HBESJ 2009 FUKUOKA 参加日誌 その3

 
第2回日本人間行動進化学会参加日誌 大会二日目 その1
shorebird2009-12-25
 
学会二日目.今日の朝は天気も良くて,ホテルそばのシーサイドももち海浜公園など散歩してみる.出島に結婚式場があったりしてなかなかがんばってリゾートしている.
さて学会二日目はシンポジウムからスタート.九州大学ということで巌佐先生が参加された.


企画シンポジウム 「社会的規範の進化的側面」


「評判を元にして人々を強力に導く:間接互恵による進化」 巌佐庸


社会科学では協力的な社会が成立するための条件として「間接互恵」的な事は昔から議論されていた.
進化生物学として協力的な社会が成立するための条件を自然淘汰で説明することは,ハミルトンの血縁淘汰,トリヴァースの互恵的利他で始まり,アレキサンダーが1979年間接互恵を提唱してこれに関しての議論が始まっている.
この「間接互恵」にかかる理論的な最大の問題点はいかにフリーライダーの問題を解決するかというところにある.

これに最初に取り組んだのはノヴァクとシグムンド(1998)で,評判をスコアとして得点化してスコアディペンデントなモデルを作った.そしてウェデキンドたちの実験で,ヒトは他人にドネートしている人によりドネートする傾向があることがわかった.
ここから「社会規範」とは「それぞれのプレーヤーが他のプレーヤーの行為を知ってそれに評判を割り当てるルール」であり,この評判が後にサンクションを通じて適応度に効いてくるのだと定式化できることになる.

すると問題が明確化し,結局どのような社会規範がESSなのかを突きとめればいいということになる.
そこでフィージブルな社会規範の組み合わせをすべてしらみつぶしに調べる.
各プレーヤー(a, b, c, ・・)はそれぞれ評判G(goodかbadの2値)と戦略F(Ga,Gb)(自分と相手の評判により協力か非協力かの2値のどちらかを選ぶ)を持つ.そして社会規範のあり方は本人の評判,相手の評判,本人の行動の組み合わせにそれぞれgoodとbadを割り当てる方法になる.
これをシミュレーションすると以下の8つの組み合わせのみが協力が進化する社会規範として残ることになる.(上2列が条件,次2列が協力が進化する規範,一番下の列は行動戦略)

本人の評判 good good bad bad
相手の評判 good bad good bad
本人が協力の場合に与える評判 good good
本人が非協力の場合に与える評判 bad good bad
最適な戦略 協力 非協力 協力


つまり協力が進化できる社会規範はどちらでもOKの*が3個所あるので8通りということになる.これをよく見ると本人が善で,相手が悪で,選んだ手が非協力の場合(つまり悪いやつに協力しないという手)に評判は「善」でなければならないことがわかる.


これまで提唱されたいくつかの組み合わせはやはりこの制限を満たしている.

例えば

本人が協力の場合に与える評判 good good good good
本人が非協力の場合に与える評判 bad good bad bad
最適な戦略 協力 非協力 協力 協力


あるいは

本人が協力の場合に与える評判 good bad good bad
本人が非協力の場合に与える評判 bad good bad good
最適な戦略 協力 非協力 協力 非協力

などだ.


次にこの評判はどのようにして決められるかという問題がある.1つの方法は他人の評価をそれぞれ個人が行うというもの.もうひとつは社会全体で(横の連絡を行いつつ)決めるというもの.前者の方法では一旦認知エラーが生じたときに意図せずにパニッシュされてしまいシステムとしては不安定になりやすい.だから後者の方がこのような社会規範が成立しやすいと考えられる.
これのインプリケーションはヒトにおける「言語」の機能はここにあるかもしれない(つまり他人の意見を聞き,評判を合わせる,あるいは自分の意見を他人に伝え説得するなど)ということだ.


