「分類思考の世界」

分類思考の世界 (講談社現代新書)

分類思考の世界 (講談社現代新書)


三中信宏による分類思考についての講談社現代新書.これは前回の講談社現代新書系統樹思考の世界」と対をなしていて,その凝った作りは同じく見事だが,前回とはやや趣向が異なる本となっている.それは系統樹思考の場合には,過去の系統を復元するというゴールがはっきりしており,どうやって現在手元にある手がかりからより優れた復元を行うかということに話が収斂していくのに対して,分類の場合にはそもそもゴール自体が明確でなく,議論が拡散してしまう(そして著者はそういうことをふまえて意識的に衒学的な味付けを加えている)というところにあるのだろう.


本書では,まず連続体を切るということはどういうことか,マイアの生物学的種概念がうまくいかない様々な例があることあたりからはじめて,少しずつ生物分類の世界の泥沼に読者を引きずり込んでいく.
その話題は,メタファーとメトノミーが分類思考と系統樹思考に似ているというものから,ジョレントとパバヴェロの公理的な分類の試み,早田文蔵と中尾佐助の多次元分類の試みに移り,さらにリバイアサンの絵から,ルイセンコの種概念と弁証法へと飛び歩く.種分類に進化が絡むところでは,滅びるものへの愛着と生まれ出ずる生命の喜びを歌い上げるヤコブセンシェーンベルクの「グレの歌」が響き渡る.存在するはずのない妖怪に名前がつけられ,ギゼリンは種分類のために形而上学の体系を自ら創設し,エルンスト・マイアはたぐいまれなる政治的な能力をフルに使って進化の現代的総合に合わせて「新しい種概念」の壮大な伽藍を構築する.そして本質的類型学的思考とシステム的弁証法的思考が対立する.


この混沌とした世界のなかを,しかし,噛み締めるように読んでいくとそこから見えてくる構図がある.
生物種を分類することは,進化を考えると,連続体を切ることに外ならない.だからどこかに恣意が残る.また進化することを見渡すとそれは時間軸のなかを変化しながら動いていくので,切り方には何らかの工夫が必要になる.(これがギゼリンの種タクソンにかかる形而上学の構築であり,早田,中尾の多次元分類の試みになる)
これとは関連しつつしかし切り口が異なる問題として「種」は生物個体の集合だから,それ自体がカテゴリーであり,かつ/または個物であり得るということがある.そして分類の前提として「種」というものが実在するかどうかという問題が浮上する.「実在」が問題になったとたんに議論は中世スコラ哲学以来の形而上学に巻き込まれる.(だから「種は実在する」という言説を不用意に用いては危険である)
またさらに別の問題としてヒトの進化的に作られたカテゴリー認知の問題がある.「色」と同じように「種」も私達の心の中にしかないものなのかもしれない.少なくとも私達は物事を進化的に実装されたソフトウェアを通してしか見ることができず,「種」の中に「本質」を見てしまい,純客観的に生物の有り様を眺めることはできない.(民俗誌的種分類と近代科学の種分類が一致しているから種は実在するという議論は,単にヒトの心がユニバーサルだということを示しているだけかもしれない)


三中はこの構図のなか,ヒトの進化的な認知のゆがみから私達は完全に逃れることはできないのだろうと達観し,「実在」を議論するなら確かな哲学的な基盤を持つべきだと説く.そしてしっかり把握できるのは過去から未来に続く一本の系統樹だけなのだと言い,そして片方でヒトの進化的な認知はヒトの心の中に「種」とその本質を作り続けてきたのだから,それを突き詰めようとせずありのままに謎のままに受け入れればいいのだと言っている.
私は「種」と「分類」を巡る厳密な議論としては本書の立場におおむね説得されている.しかし本当にヒトは自分の認知のゆがみを超えることができないのだろうか.そこには少し疑問もある.少なくとも有性生殖を行う生物については様々な特性値に何らかの統計的なクラスターが存在するだろう.それはマイアの言うような生物学的種としての固まりであることが多いのかもしれないし,進化していく個体群としての性質を持つもう少し小さな固まりが多いのかもしれない.厳密に定義はできないだろうが,それを統計的あるいは数理的に捉えることが原理的にできないとは思えない.そしてそのような事実を踏まえて,ヒトの認知のゆがみも認め,多元的恣意的便宜的に「種」を使っていけばいいのではないだろうか.


いずれにせよ本書は,この問題が一筋縄でいかないことを多層的に教えてくれる,凝りに凝った作りの密度の濃い新書である.読んでいるあいだ充実感をもたらしてくれたし,ひさしぶりに「グレの歌」を聴きながら,所々読み返しつつ書評を書くのも大変楽しいひとときであった.



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シェーンベルクの「グレの歌」.
私の好みはブーレーズ盤だ.無調に入る前の後期ロマン派風の大作で,本書では生命の樹のイメージで登場.聴いたことのない人にはわかりにくいかもしれないが,クリムトの絵のような感じとでもいえばいいだろうか.本書における扱いについては唐突感を持つ人もあるかもしれない.しかし私はこういうスノビッシュ振りも結構好きだったりする.

シェーンベルク:グレの歌

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