ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第8章

ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)

ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)

The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex (Princeton Science Library)

The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex (Princeton Science Library)


ダーウィンは第6章まででヒトが進化の産物であることを示した.そして第7章で人種の問題を取り上げこれが自然淘汰だけでは説明できないといい,性淘汰について説明すると宣言し上巻を終えている.そして性淘汰を説明するために上巻の倍はあろうかという分厚い下巻に突入する.これが人種差別問題で掛け金が高かった問題に対するダーウィンの渾身の説明と言うことになろう.ともあれ性淘汰はそれ自体大変面白いトピックだ.ダーウィンの説明を丁寧に見ていこう.


第8章 性淘汰の諸原理


さて性淘汰を説明するときにどこから始めるかというのはなかなか興味深い.(ダーウィンは「種の起源」において自然淘汰を説明するときには家畜の変異から始めている.これは現代から見るとなかなかユニークだ.)


ダーウィンは本書において,まずオスメスで形態に違いがあること,そのうち繁殖に直接関係しないように思えるもの,つまり二次性徴において性差があることから始めている.


ちなみに手元にある概説書がどのような順序で始めているかみてみると,長谷川眞理子先生はおおむね性差の存在から始めていてダーウィンの伝統を継承している.ピアンカは配偶を巡る競争から,クレブスとデイビスはオス,メスの定義,メスの方が通常希少資源であることから始め,伊藤,山村,島田,粕谷先生の本では精子数と卵子数の違い,繁殖成功の分散の性差から始めている.


理論的にはオスメス間の競争のあり方から始める方がすっきりするだろう.しかしまずそもそもそのような淘汰にかかる形質が確かにあると読者を説得したい場合には形態の性差から始めるのが良いのだろう.



<様々な二次性徴>
ダーウィンはこのような二次性徴には様々なものがあるが,繁殖や生活様式の違いにまったく関係しないような形質がみられることに注目すべきだと指摘する.要するに生活様式の違いなら自然淘汰で説明できるが,そうでないものは自然淘汰では説明できないと考えているということだ.
特に面白いのは攻撃・防御の武器のような形質,攻撃的な性質,飾り,音の発生装置,匂いの発生装置だという.そして飾りや音についてはメス側の区別する能力が必要であり,それはなかなか信じてもらえないかもしれないが,これから示していきたいとしている.メスの好みが淘汰を作るというのはなかなか受け入れられないかもしれないとダーウィンも覚悟しているところがなかなか面白い.


<オス間の競争の存在>
さてまずダーウィンが示そうとするのはオス間に競争が生じるようになっているという事実だ.現代であれば,実効性比からメスがより希少資源であるという説明になるところだ.
ダーウィンは多くの例を挙げている.渡り鳥はまずオスが渡ってきてなわばり争いをすること,鮭やアマガエルでも交尾を巡って同じようなことがみられること,多くの昆虫でオスが先に孵化してメスを待ち構えることなどだ.


<競争の理由 性比>
ここからダーウィンは自然は実際に性比がオスに偏っているのかということを問題にしている.(この問題については章末に詳細な補遺がある)ダーウィンは最初はそう考えたが,証拠を集めてみるとなかなかそう断言するのは難しいと認めている.そして仮に性比が1:1でも一夫多妻なら問題なくオス間の競争が生じるだろう,さらに一夫一妻でもより良いメスを選ぶという形でオス間の競争で勝った方が有利になるだろうと述べている.
なおダーウィンはここで問題になるのは大人になったときの性比だとし,出生性比ではないことを説明している.これは現在の「実効性比」の考え方の萌芽ともいえるもので,ダーウィンの考えの深さを示しているところだ.ただ残念ながら真の実効性比にまで考えがいたっているわけではない.


<競争の理由 配偶システム>
またダーウィンは配偶システムと二次性徴の強さに関連があることにも気づいている.ゴリラ,シカ,ウシ,ヒツジ,ライオン,アザラシ,コクホウジャク,キジなどの性差を上げているが,マガモクロウタドリなどは例外だと記している.コクホウジャクはアンダーソンの実験で有名なアフリカの鳥だが,ダーウィンの頃から典型的な性的二型種だと知られていたことがわかって面白い.また,多くの一夫一妻制の鳥のEPCの実情をダーウィンが知ったらどう思うかも興味深いところだ.(ヴィクトリアン朝の英国紳士としては眉をひそめざるを得ないだろうが,マガモの性的二型性を説明できると喜ぶのかもしれない)


<競争の結果の意味>
さらにダーウィンは競争に勝てば必ずメスと交尾できるとは限らない.メスはメスでより美しいオスを選ぼうとするだろう,そして美しいオスと同時により元気で活発なオスを選んでいる可能性があるとコメントしている.このあたりはダーウィンの観察の鋭さを示しているところだ.また同時にウォーレスの反対論への反論だと思われるところだが,なぜそういえるのかの説明がなく,なかなか理論的にはすっきりしているとは言い難く苦しいところだ.



