「The Greatest Show on Earth」 第8章 あなたは9ヶ月でそれを自分でやってのけたのですよ. その1

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


さて第8章はちょっと趣の変わった章だ.本書は進化があった証拠についての本だが,この章は証拠というよりも「発生」という現象が進化で説明できることを示そうとしている.


まず最初にホールデンのあるレクチャーでのやりとりが再現されている.進化懐疑論者の女性から,何十億年も時間があったとしても,1つの細胞からこんなにも複雑なヒトができたということは到底信じられまないと迫られたホールデンはあっさりこう切り返す.

ホールデン:しかしマダム,あなたは自分1人でそれをやったのですよ,しかもたった9ヶ月で.

これは発生の指令プログラムが進化できるための時間と,そのプログラム自体の進行する時間を取り替えたごまかしと言えばごまかしだが,見事な切り返しだ.ダーウィンも「人間の進化と性淘汰」で魂が進化で生じるはずがないという懐疑論者に,胎児の発生によって魂が生じることを不思議に思わないのはおかしなことだとコメントしていることが思い出される.

ドーキンスも指令するプログラムが進化できるための時間こそが問題であろうと指摘しつつ,本章ではその発生について問題にしていくことになる.


ドーキンスはまず,生物は発生し自ら自らを形作るのであって,誰かに作られるわけではないことを強調する.*1
ここでこの問題はいにしえの前成説と後成説の対立,そして天地創造の際に数千光年離れた星からの光はどう創造されたのか,アダムにへそはあったのかの議論と関連するのだとなかなか面白い議論をしている.


この後はドーキンスのお得意の青写真とレシピの比較だ.生物の発生プログラムは青写真ではなくレシピ型であるので父母双方からの遺伝が可能だし獲得形質は遺伝されないということだが,今回はレシピというよりプログラムという議論になっている.優れたソフトウェア・デザイナーでもあるチャールズ・シモニはこの章のドラフトを読んで,青写真はレシピよりはるかに複雑にならざるを得ないし,それの突然変異はレシピ型に比べていい結果を生みだしにくいだろうとつけくわえている.

なおここでは後成説(エピジェネシス)と間違われやすいエピジェネティックスについて一言「エピジェネティックスは流行の虚仮威し文句で,その15分間の名声を謳歌している.それが一体何を意味しているかについては,信者たちの間どころか,信者自身の中でさえ考えが一致しているわけではないようだが,いずれにしても後成説とは異なるものだ」とコメントしていて,その辛辣さが面白い.*2ドーキンスは十分進化の総合説の中で説明できることをさもそうではないように言い張る言説(古くは断続平衡説から)には,創造論者にややこしく利用されることもあってきわめて辛辣であり,それはエピジェネティックスをことさら自然淘汰を否定するものとして取り上げている一部の学者たちにも当然当てはまるのだろう.


デザイナーによる設計がないとして,後成説が正しいことが自明である(前成説では両親からの遺伝が説明できないし,無限連鎖の問題も解決でいない)とすると,自律的にレシピあるいはプログラムが実行されなければならない.ではそれはどのようになされるのか.ここからが本章の中心主題だ.どのようにすればボトムアップで自律展開する指令を作ることができるのだろうか.ドーキンスは詳細はまだわかっていないが,原理的にはわかっているのだと説明したくてこの1章を書いている.そして確かに魅力的な説明が続いている.


まず「自律的な形成」とはどのようなものか.ドーキンスは「自己組織化」self organizationという言葉はあえて使わずに「自律形成」self assemblyという言葉をつかっている.恐らくこれもこの言葉を使って自然淘汰を矮小化しようとする論者がいるためではないかと思われる.
ドーキンスボトムアップで組み上がった中世のカテドラルというおとぎ話を振ってから,その良い例としてホシムクドリの群れの飛行を紹介している.ドーキンスのいうYoutubeの動画は次のものだと思われる.


http://youtube.com/watch?v=XH-groCeKbE


なかなか大規模で印象的な動画だ.なおホシムクドリ Starling は英国ヨーロッパでは普通種*3で日本では迷鳥としてしか観察例はない.ムクドリ(こちらは英語ではGrey Starlingと呼ばれる)の近縁種で,生態的な位置も習性もムクドリとあまり大きな違いはないようだ.実際にムクドリでも似たような群れの動きが観察できる.私はここまで大規模なものは見たことがないが,もう少し小さな群れ飛行ならよく見かける.


日本のムクドリの動画だとこんなところだ.

http://youtube.com/watch?v=IL1VdHtg_zs



このような鳥の群れの飛行や魚の群れの遊泳はリーダーによって指揮されているのではないことがわかっていて,ボトムアップのルールにより創発する現象だ.これはまさに「自己組織化」として説明されることがあるものでスコット・カマジンの「生物にとって自己組織化とは何か」でも魚の群れについて詳説されている.
ドーキンスホシムクドリの個体の飛行ルールを決めてそれをオブジェクト複製して多数同時にシミュレートするとこのような群れを再現できると解説している.



関連書籍


生物にとって自己組織化とは何か―群れ形成のメカニズム

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私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090609

*1:ここで「すべてが美しく作られた」のではないと,英国国教会の賛美歌の一節が引かれ,そのモンティパイソンの替え歌(醜いものもみな神が作ったという趣旨)が載せられていて傑作だ.

*2:垂水雄二訳では上品すぎてこの辛辣さがうまく伝わらないように思う

*3:アメリカに入植した英国人が,シェイクスピアに出てくる鳥がみなアメリカで見られるようにと放鳥した個体群が侵入種として大成功して北米でも極めつけの普通種になってしまっている.