「The Greatest Show on Earth」 第3章 大進化へのサクラソウの小径 

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


本章の題「The Primrose Path to Macro-Evolution」は人為淘汰から自然淘汰までの理解の道のりを表した言葉だ.ドーキンスは家畜と栽培植物で人為淘汰が効くことがわかったとして,そこから自然淘汰まで,少しずつ連続していることを示そうとしているのだ.そしてその小径にはダーウィンが花の異型性で取り上げたサクラソウにちなんだ章題をつけているのだ.本書がダーウィンに深く敬意を表しているものであることがここでもわかる.


まず最初はヒトを昆虫に置き換える.
ヒマワリの原種は北アメリカで,アメリカの原住民がまず栽培植物として育種し,その後ロシア人がここまで大きくしたことが語られる(これはギリシア正教が降臨節と四旬節の間油を使うことを禁じていたが,(聖書にアメリカ原産の植物の記載がないためだろう)ヒマワリ油は例外とされたため,育種に熱心だったからだと説明がある.このあたりも当てこすりっぽくて面白い)
しかしそもそもヒマワリの花はどうしてそこにあったのか.ドーキンスは送粉にかかる植物と昆虫の共進化を説明しつつ,見方を変えれば,それは昆虫が花を育種したと見ることができるのだと説明する.これはほかの淘汰と異なって,昆虫が直接花の生殖を助けているからわかりやすいという趣旨だろう.
ここではダーウィンへのオマージュとして,有名なマダガスカルのランとその距の長さから存在予測され,実際に見つかったスズメガの話も語られている.


次の一歩は性淘汰だ.雄のキジの美しさは見方を変えればメスが育種したと言える.これもメスはオスの生殖に直接影響を与えている.


次は擬態の説明になる.この肩慣らしに日本のヘイケガニがあげられている.ジュリアン・ハクスレーはヘイケガニがヒトの顔に似ているのは壇ノ浦の戦い以降漁師がヒトの顔に似ているカニを怖がって海に放したからだと説明し,カール・セーガンも「コスモス」の中でこの説明を行っている.これに関するウェブサイトがあって投票が行われているというのは面白い.(ハクスレー/セーガン仮説は31%,カニの写真,あるいはカニそのものがフェイクというのが21%,単なる偶然というのが38%,(驚くべきことに)本当に平家の亡霊が取り憑いたというのが10パーセントだそうだ)
ドーキンスは自分は偶然ではないかと思うといっているが,興味深い例なので取り上げる誘惑に勝てなかったのだろう.(なおドーキンスは日本人が本当にヘイケガニのような小さなカニを食べるのかという話題にも触れて,東京でドーキンスの面前で大きな音を立てててカニをすすった紳士の話をしている.よほど印象的だったのだろう)
そしてヘビに似ている芋虫やハチに似ている昆虫は捕食者を驚かせて食べられないという形で,捕食者から育種を受けていると見ることができるという.



そして最後のピースはアンコウの疑似餌だ.小魚は自らの命を提供することによって疑似餌がよりゴカイに似るように育種したと見ることができる.そして餌をとりやすいということであれば,マグロの筋肉が優れていることや,その体型が流線型であることも疑似餌と何ら変わりはない.そしてこれは自然淘汰そのものだというわけだ.


ここでダーウィンの「種の起源」からの引用がある.

自然淘汰は,毎日,あるいは毎時間.世界中で,それがどんなに小さなものでもすべての変異について,悪いものを拒絶し,よいものを保存し,増やしており,機会さえあれば,寡黙に知られることなく,特定の生物を特定の生物環境,あるいは非生物環境において改善させるように働いているといってもよいだろう.私達は膨大な時を経なければそのわずかな改善を見ることはできない.そして化石記録の不完全さから,私達は昔の生物と現生生物は異なっていると気づくのみなのだ.


ダーウィンは後に「自然」が淘汰するという言い回しが誤解を与えるというウォレスほかの意見を受け入れて「適者生存」という言い方をより使うようになっている.しかしドーキンスはこのオリジナルなダーウィンの説明の方がよりエレガントであって,それをできるだけわかりやすく説明しようと試みているのだろう.第2章と第3章はどこまでもダーウィンへのオマージュなのだ.



人為淘汰から自然淘汰への道を開いたところで,ドーキンスは次に検証の話に移る.これは人為淘汰が効くこと自体が自然淘汰が効くことの検証になっているという視点だ.
そしてさらに統制された実験としてトウモロコシの油成分を上昇させた実験,ネズミの歯を虫歯になりにくくした実験が紹介されている.


そしてでは自然淘汰を受けてきたはずのネズミの歯が何故さらに改善できるのかという問題も取り上げる.もともとのラットが実験用で,歯の質に関する自然淘汰が効いていなかった可能性もあげながら,ドーキンスがここで説明したいのは,自然淘汰のトレードオフについてだ.人為淘汰では,様々な条件を野生とは異なった状態にできるために,トレードオフ平面において野生では不可能なゾーンに動物をおくことができるのだ.


ドーキンスはこのようなサクラソウの小径を説明した後で,イヌと花の話を付け加えている.魅力的な話をここでついでに紹介しておきたかったということだろうか.


イヌについてはレイモンド・コッピンガーの魅力的な理論「イヌは単に人為淘汰の産物ではなく,オオカミがヒトの作った環境に対して自然淘汰として適応した部分がある」を紹介している.つまり,私達が家畜化の鑿を振るう前にオオカミはヒトの直接的な生殖の介入を受けずに「ヴィレッジドッグ」に自らを家畜化し(つまりヒトの集落の周りでゴミをあさるような環境に適応したということ),その後ヒトがこれらの「ヴィレッジドッグ」を飼い慣らし,数多くの犬種になったと考えるのだ.
コッピンガーは,イヌが野生に戻ってもほかの動物と違って原種(オオカミ)のようには戻らないこと(野良犬になるだけ),真のオオカミと二次的に野生化した野良犬ではヒトに対する逃避距離がまったく違うこと(つまりスカベンジに適応している)を論拠としてあげている.なかなか面白い考え方だ.


またベリャーエフのキツネの実験も紹介されている.慣れやすい性質を人為淘汰していくと,わずかな世代でイヌのように慣れやすくなり,垂れ耳や巻尾やブチも現れるという有名なものだが,写真も添えられていて興味深い.


花についてはランの送粉戦略をいろいろ紹介している.これもダーウィンが熱心に研究したもので,オマージュの章には欠かせない話題だろう.


最後にドーキンスは時間について触れている.ヒトが野良犬をペキニーズに変えたのはわずか1000年程度だ.そして魚がヒトに変わるのにはこの2万倍の時間が使えたのだということを指摘している.これは次章への布石になる.