ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第6章

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

The Descent of Man: The Concise Edition

The Descent of Man: The Concise Edition



第6章 人間の近縁関係と系統について


さて第6章ではダーウィンはヒトのついての系統的な起源をより具体的に示そうとしている.
まずダーウィンは,生物の分類について,それは系統関係を反映すべきものであり,収斂の問題のある適応形質ではなく,相同形質に基づく分類が望ましいと主張している.これはおおむね「種の起源」でも主張していたところだ.


ではヒトはどのように分類されるべきか.
ダーウィンはヒトの身体の構造は哺乳動物と共通で相同なプランに基づいていることを強調し,精神能力が突出しているからという理由で,他の動物と隔絶した地位(極端な議論は人間界,動物界,植物界に3部するという分類学説まであったようだ)に分類すべきでないと主張している.脳のような適応形質を多く含む単一器官を元に分類すべきでないという主張であり,系統を元に分類するという立場からは説得的だ.


ヒトが類人猿と同じグループに分類すべきであるという主張にダーウィンが使っている形質は面白い.それは腕の毛の流れだ.ダーウィンは類人猿において毛の流れが肩から肘へ,手首から肘へとなっている(ほとんどの哺乳類では単に肩から手首に向けて流れている)のは,手で樹上の枝をつかんだりする習性を前提にして雨が流れ落ちる向きだといい,ヒトにおいてはそれが痕跡として残っていて系統の判断に使えると議論している.もっともダーウィンは様々な留保をつけて慎重だ.
最終的なダーウィンの判定はヒトはアフリカの類人猿にもっとも近縁で,独自の「目」にすべきではなく,「科」あるいはせいぜい「下目」だろうというものだ.発祥地はアフリカだろうというのは慧眼だが,その起源は始新世までさかのぼれるかもしれないとしている.さすがにここは時代の限界だろう.チンパンジーとゴリラとヒトの系統関係をダーウィンが知ったらどのような感想を持つのかは興味深いところだ.


ダーウィンはもっと大きな系統樹についても解説している.脊椎動物に近縁なのはナメクジウオとホヤであるといい,また鳥と恐竜をつなぐものとして始祖鳥も紹介している.


最後にダーウィンはヒトの仮想的な祖先がどのようなものだったかを議論している.これまであげてきたヒトと動物が連続している性質についての整理という趣向だ.
面白いのはヒトの男性にみられる乳首についての考察だ.まずこれが雌雄同体であったことから由来しているのかどうかを問題にしている.そして両生類以降雌雄同体の生物はみられないことからそれを否定し,メスの適応形質がオスにも発現しているという解釈をしている.しかし最後にちょっとした留保があって,哺乳類の祖先が雌雄同体でなくなった後もオスが授乳していたことがあるのではないかという考えを述べている.オスが子の世話をすることは他の動物(ヨウジウオやハト)にみられるし,痕跡的というには機能を維持できているのではないかという議論だ.


ダーウィンは,自然淘汰により,多くの形質は複雑化し,ある意味での進歩向上をしてきたのだといいつつ,だからといって複雑でないものがすべて取って代わられるわけではなく,古い形態のものでも競争の厳しくないところでは生き残ってけるのだとコメントしている.これはなぜすべての生物が進歩してしまわないのかという批判があったためだろうか.

最後にダーウィンはヒトの祖先が動物であることをどう受け止めるべきかについてコメントしている.ダーウィンはそれを恥じることはないのだという.最も下等の生物でも無機的な塵に比べればはるかに複雑であり,そしてその構造を知れば知るほど感銘を受けるのだと主張している.

Thus we have given to man a pedigree of prodigious length, but not, it may be said, of noble quality. The world, it has often been remarked, appears as if it had long been preparing for the advent of man; and this, in one sense is strictly true, for he owes his birth to a long line of progenitors. If any single link in this chain had never existed, man would not have been exactly what he now is. Unless we wilfully close our eyes, we may, with our present knowledge, approximately recognise our parentage; nor need we feel ashamed of it. The most humble organism is something much higher than the inorganic dust under our feet; and no one with an unbiassed mind can study any living creature, however humble, without being struck with enthusiasm at its marvellous structure and properties.

これは進化という事実の受け止めに関するダーウィンの考えということだろう.