育てることが難しいという認識があったためだろうと推測し,基本的に繁殖率はリソースの欠乏によって抑えられていたはずだ,すなわち生存競争があったと議論している.これは「種の起源」でゾウのような繁殖の遅いものでも指数関数的に増える以上必ず生存競争が生じると議論している以上当然の結果だ.(この議論の冒頭でもアメリカ合衆国の現在の人口3000万人が今の増加率で増え続けると657年後には地球上すべての陸地で1ヤード四方に4人生存することになるというオイラーの計算結果を紹介している)


ダーウィンはヒトにも変異があり生存競争があったのだから自然淘汰が働いたはずだと結論している.
そしてここから様々な適応形質だと考えられるものを考察している.


ここで面白いのは,知的能力や脳の大きさから始めずに直立歩行から始めていることだ.
ダーウィンは正確にものを投げること(投擲能力がもっとも最初に取り上げられているのも興味深い),道具作りができることは非常に重要だっただろう,そして二足歩行は手を空けて移動できるための適応だろうと議論している.これは今日ではあまり人気のない仮説となっているが,二足歩行がどういう適応だったかについてはなお決着しているとは言い難い問題であり,当時としては説得的な議論だっただろう.
ダーウィンは,さらに顎の小ささ,脳の大きさ,体毛がないこと,尾がないことという順序で取り上げる.(この順序はいかにもダーウィンらしい)
脳については機能対比単位重量あたりではアリの脳が最も優れているだろうとコメントがあって面白い.(アリの脳についてのコメントは性淘汰に知性が必要だという考えのプロローグなのかもしれない)体毛については熱帯での暑さへの適応という説は,ほかの類人猿も熱帯性であること,もっとも日光にさらされて熱くなりそうな頭に毛が残っていること(これは直射日光を遮る機能としてありそうなことだがダーウィンは頭髪があると単により熱くなるだろうと考えていたようだ)から採り難いとし,性淘汰で説明するほかないとしている.


ダーウィンはここで一般的な注意として,何が適応であるかを考えるのは難しく,ある形質がどんな役に立っているのかについて我々は非常に無知なので注意深く考えなければならないと注意している.また形質が安定していることは,ある淘汰圧がかかり続けていることによる可能性があることにも触れている.ここはダーウィンの考えの現代性を示しているように感じられる.


また集団のための形質の議論がここでちょっとされている.
ダーウィンはわかりにくい言い回しをしているが,少なくとも個体にとって不利でなく集団にとって有利な形質は,個体に間接的に利益をもたらすために自然淘汰により選択されるといっているようである.(個体にとっての有利不利というのが誰に対してかと言う微妙な問題はあるが,その集団内で個体に不利でなければという意味なら,ここまでは完全に正しいだろう)そして社会性昆虫の様々な形質はそれで説明できるとしている.(ここはちょっと苦しいかもしれない.なおこの選択の単位に絡む議論は次章でもっと詳しく取り上げられている)
ダーウィンは「高等な」社会性動物において,まったく集団のためだけに有利な形質は見あたらないとしている.しかしヒトの知的能力はその例外であり,後の章で詳しく考察すると予告している.


本章の最後でダーウィンは人間は弱くなってきたのではないか,それは自然淘汰と矛盾するのではないかという問題を取り上げている.ダーウィンは肉体の強さだけからみれはそういう部分があるかもしれないが,ヒトの進化においては知的能力と社会性によってそれは完全に補償されているだろうと主張している.ここも自説に不利なところをしらみつぶしに議論しようというダーウィンの姿勢がよく現れているところだろう.