「The Greatest Show on Earth」 第13章 この生命の見方には荘厳なものがある その4

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


ドーキンスによる「種の起源」最終段落へのオマージュもいよいよ最後の文章となった.


from so simple a beginning


ドーキンスダーウィンのこの言葉から生命の起源の話をここでしている.

最初に取り上げるのはダーウィン自身のコメントだ.1871年の手紙でダーウィンはこう書いているそうだ.

「生命の起源の条件は過去も現在もあるといわれる.しかし仮に(非常に大きなIFだが)私達が温かい池の中のその条件(まずタンパク質が組成されるための,そしてさらに複雑になっていくための化学組成,光,熱,電気特性)すべてを理解できたとしても,原初では生き残ったそのタンパク質も,現在ではすぐに消費され消え去ってしまうだろう.(だから現在それを観察することはできないだろう)」


ドーキンスによると,この言葉のポイントは生命誕生の条件とそれが現在では観察できないという推測の2つだということになる.


後者については,創造論者のお馬鹿な反論の最後のもの「生物が自然発生しないというパスツールの実験が正しいならダーウィンも間違っているはずだ」という議論と関連している.パスツールの実験はこの手紙の7年前のものだが,ダーウィンは賢明にも,現在では生命の自然発生は生じないということが,かつて(まれな出来事として)実際に生じたことに矛盾するわけではないことを理解していたということだ.


この後ドーキンスは前者の問題に戻り,現在の主流の考え,RNAワールド説を丁寧に解説している.(これまでの著書で,ドーキンスケアンズ=スミスの粘土説や,火山性環境などの説を紹介しているが,ここでは主流のRNAワールド説を紹介するという形になっている.文章中でも,この説には説得力があるといっており,なお確証はないとしながらも,かつてよりかなりRNAワールド説よりになっているようだ)


最後にドーキンスは生命の起源の条件はありえないものでは困るが,ありふれたものでも具合が悪いということを書いている.それはフェルミの「みんなどこだい」問題に絡むもので,生命の発生が非常に簡単なら,何故私達は地球外生命の訪問を受けたり,電波を観測できないのかという問いに関連するものだ.ドーキンスは,それはある程度以上まれであるので私達は実質的に宇宙で孤立しているのだろうと解説している.もっとも電波に限っていえば,ドレイク方程式で有名なことだが,生命が電波を使うようになるように進化する確率とかそういう文明が存続する期間の問題があるはずなので,ドーキンスにしては詰めが甘いような気もするところだ.


endless forms most beautiful and most wonderful have been, and are being, evolved.


いよいよ最後だ.

ダーウィンはどのような意味でendlessという言葉を使ったのだろうか.beautifulとwonderfulを際立たせるための単なるお飾りの文句という説もあるが,ドーキンスはそれは文字通り,果てしない多様性を意味していたのだろうと主張している.


ドーキンスはバイオモルフ,節足動物進化シミュレーション,軟体動物進化シミュレーション(前者は「The Blind Watchmaker(邦題「盲目の時計職人」)」に,後者2つは邦訳されていないドーキンスの著書「Climbing Mount Improbable」に出てくるものだ)を自分でプレーしたときの印象を語っている.それは何時間やってもまったく飽きない経験であったそうだ.まさに尽きることのない新奇性が常にディスプレーに表れる.これは生物の成体の形を変形させるダーシープログラムとの大きな差だったそうだ.
ドーキンスはこれらの飽きさせないプログラムの要点は,発生過程をシミュレートできることにあるのだろうといっている.発生過程に突然変異が生じ,それが自然淘汰を受けることにより生物は尽きることのない多様性を生み出せるのだ.


またドーキンスはここで,進化性evolvabilityの進化という問題についても触れている.ドーキンスはこの問題について1989年に論文を書いているが,この進化性の本質は発生のあり方にあるのだろうと指摘している.そしてこのような進化性は通常の個体間(あるいは対立遺伝子間の)の自然淘汰にはかからないが,クレード淘汰にかかる可能性があるだろうと述べている.
ドーキンスは淘汰単位のグールドや群淘汰論者との論争の中で,「種淘汰」について「可能性はあるが,累積のない1段階淘汰なのであまり興味深いものにはならないだろう」と「The Blind Watchmaker」(出版は1986年なので,論文より前になる)で書いている.
この進化性の進化にかかるクレード淘汰はまさに種淘汰を含む概念であり,この問題についてのドーキンスのコメントは興味深い.


ドーキンスは最後に,「何故私達は自分たちの存在に気づいたときに,同時に周りにかくも多様な生物が存在することに気づいた」のかという問題についてコメントしている.
それはドーキンスによる生物学版の「人間原理」と呼ぶべきものだ.前著「The God Delusion」で詳しく書いているが,物理学版の「人間原理」は物理定数がちょうど人間にとって都合の良い形で決まっているのは,そのような世界であるからこそ観測者が進化できる環境が生じたのだと主張するものだ.
ドーキンスは同様に,私達が自分自身の存在について気づくためには,多くの多様な生命があって様々な軍拡競争があって始めて進化することが可能になるような感覚系や神経系が必要なのだと指摘している.つまり,自分自身について気づくものは常に周りを多様な生物に囲まれているはずだと議論している.


最後にドーキンスはこういって本書を締めくくっている.

We are surrounded by endless forms, most beautiful and most wonderful, and it is no accident, but the direct consequence of evolution by non-random natural selection - the only game in town, the greatest show on earth.
私達は,最高に美しく素晴らしい,尽きることのない多様な形態に取り囲まれている.そしてそれは偶然ではなく,ノンランダムな自然淘汰による進化の直接の結果なのだ.それは街のたった1つの演し物,地上最高のショウなのだ.*1

関連書籍


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この本がなお訳されていないのは残念というほかない.


Blind Watchmaker

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盲目の時計職人

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人間原理ドーキンスにとってなかなか興味深い問題ということのようだ

*1:垂水雄二訳ではthe only game in townを「考慮に値する唯一のもの」と訳している.原義通り「街のたった1つの演し物」とした方がドーキンスのウィットが良く出るような気がする