「The Greatest Show on Earth」 第12章 軍拡競争と「進化的神義論」 その1

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


本書もいよいよ終盤になってきた.第12章はドーキンスが証拠としてあげる最後のものだ.前章では生物のデザインには非知性的なところがあることを見てきた.本章では,生態系,あるいは生物界全体の姿がデザインされたものではあり得ないというところを示そうというものだ.


ドーキンスは,最初に(海中のスモーカー近辺の生態系などの例外を除けば)地球の生物のすべてのエネルギーの源は太陽エネルギーであることに軽く触れてから,樹木の集合体である「森林」という生態系の成り立ちの問題を取り上げる.

ドーキンスの主張は,「森林は草原に比べて太陽光のエネルギー変換効率は同じだ.それが高くそびえているのは樹木の個体間競争による結果であり,森林の樹木全体のエネルギー効率の観点から見ると,その巨大な幹は単に無駄である.」ということだ.ドーキンスはもし森林の樹木が協定を取り決めて守ることができるならそれは低くなることができるが,実際には協定を破ることへの罰がない以上,個別の樹木にとって高くなる利益とそのコストが引き合うところまで高くならざるを得ないのだと説明している.

ドーキンスはそうは言っていないが,状況は囚人ジレンマゲーム戦略的であり,双方裏切り戦略の罠に落ちざるを得ないように見える.ここからドーキンスはデザイナーが生態系の全体効率を考えているならこのような無駄な競争はあり得ないはずだと議論しているようだ.


もっともここは結構突っ込みどころが満載だ.結局創造主がいるとして彼は何を最適化しようとしていると考えるべきなのだろうか?個別の樹木のエネルギー効率ということなら確かに森林を低くデザインするかもしれない.しかしそれで得た余分のエネルギーを何に使うように樹木をデザインするのか?草原の草がそうしているように,結局生存繁殖の個体間競争に使って(例えばより多くの無駄な花粉を作るとか)しまうのであれば,低くした方が効率的だということにはならないだろう.

また創造主は樹木以外の生物のことを考えて森林をデザインしているという反論が当然予想されるだろう.ドーキンスもそれは当然心得ていて,このような議論の歴史は「樹木は人の生活に役に立つように,あるいは人をを楽しませるために神が作った」という考えにあふれているといっている.ドーキンスは次にそういう反論がしにくい問題に進む.それは進化適応によく見られる軍拡競争の問題だ.


ドーキンスがわかりやすい例としてあげるのは,足の速い動物には草原の捕食者と被捕食者の両方があるということだ.*1 *2

ドーキンスが主張しているのは,創造主が作ったとするなら,それはどちらの味方をしているのかということだ.最速ランナーになるためには様々なトレードオフによりコストを払っている.それはエネルギーやリソースの無駄,競争のために増大しているリスクを含む.しかし結局コストの対価を払ってまで得た足の速さによって,捕食者,被捕食者どちらにとっても状況が改善しているわけではない.これは進化が全体のためにデザインされているわけではないことを示しているとドーキンスは主張している.ドーキンスは「創造主はドラマとスリルを見たいサディストなのだろうか?」とまで書いている.


これは進化生物学者が軍拡競争と呼ぶものだ.ドーキンスは,自分がクレブスと1979年に論文を発表したときには1940年のヒュー・コットの本「動物の適応的色彩」に敬意を表して「armament race」という言葉を使ったと述懐している.(つまり英国とフランスが1939年のヒトラーポーランド侵入に対抗してドイツに宣戦布告した直後,第二次世界大戦の真っ最中の時の本だったので,このような軍事関係用語が生物学概念の説明に使われてしまったといいたいのだろう*3


ドーキンスはこのような草食獣の競争は,捕食者と直接競争しているというより,被捕食者同士の競争である側面の方が強いと示唆し*4,結局構図は森林の生態系と同じだと指摘している.要するに生態系全体は,進化的に考えることで理解できるのであり,全体を考えるデザイナーの視点からはあまりに無意味な無用さに満ちているという指摘だ.


ドーキンスはここで,関連して,生態系全体が何らかの協定を守っているようになっているのではないかというアイデアの罠にはまってしまった生態学者を揶揄している.それは「prudent predator」というアイデアであり,ドーキンスにいわせるとツリーハガー(樹木に抱きついて愛撫しているようなイメージだろうか)と呼ばれるお馬鹿な環境保護主義者や「ポップ生態学者」だけでなく,高名なアメリカの生態学者が思いついたということだ.(ドーキンスはここで実名を出していない.それはこの学者が進化ということをまったく理解していないということを暴露してしまったことになるからだろう.邦訳ではローレンス・スロボドキンだと名前を出している)

捕食動物が協定を守るようなことが期待できるだろうか?ドーキンスは「The answer is no. NO. NO. NO. 」と書いている.そしてこれを理解するために本章があるのだといい,自然淘汰の働く仕組みをもう一度説明している.
このあたりは,ウィンエドワーズ以来の素朴群淘汰を否定したハミルトンに始まる現代の進化の理解の根幹であり思わず力が入るところなのだろう.
なお「進化には計画や予見はないのだ」ということについてドーキンスシドニー・ブレナーのコメントを紹介している.ブレナーは「白亜紀に役立つかもしれないタンパク質を作るための遺伝子を遺伝子プールに残しておくカンブリア紀の生物」を想像するように言って「進化の将来予見性の誤謬」を痛烈に皮肉ったそうだ.


ドーキンスは言及していないが,「プルーデントな捕食者」の議論は「狩猟採集民が賢明な資源保護を行うか」という議論にもちょっと似ている.もっともヒトの場合には進化適応と異なって将来を予見できるし,協定を結んで罰を強制することも不可能ではないため,理論的にあり得ないということではない.一般に共有地の悲劇と呼ばれるゲーム戦略の問題になるが,ジャレド・ダイアモンドの「Collapse」などを読むと,将来を予見できたとしてもなかなか賢明に振る舞うのは難しいようだ.



関連書籍


Adaptive Coloration in Animals

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Growth and Regulation of Animal Populations

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これが「プルーデントな捕食者」を主張した本の第2版のようだ.第1版は1961年のようで,この時点ではハミルトンの論文以前だからこのような誤解も無理ないのかもしれない.


Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed

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共有地の悲劇を地で行って崩壊してしまった例,崩壊を免れた例それぞれ取り上げられている.


文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

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邦訳

*1:ドーキンスが最速ランナーとしてあげる5種はチータ,プロングホーン,ヌー,ライオン,トムソンガゼルだが,本当にこの5種が最速なのかどうかについては疑問なしとはしないところかもしれない

*2:加速性能を説明するところでは,時速60マイル(ほぼ時速100キロ)までの加速時間が,フェラーリやポルシェと同等だとしているが,テスラも取り上げられていて,ドーキンスの好みがちょっと窺い知れる.

*3:ここでドーキンスはParhaps significantly, Cott published his book, Adaptive Coloration in Animals in 1940, in the depth of the Second World Warと書いている.垂水雄二訳では「ひょっとしたら意味のあることかもしれないが」と訳していて意味がわかりにくいが,軍事用語を使うようになった背景および言い訳ということだと思われる

*4:誘惑に勝てなかったのだろう,あまりに有名なハイカーとクマとランニングシューズの小話を紹介している