Bad Acts and Guilty Minds 第4章 すべての悪の源 その1

Bad Acts and Guilty Minds: Conundrums of the Criminal Law (Studies in Crime & Justice)

Bad Acts and Guilty Minds: Conundrums of the Criminal Law (Studies in Crime & Justice)


ダーウィンを熟読していて2ヶ月ほど中断していたが,カッツの刑法の本に戻ろう.



第4章は因果関係を扱っている.因果関係は単純な事実の問題のようだが,実はヒトの認知と深く関わっている.この章ではそこをみていこうというのがカッツの趣旨だ.


刑法的にいうと,実行行為があって,意図したとおりの結果が生じてもそのまま罰するということはしない.通常の刑法理論では,実行行為と結果のあいだに「因果関係」を要求する.
アメリカ法でも因果関係は要求されるし,日本法でも明文で求められているわけではないが通常そう解釈されている.


まず,どうしてそれを要求するのかを考えてみようというのが,最初にカッツが提示している問題だ.なぜ実行行為があってまさに結果が生じたにもかかわらずに,私達はある場合には罰すべきでないと考えるのだろうか.


カッツは例によって様々なケースを並べている.中には事実に基づいた込み入ったものもあるが,大体以下のようなケースだ.

  • アンリは砂漠にトレックに行くことにした.アルフォンソはアンリを殺そうと水筒に毒を入れ,ガストンはやはりアンリを殺そうとアルフォンソが毒を入れたことを知らずに水筒に穴を空けた.アンリは砂漠で死んだ.
  • ドイツのある警察署長は,ユダヤ人を収容所送りにして死亡させたことを訴追されたときに,私がやらなくてもゲシュタポが同じことをしたはずだと抗弁した.
  • ジョンはアニーを殺そうと銃で撃った.アニーは病院に運ばれ,死ぬような傷ではなかったが,そこで猩紅熱に感染して死亡した.
  • 強盗に襲われた被害者が驚いて逃げようとしたときにつまずいて頭を打って死んだ.(英米法では重罪=謀殺ルール felony-murder rule というものがあり,何らかの重罪(含む強盗)の遂行中あるいは遂行未遂の行為から死の結果が生じた場合には謀殺とされる)
  • 呪い医師が魔女判別薬(魔女が飲んだときのみ死亡する)を飲ませたところ16人中4人が死亡した.検査したところこの判別薬は毒ではなく,緊張してアドレナリンが異常に出た場合にのみ毒になるものであることがわかった.
  • 1913年.あるオーストリアの大佐はホモであることがロシアにばれてスパイをやらされていたことが警察に発覚した.当時の国際情勢からみてオーストリアは何としても大佐に死亡して欲しかった.警察は大佐を訪問しすべてばれていることを話した.「何かリクエストはあるか」と聞かれ大佐はリボルバーを所望した.警察はそれを渡し,大佐は自殺し,翌日発見された.


何が問題になっているかわかりにくいものもあるが,要するに因果関係が「AがなければBは生じなかっただろう」という単純な問題であれば,最初の2例は殺人ではなく,次の3例は殺人となり,最後のケースも自殺を誘導したということで殺人ではないかということになる.そしてカッツはそれは直感的な私達の感覚と合わないのではないかと問いかけているのだ.


なぜ私達はそう感じるのだろうか.まず私達は既遂と未遂について未遂をより軽く処罰しようとする.つまり邪悪な意図と行為だけでなく,結果を気にするのだ.そして結果を考えるときに,ある種類の結果は未遂と同じで良いと感じるのだ.カッツはこれはヒトの心理がそうなっているからだと主張し,「貢献理論」attribution theory にかかるいくつかの心理学実験を紹介している.


実験はアドレナリンと偽ってプラセボを飲ませて興奮性が伝染する度合いを確かめるもので,込み入ったものだが,結果は明瞭だ.私達は自分の興奮が薬のためだと思うかそうでないと思うかで実際の興奮性が異なってくるのだ.つまり何が原因だと認識するかによって結果に対する感情は変わってくるということだ.
同じような結果は,男性被験者にぐらぐらする橋の上で女性からインタビューを受けた方が,そのインタビューアーに対してより好意を持つ(なぜどきどきしているかを女性のせいだと考えると実際に好意を抱く)というものや,自転車をこいでハアハア言っているほうがよりが簡単な刺激に対してより攻撃的になるのだが,こいだ直後はそれが自転車のためだと認識しているのでそれほどでもないが,しばらくたったときには刺激のためだとより認識しやすくなり,より攻撃的になるという実験などにも現れる.
また面白い実験では,不眠症の薬として同じプラセボを,片方のグループには活動的になる薬だと良い,片方のグループにはより活動を抑えるものだといって与えた場合,活動的なるといって与えた方が,自分の興奮を薬のせいだと認識できてより良く眠れたというものもある.


カッツによるとこのような貢献理論によって,なぜ両親が反対すると恋人達は燃え上がるのか(ロミオとジュリエット効果)を説明できる.両親との諍いによる興奮を愛のためだと考えてしまうからだ.また強制的にやらされる仕事は楽しいと感じないのかということを説明できる.同じ達成感を仕事そのものではなく,強制仕事の終了という原因に当てはめてしまうからだ.


カッツはこの貢献理論を殺人についてこう当てはめている.私達は行為があり,死という結果があった場合に,感情的に高まる.そして行為こそが死の原因だと認識するとこれに対して怒りを感じ罰したくなる,そして偶然だと認識すると怒りより悲しみに感情が動くのだと.


カッツは因果関係を要求する理由を処罰感情に求めている.
これとは別に功利的な説明も可能だろう.つまり刑法は危険な行為を罰することにより世の中をより危険でないようにしようとしているのであり,結果の有無を考える際には,この危険性が通常及ぶ範囲に限定すれば十分だという考え方だ.

刑法の成り立ちからいってまず処罰感情から因果関係を要求するような法解釈ができあがり,後付けで危険性の通常及ぶ範囲という説明が出てくるということだろうか.