「The Evolution of God」

The Evolution of God

The Evolution of God


ロバート・ライトによる宗教を文化進化的に考えてみようという大著である.ロバート・ライトは寡作のサイエンスライターで,1994年という早い時期に「モラル・アニマル」という進化心理学の一般向け啓蒙書を書いたことで知られる.その次の著作は2000年の「Non Zero」.これは人間の歴史をノンゼロサム的な状況の拡大の歴史として捉えてみようという野心的な書物で,狩猟採集民族からグローバルな経済社会まで,ノンゼロサム的な状況に対して協力的な解決策がとられてきたことを見ていくというものだった.なかなか面白い書物であったが,最後の2章で,集合的な意識とか,自然淘汰というプロセス自体が何らかの選択の結果である可能性だとか,もう一段上のレベルで見たときの進化の目的とか,神や宗教について煮え切らない混沌とした考えがいろいろ書かれていて,興ざめした覚えがある.恐らくそのようなフィードバックはライトにも伝わっていたであろうし,本人もこの部分に満足していていたわけではなかったのだろう.あれから9年,ロバート・ライトは一神教についてのリサーチと理解を深め,ついにこの本「The Evolution of God」を著したということなのだろう.


というわけで,本書はアブラハム一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教は聖典を一部共有するする一神教であり,まとめてこう呼ばれる)がどのように成立し,どのように変化し,どのように成功していったのかについて進化的なアプローチを使って記述されている.考えてみるとほとんどの民族は多神教をまず信じるようになるようで,これはある意味でヒューマンユニバーサルに近いのだろう.ではなぜユダヤ民族は一神教を信じるようになったのか.(これが2000年前にいかに奇妙な考えだったかは古代ローマ史の本を読むとよくわかる)そしてユダヤ教キリスト教イスラム教を生みだすのだが,生みだされた両宗教が驚くべき成功を収め,適応放散を遂げているのはなぜなのだろう.本書は488ページかけてそこを説明してくれるのだ.


そしてロバート・ライトは,「ユダヤもキリストもイスラムも,それぞれのおかれた環境に対し成功する教えが淘汰を生き残り,変容してきたのだ.そしてその環境の最大の部分はノンゼロサム的な状況がどのようにあったのかが中心だ」という主張を,本書を通じて行っている.そしてそれは極めて説得的だ.


最初は狩猟採集民のリサーチから,原始的な宗教がどのように成立するのかから始まる.(なお巻末の付録で宗教そのものについての進化的な説明も試みられている.おおむねアトランやボイヤーの議論と同じであり,宗教は進化的な心の副産物であり,ミーム複合的な側面も持つという考えのようだ)基本的には「何故災いが生じるかの説明」と「どのようにすればそれをうまく処理できるのかという方針」の二つが重要であるということだ.そしてその後者の要素から,互恵交換を行うイングループ(つまりノンゼロサム的状況)の拡大という歴史が生まれるという説明になる.
シャーマンが生まれ,政治が宗教に組み込まれる.(ここでシャーマンと株式アナリストがそっくりだという皮肉があって笑える)農業が始まり,分業社会になると,首長は神の代理人になる.そして統治の有効な方策として宗教はモラルを持つようになる.また部族は他の部族との競争の中にあり首長が無限に搾取できるわけではない.この競争を通じて,より経済的に成功し,社会的に協力的になれる宗教が生き残る.
部族が統合されると,より大きな社会の中で協力が必要になり,それぞれの神が生き残り,分業体制になる.このようにして古代国家の宗教は多神教でモラルを重視するものになる.これがバビロニアから古代ローマまでの歴史だ.


