「Spent」第2章 マーケティングの天才 その2

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


進化消費者心理学はまだ始まったばかりだ.しかし進化心理学自体には既に20年近くの歴史がある.そして様々な応用が試みられている.ミラーは進化医学,進化精神医学,法の進化的分析,進化経済学,ダーウィニアン政治科学,ダーウィニアン美学,ダーウィニアン倫理学などを例にあげている.
しかし何故ビジネス界はこれを利用しようとしないのだろうかとミラーは問いかける.マーケティング,広告,コンシューマーリサーチ,商品開発どれをとってもヒトの心理と深く結びついている.根拠もあやふやなマズローなどの理論が幅をきかせているのは何故なのだろう.ミラーはこの疑問には直接答えていない.


これはなかなか興味深い問題だ.
まず,おそらくビジネス理論自体が,コンサル業界が企業に売りつける1つの商品であり,マーケティングもその1つだということがあるだろう.そこではまさに営業で成功がきまり,真実かどうかとは別の選別が働いているからだろう.つまりマーケテイング理論を売り込むためのマーケティングというメタ構造になっている可能性がある.(さらに売り込まれるビジネス側も,その理論については企業内でのマネジメントへのプレゼン用途にのみ価値を見いだしているのかもしれない)

しかしすべてのマーケティングが売りつけられたものではない.1つの説明としては,個別のビジネスにとってはある商品をどう売るかだけが重要なのであって,背景の理論の正否にはあまり関心がないということもあるだろう.要するに何が売れるかは直観的に考えるだけで十分だったということだろう.
そういう背景からビジネスとしては仮説検証の体系に関心が薄いのだろう.仮説検証については,日本では技術系以外のビジネスマンの統計リテラシーが極端に低いということもあるだろう.*1
いずれにせよ,これまでのビジネス界の競争の中では,ビジネス戦略について背景理論の正否を問題にして仮説検証を行う企業に競争上の優位性があると認識されることはなかったのだろう.実際に優位性がないのか,単に認識がないだけなのかはやはり興味深い問題だ.


ミラーは上記の疑問を掲げた後,「本書はヒトの本性についてわかっていることから消費行動を説明していくものだ」とここで宣言している.そして生物学系でない読者のために,人の動機についてのこれまでの考え,これまでの文化理論,ポストモダニズム,メディアスタディーなどは一旦忘れて欲しいと断っている.あからさまには述べていないが,これらの理論は人の理解にとっては役に立たないという主張だろう.


本章の最後でミラーは自分自身についてディスクローズしてる.そこでは進化心理学者はよく人種差別主義者,性差別主義者,保守的還元主義者と戯画化されるからだとも言っている.なかなかアメリカの進化心理学者も大変だ.

このディスクローズはなかなか面白いのでちょっと紹介しよう.

私は世俗的ヒューマニストで,戦争に反対する国際主義者で,動物権利を擁護する環境主義者で,ゲイを支援するフェミニストで,多くの社会的性的文化的問題について自由主義者であり,民主党に登録している.つまり,典型的な心理学教授ということだ.
ニューメキシコ大学で教え,そこそこの所得があり,家庭を持つ白人男性だ.だからよいダーウィニアンフェミニストでありたいと思い,国際的視野を持とうとしているが,スリップすることもあるだろう.
文化的には折衷主義で,アンビバレントだ.私は反消費者主義のトーマス・フランクやジュリエット・スコーの本も読むが,エコノミストワイアードも好きだ.左翼ラディカルフェミニストのトーリ・アモスの歌も好きだが,ビジネスの世界にもリスペクトを持っている.プリウスが世の中にあることを評価しているが,実はランドクルーザーを運転している.

ミラーは1990年代にコスミデスたちに出会って進化心理学に目覚めた.さらに2000年頃現代文化におけるマーケティングの力に気づいてこの方面のリサーチを始めたそうだ.そのころはカーネマンのノーベル賞受賞前で,多くの経済学者は消費者の選好は隠れたもので実際の買い物からしかわからないと信じていたため,心理学には興味がなかったそうだ.
ミラーが最初に進化理論とゲーム理論を組み合わせて消費者選好の起源についてシンポジウムを開催したときには,聴衆から経済学者はだんだんいなくなりマーケターだけ残ったというくだりも面白い(彼等は服装からしてまったく違う人たちだったようだ.ビジネスカードの肩書きはCool-Hunter, Frenzy-Mistress, Meem-Seeder, Vice president of Buzzなどと書いてあったという.日本ではここまでおちゃらけた肩書きをみることはないだろう.いやそれとも私が知らないだけなのだろうか).ミラーはそれをきっかけにマーケティング理論も勉強したと言っている.ここでは読みあさった雑誌の一覧(Architectual DigestからTropical Fish Hobbyistまで41誌も並べてあって壮観だ)もあって興味深い.


ミラーの本章の最後の文章もなかなか味のあるものだ.

ちょうどすべての生物学の源に進化があるように,私たちの現代生活のすべての源にはマーケティングがあるのだ.作家はエージェントを持ち,政治家はプレス向けの秘書を持つ.雑誌は読者に情報を与えるためでなく,特定のセグメントの消費者に何かの商品を売るためにあるのだ.すべての大衆文化は監視されていないミームの広がりではなく,周到にデザインされたマーケティングのもとにある.マーケティングを知らなければ,私達はリビングルームにいる象を見落としてしまうのだ.

雑誌の例

Architectural Digest [US] November 2009 (単号)

Architectural Digest [US] November 2009 (単号)

*1:ビジネスで用いられている数字に平均値があることはあっても分散値が出てくることはまず無いし,また統計的な有意性についても無関心であることが(少なくとも日本では)多いように思われる