非常に簡潔で素晴らしいキーノートスピーチだった.
この後の質疑からの議論も大変生産的なもので,まず社会全体での評判形成のダイナミズムが議論された後,「社会規範自体はどのように決まるのか」という問題も議論された.巌佐は,ヒトの本質としてそのようなものがあるにせよ,文化的に決まるにせよ,集団選択的なメカニズムは必要だろうと示唆した後,あまり議論されないが,個人がどの集団に属するかを選択できるかどうかが非常に効いてくると付け加えた.
また最後は言語における,だまし・操作の問題も議論され,巌佐は「自分が善い」という評判をまき散らすすことができればこのシステムは崩壊することを認めた上で,実際にはヒトはそれを非常に気にするようになっていると付け加えた.このあたりもなかなか深い問題がたくさんあるようだ.


「意図せざる結果としての規範の実行化」 高橋伸幸


相互協力のための条件と実際のデータは微妙に食い違っている.そこでそれを埋めるための仕組みを提示してみたいという内容.
まず「社会的ジレンマ」に対する相互協力の条件は,報酬and/or罰だということが言われている.しかしこの報酬and/or罰システム自体が利他行動なのでそれへのただ乗りに関する2次問題が生じ,結局これは無限連鎖し,理論的な解決は知られていない.
実際にヒトのデータをとってみると罰を与える傾向は見られるが,2次的な報酬and/or罰は観測されないし,その有無によって報酬や罰行動が変化することも観測されない.
次に「一般交換」システムについては巌佐発表にあったような「評判システム」が解決できるとされているが,やはり実際にデータをとってみるとヒトは評判をそれほど利用しているわけでもない.

ここでよく考えてみると,このような実験データはランダムに対戦相手を決めてゲームに参加するというデザインになっている.しかし実際にヒトは誰を相互作用するか選択することができることが多いと考えられる.そして誰をゲームをするか自由に選べるデザインにしてデータをとってみると評判が機能することが示された.その際のアンケート調査によれば,参加者は評判を利用しようとしているわけではないが,良さそうな相手を選んでいるということのようだ.そしてこのような無意識の選択が評判システムを機能させ,さらに社会的ジレンマにおいてもゲーム間が連結されて働くのかもしれない.



「罰と報酬を支える心理メカニズムと協力行動に関する実験的研究」 清成透子


協力的な社会を作る条件として報酬and/or罰が指摘されることが多い.そこで問題になるのは利他行為の2次的問題で,罰を与える人や報酬を与える人の利益は何かということだ. 
実際に1回限りの公共財ジレンマゲームを4人集団で行い,その次に報酬,罰ステージを設け,そのような報酬and/or罰を与えたプレーヤーがどう扱われるかを調べた.すると罰を与えたプレーヤーは,次のステージでより罰されやすく,より報酬をもらいにくく,評価もより非好意的になる.報酬を与えたプレーヤーはすべて逆になり,鋭いコントラストを示した.つまりこれから見ると罰を与える人はこのような状況で利益を得られない.
このような結果が,「『非協力者は何もしない』というゲームデザインのために,相手にとって何もしないプレーヤーが非協力者かどうかわからず,罰を与えることが非常に攻撃的に解釈されたのかもしれない」ということが原因であるかどうかを確かめるために,共有地の悲劇ゲームについても行ってみた.その結果,罰を与えるプレーヤーと与えないプレーヤーのその後のパフォーマンス,評価に有意の差はなく,やはり好意的に扱われるわけではないことが示された.
つまり罰を与える傾向は,このような社会状況での評判を通じた利得では説明できないのではないかと思われる.


昨日の渡部幹の発表とも合わせ考えるとなかなか興味深い.そもそも何故私達に罰したい感情があるのかは,なめられないためのコミットメントのみで説明すべきことで,それで協力が進むのは副産物ということになるのだろうか.そうするとそれは制度デザインとしては大変優れているので,農業革命以降の国家では公的制度として取り入れたということになるだろう.あわせ私的制裁を禁じる制度が一般的であるのは協力が進む以外の望ましくない副産物(私的制裁と報復の連鎖など)もあるためだということになるだろうか.「罰」とは何かをなかなか深く考えさせてくれた.
質疑においても,そもそも協力を進める制度としては罰と報酬のどちらが良いのかという議論になり,発表者からは,確かに協力を作る機能という面からだけ見ると罰の方が大きいのだが,罰はかなり大きな脅威であり,アグレシブになり得ることから,社会全体ではあまり適応的ではないのかもしれないとのコメントもあった.