では一神教はどのようにして成立したのか.ライトは旧約聖書を書かれた年代順に読んでいくことでその成立過程を推測している.ヤハウェは最初はごく普通の多神教における人間くさい神であった.カナンの地にたくさんあった部族が統合して行くにつれて,北イスラエル「エル」神と南イスラエルの「ヤハウェ」神が統合し,さらにフェニキアなどの外国との交易およびアッシリアという共通の敵の存在というノンゼロサム的な状況から互いの神を認め合い,多神教信仰における主神となった.(ライトは恐らくバアル神の要素も統合されただろうと書いている.これは信者にとっては結構なスキャンダルだと思われる)
そして他国から搾取されるだけと考える人が増えると,預言者ナショナリズムの流れが生じて他神に対して排斥的になる.(ライトはこれは現代でもグローバル経済についての意見の相違として同じ状況があるとも指摘している)大国の影にある小国イスラエル地政学的状況に応じて,このよりゼロサム的な不寛容の流れとノンゼロサム的な寛容の流れは循環しながらヤハウェは多神の中の主神として存在し続けるが,バビロン捕囚により決定的な一神教に変容する.ユダヤ民族にとっては何故ヤハウェがいるにもかかわらず捕囚の辱めを受けなければならなかったのかが説明できなければならない.そしてバビロニアの主神マルドゥックの方が優越するからという説明は耐えられなかった.そこで,これはヤハウェ以外にも神があるということを信じたことに対する罰であり,ヤハウェユダヤ民族の罰のためにバビロニア帝国を動かせるほど全能なのだという説明にすがったというのがライトの説明だ.ここで他神の存在を認めない一神教が成立する.そして神は最終的にはユダヤ民族の復讐を成就させる,つまり軍事的に成功させるだろうと考えられたということになる.これが一神教の救済の原始の姿だ.


ライトは環境によって寛容になりうる例として1世紀のフィロンユダヤ教解釈をあげている.フィロンローマ帝国のエジプトに住むギリシア語話者であるユダヤ人であり,神の存在を抽象的に捉え,異教の人々の信仰もリスペクトするという姿勢でカリグラ帝への陳情団に加わっている.ライトは片方でこれはギリシア哲学の影響であり,神をロゴスと捉えていて,科学と親和的であると指摘しつつ,その方向への推進力たる環境としては,帝国という存在はノンゼロサム的な状況を大規模に作るので宗教も寛容になるのだと主張し,キリスト教の説明に移る.


ライトは新約聖書も書かれた年代順に再構成してキリスト教の変容を追っている.ライトによるとイエスは伝統的でごく普通のユダヤ教預言者であり,貧しい人々を癒しシャーマン的な奇跡を見せ,神の王国の到来を預言した.イエスの新しいところは貧しい人々を支持基盤にしたことだけであり,神の王国はイスラエルの軍事的成功を意味していたという.
そしてキリスト教を真の意味でキリスト教にしたのはパウロだという.パウロはいわばローマ帝国内でどのように教会フランチャイズを広げるかを追求したビジネスマンだという.彼は教会を疑似家族の相互扶助組織とし,フランチャイズの統治のために兄弟愛を強調した.パウロの手紙はCEOから各支部への指示として読むとよくわかるという.ローマ帝国内で信者ベースを広めるためにユダヤ的なものは捨て,民族平等主義を打ち出し,コアヴァリューとして「愛」を強調したのだ.そして運営者には様々な便宜(場所,情報,兄弟としての相互扶助など商人にとっての利益がポイント)を提供してその土地のエリートを引き入れようとした.ローマ帝国が巨大な商業的利益の機会を商人に与えていたということが背景にある.
さらに相互扶助組織としてチーターを排除する仕組みも作っている.要するにまずインナーサークルに入れて正直者を残すという方法でノンゼロサムの輪を広げたのだ.また弱小教団として敵を作る余裕はないので「汝の敵を愛する」ことを説く.
そして救済はイスラエルの軍事的成功から魂の救済に変わる.もともと地上に神の国がすぐ具現するという教えだったものが,なかなか具現せず,神の国が現れる前に死んだ人はどうなるのかという疑問が生じ,皆,道徳的条件を満たせば死後すぐに天国に行けるのだというように教えは変容した.
片方で人類は農業革命以後,自分の欲求に従うと自己を破壊してしまうかもしれない状況に生きるようになり,それも含めた「罪」からの救済が問題になってくる.そしてパウロはイエスの磔を罪からの救済と愛の物語に解釈しなおした(これにより神は許すようになる)のだとライトは説明している.このキリスト教の部分の基本的なテーマは宗教はローマ帝国という環境に適応したということだ.