<なぜオスなのか>
ここまでダーウィンは自然の中に事実としてオス間の競争があることを示してきた.ではなぜメスではなくてオスなのだろう.
これを課題として認識できているのはダーウィンの鋭いところだ.ダーウィンは,花粉と種子では花粉がより小さく運動して動いていかなければならないことからそのような傾向が系統的に保存されたのではないか,あるいは一般にオスの方が変異が大きいことなどが関連するのではないかと指摘している.着眼点としてはなかなか鋭いだろう.さすがにこれについてはこれ以上は考察できなかったようだ.


<その他の諸問題>
この後ダーウィンは様々なことを取り上げている.

  • 性役割逆転種があることをまず取り上げる.ただし説明はここではしていない.
  • 両性双方から選択されていると考えられるのはヒト以外にはないだろうとコメントしている.ヒト以外にないだろうと考えるのは,両性の好みが異なるような心的能力が発達している動物はいないだろうということと,オスは通常交尾の機会あればどんなメスとも交尾するということが観察されるからだとしている.

心的能力についてヒトを特別視するのはダーウィンの限界だとしても実際にそれで目立つ形質が両性に発達している動物は確かにあまりみられないようだ.一夫一妻で子育てをオスも行う動物であれば可能性がないわけではないが難しいのだろう.

  • オスの戦いは力だけでなく魅力の誇示とみられるものがあることにも触れている.ダーウィンはさすがにこのことの進化的な解釈は示していない.ハンディキャップシグナルによる互いの力のアセスメントという理解は1990年代までできなかったのだから無理はないところだ.
  • 飾りのような形質にはどこで歯止めがかかるかということも議論している.ダーウィンはメスの好みによる淘汰には限界がないことにも気づいていたのだ.基本的には自然淘汰との綱引きになるとダーウィンは考えていたようだ.これはフィッシャーの説明通りだ.


<遺伝について>
ダーウィンはここで遺伝様式についても議論している.なぜある性にだけ発現するのかというのは非常に興味深い問題だったのだろう.ダーウィンは様々な例を取り上げて自説のパンジェネシス説ではどう説明できるかを示している.ダーウィンの時代には遺伝子の本質もホルモンによる性的性質のスイッチも知られていなかったのでここの説明は現代の知識からみると混乱に満ちている.
しかし良く読んでみると,結局ダーウィンのパンジェネシス説の要点は,遺伝形質は何らかの小さな物質に込められ,それは個体発生の際に何らかの仕組みによって発現していくのだということであることがわかる.ジェミールが体細胞から精子卵子に潜り込むと考えたのは間違いではあるが,(用不用を認めるなら不可避でもある)それ以外は的を射ていると言えばそう評価できるだろう.観察されることを説明しようという努力が窺えて興味深い.


<まとめ>
最後の性淘汰の原理のまとめとしてダーウィンは性淘汰形質が複雑であることを強調している.
特に性淘汰過程は,オスの持つ愛の情熱,勇気,競争意識,メスの持つ知覚能力,趣味,意志などに依存していること,一般に性淘汰の力の方が自然淘汰の力より強いであろうことを理由としてあげている.



様々な綱に属する動物の雄と雌の数の比についての補遺


ダーウィンは動物の性比について膨大な調査を行っている.必ずしも美しい結果が得られたわけではないが,興味深いところがあると考え,ここで補遺という形で公表している.


まず家畜について膨大な調査がある.これは出生性比を調べたもので,種によっては10万を超える標本数があるものだ.その結果は出生性比はおおむね1:1であるということだ(ほとんどの場合性比は0.9から1.1のあいだにあり0.95から1.05のあいだに多くが収まる)
これとは別に多くの野生動物についての観察報告がある.これには様々な報告があるが大きく性比がずれているものも多い.後付で考えるとこれは実際の性比ではなく観察されやすさに性差がある(より隠れているとか,生活場所が異なるなど)ことを示していると思われるが,当時としては真偽はよくわからなかったのであろう.(ダーウィンも捕獲されやすさや観察されやすさが異なる可能性があることは認めている)
私もバードウォッチングをしながらカモの性比を観察したことがあるが,確かに場所によって大きく性比がずれていることが良くあるのは確かだ.実効性比を観察で調査するのはなかなか難しいということだろう.


ここでダーウィンは性比の進化について取り上げていてなかなか興味深い.


ダーウィンは性比が1:1から遠く離れた場合にどのように自然淘汰がかかるかを考察している.
最初にある性比の中に産まれてしまった個体にとって有利不利はないとしながら,次の段落では一旦オスが非常に多くなった集団の中ではメスを多く産む個体は子孫の数において有利になるだろうと議論している.つまり「あるメスがどのような性比で子供を産むか」という性質が自然淘汰にかかるということを見抜いている.事実上フィッシャーの議論を60年先取りしているように思われる.通常性比にかかる淘汰については進化ゲーム分析の先駆けでフィッシャーの業績とされているが,ここを読む限りダーウィンの業績とすべきように感じられる.


ただ残念なことにダーウィンは,この後で性比の議論と,メスが限られたリソースを,子の「大きさ」と「数」というトレードオフのあいだでどう使うべきかというリソース配分戦略の議論を混在させて,明瞭さを欠いてしまっている.
最後にはリソース配分の問題だけ分離して,それがトレードオフであることを正確に指摘しているだけ(この部分はその後のr淘汰とK淘汰の議論の先駆けだと評価できるだろう)に,性比についてもそうしていればと残念だ.



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