そのほかの質疑応答では,性差についても取り上げられていて,実験者の感覚としては男性は罰にしても報酬にしてもとにかくゲームにおいては何らかの行動をとりたがるように見えるというコメントがあって面白かった.


「Strong Reciprocatorの進化とその理論モデル」 大槻久


これは現在理論的な論争となっているギンタス,ボイド,リチャーソンによるStrong Reciprocatorの進化モデルについて理論的解析を行ったもの.

上記モデルは2000年頃から発表されているが,2006年頃から進化生物学者から異論が出て論争になっているというもの.
まず実験データとして,ヒトは公共財ゲームにおいてナッシュ均衡よりもはるかに利他的に振る舞おうとすることが示されている.

これに対してギンタス(2000),ボイド,リチャーソン(2002)は文化的なグループ淘汰で説明するフレームワークを提示した.これを理論的に解析するとこういう形になる.

  • 遺伝ではなく文化的なモデルであり,協力するかどうかは文化的に決まる.
  • 数学的なモデルは遺伝モデルと同じものであり,子供の数ではなく,考えかたの広がりとして適応度を決めている.
  • グループ淘汰はいわゆるマルチレベル淘汰モデルによっており,これはハミルトンの包括適応度モデルと等価なものである.(ここはやや丁寧な解説がなされていた)


ここでグループ間変異の幅が大きく,グループ内変位の幅が小さくなるような文化伝達様式を導入すると,これは(マルチレベル淘汰と等価である)包括適応度の血縁淘汰モデルで選択されることになり(グループ内ではこの文化要素の血縁度が高くなり利他性が有利になる),この結果として見返りを求めない利他性が進化しうるという結果になる.ボイドのモデルはこれにより二次の利他性(報酬and/or罰のコストを払うこと)を説明できている. 


また進化生物者がこぞって反発しているのはこのモデルの特性というよりも,その後の議論の中で,進化生物学者の「これは血縁社会が通常である中で進化したヒトの心理メカニズムが実験室の環境に対してミスファイアしているのではないか」という批判に対して,ギンタスが「被験者はちゃんと理解していてそんなはずがない」と切り返していることについてであって,「仮にグループ淘汰(あるいは血縁淘汰)により進化したメカニズムであっても実験室では(どのみち同じグループに属する小集団メンバーではないのだから)ミスファイアしているということになるだろう」という議論だという解説もなされていた.


わかりやすい理論モデルの説明だった.




この後の質疑については全体の議論について白熱し,なんと予定時間を45分オーバーすることになった.主に評判の「善」「悪」というラベルと価値の問題,自然主義的誤謬を巡っての議論が中心.
基本は事実から価値が生まれるのか(生まれないだろう)という問題と,何らかの価値を主張するならそれは事実に基づくべきだという議論であり,それに「結局見返りがあるということは善とは判断されない」とか自己欺瞞の議論も絡み,ややすれ違い気味の展開だった.そのなかでは巌佐先生のコメント「先ほど説明したモデルはまだ道徳とは何かまでを説明できるものではなく,それには感情にかかるコストとベネフィットの構造が必要だ.そして道徳についても理論的には分析可能だと考えている」はなかなか鋭く光っていた.

私的な感想としては以下の通りだ.

  • 事実から科学として説明できるのは,協力社会を成立させるための条件とか,道徳感情の起源,そしてその中身がどういうものかというところまでだろう.
  • どんな形の協力社会が望ましいか,あるいはどんな道徳感情がよりのぞましい,あるいは正しいかという価値観は,究極的には事実と独立にあるものだろう.
  • そしてその価値観自体ヒトの進化の産物としての認知心理(道徳感情など)の影響を大きく受けているし,何が正しいかを合理的意識的に判断するためには事実としてヒトがどういう生物であるかということは重要だが,だからといってそれは事実のみから価値観が生まれることを意味するわけではないのだろう.


ここで一旦昼食休憩となった.



これは海浜公園の中のウェディングアイランドマリゾンなる施設だ.



この項続く