次はイスラム教だ.イスラム教はユダヤ教キリスト教に比較して短い時間で形作られた.しかしやはり年代順に見ていくと成立経緯が見えてくる.そしてムハンマドは自分と教団が置かれた状況によって他宗教に寛容だったり好戦的だったりしているのだ.
メッカ時代のムハンマドは簡単に言うと終末思想を持った左翼的預言者だった.貧しいものに仲良く暮らすことを説き,金持ちを攻撃していた.多神教下にあった辺境の商業都市メッカから見れば,ビザンチン帝国は先進国でありそこの宗教は魅力的であったためにキリスト教の神と一神教という教義を取り入れたのではないかと思われる.当然ながらメッカの既得権益層からは激しく迫害を受けた.この迫害に対してムハンマドは,信者に対し死後の楽園を約束し,迫害者への罰を請け合う.要するに神が最後は裁いてくれるから今は我慢せよと説いているのだ.(この忍耐を説く時期にムハンマドは一時多神教を認めるような言動もしたという説がある.これが「悪魔の詩」と呼ばれるイスラム教義上の大問題だということだ)
メディナに移ってからムハンマドは政治的な権力を手に入れる.まずユダヤ教徒キリスト教徒の取り込みを図る.だから同じ聖典の民だという説明が行われた.(ブタを食べることのタブーとかエルサレムを聖地にしたことなどはこれに関係があるとライトは指摘している)
後に攻撃により有利に立てる状況が生まれるとイスラム教は好戦化し,メッカを倒し帝国を築くことになる.この途中エルサレムを攻撃するときはユダヤ民族と同盟するが,征服後仲違いする.
ジハードについて,イスラムはあるときは他国へ攻め込むことに肯定的で,あるときは防衛のみとする.これは環境に対応して変容しているからであり,聖典コーランとハディス)の記述は揺れている.イスラム帝国興隆初期には力押しで勝てるという時期があったはずだし,帝国が確立してからは基本的にノンゼロサムの領域が広がり,寛容になったということだろう.


ここでライトは前作と同じくちょっと蛇足的な議論をしている.曰く,イスラムの特徴としてムハンマドは奇跡を起こすわけでなく,「自然の驚異を説明するための神」という後のキリスト教に見られると同じ自然神学的な神の概念が見られるところがある.そして自然淘汰という過程まで含めると,なお自然神学的な神の存在の議論は現代でも成り立ちうるという.また観測にパターンを作る電子の量子論的な解釈とモラルのパターンを作るものとしての神という解釈を比較したりもしている.
イスラムの特徴としては面白い指摘だが,目的論と神の存在にこだわるこの議論はやはり興ざめな部分だ.また「神」という概念があった方がヒトは道徳的になれるのではないかとも示唆されているが,ここも納得しがたいといわざるを得ないだろう.パターンはパターンとして理解すれば十分で「神」という概念が必要だとは思えない.


ライトは最後にもう一度全体を振り返り,一神教にはモラル的に成長する潜在性があり,帝国というノンゼロサム的な領域が広がって一神教はより寛容に道徳的に変容していったのだ,そしてこれからの世界についても,どこまでグローバルなノンゼロサム状況を作れるか,さらにそれを感情的に納得するために互いの動機を相互理解できるかが問題になるだろうということを強調して本書を終えている.


世界のほとんどの民族の素朴信仰は多神教的だ.私は何故世界の片隅でただ1つの民族が一神教を作り出し,それが世界に広がり,多大な影響を与えているのか不思議に思ってきた.この本はその疑問に対して真っ向からチャレンジした結果としての解答を与えてくれているのではないかと思う.10年の歳月をかけたリサーチとその細部の説明が非常に重厚な読後感を与えてくれる.蛇足の部分は蛇足としても,宗教の起源や還元的な説明に興味のある人にはとても刺激的な本だと思われる.


関連書籍


ロバート・ライトの本


Nonzero: The Logic of Human Destiny

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The Moral Animal: Why We Are, the Way We Are: The New Science of Evolutionary Psychology

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同訳書

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