「淡水魚類地理の自然史」

淡水魚類地理の自然史―多様性と分化をめぐって

淡水魚類地理の自然史―多様性と分化をめぐって


北海道大学出版会の自然史シリーズの最新刊.日本における淡水魚類の系統地理がテーマだ.
淡水魚は河川流域などによって生息地域が分断されやすい.しかし時に流路変更や海から遡上することなどによりその境界を越えて広がることがある.だから系統地理の題材としては大変興味深い動物群だろう.そして本書を読むと日本列島の形成史や分類群ごとの生態により様々なパターンが見られることがわかり実際にとても面白いことがよくわかる.


本書はまず日本における学説史から扱っている.これは遺伝マーカーを使うようになる前の取り組みとして歴史的な興味を引くものだ.日本の淡水魚については大陸の北方起源と南方起源に分け,分類群の系統を推定して渡来年代を考えるという取り組みだったようだ.そして現在ではミトコンドリアの遺伝マーカーと日本列島形成にかかる地学的な知見を総合した取り組みが主流ということになる.


次に日本列島の形成史の概説がおかれている.ここをキチンを解説してくれているのは初学者には大変ありがたい工夫だ.日本列島は2500万年前から形成され始め,日本海の成立,北日本と西日本の形成,回転運動,大陸とつながったり離れたりという歴史をたどっている.津軽海峡が陸化した証拠はないこと,沖縄は170万年前に本土と分かれ,西日本は何度か大陸とつながり,最終的に大陸から離れたのは40万年前,北海道が北方大陸から切り離されたのは最終氷期以降などが重要なところだ.このほか九州の大火砕流時代や,列島の準平原時代と扇状地時代の変遷というあたりはなかなか興味深い.


さらに本書では系統地理学の簡単な解説も収められている.エイビスのミトコンドリアの遺伝子解析と合着(合祖)理論に基づく分子系統学的手法(これはエイビスの「系統理理学」に詳しい)のほかテンプルトンの階層クレード法も紹介されている.個人的には階層クレード法はあまり美しい手法のようには思えないが,まとまった解説はありがたいところだ.


ここまで予習した後でいよいよ淡水魚類の研究例が紹介される.
まず冷帯性淡水魚類.ハナカジカは更新世前期に北方より渡来し,そこで河川流域ごと長期間分断されたままだと推測される.トヨミは大きく二度の渡来があり,最初の集団は陸封型の依存種を各地に残したようだ.
イワナ類では亜種間より河川流域間の方が遺伝的な差異が大きい.これがミトコンドリアの遺伝子浸透によるものか,それぞれ独立に亜種的な形態に進化したのかについては今後の課題ということだ.環太平洋のサケ集団では,日本近海の集団の一部がアメリカに拡散していったらしい.


温帯性淡水魚の系統地理は西日本が何度も大陸と切れたりつながったりしているので複雑だ.
シマドジョウでは3度の渡来の波と依存種.さらに遺伝子浸透が認められる.メダカでは大陸集団と分かれた後大きく3つの系統に分かれている.分布はフォッサマグナと微妙にずれており,複雑な形成史が背後にあるようだ.
アユでは陸封型の琵琶湖産アユの全国の河川域での放流の影響が心配されている.調べてみると,ほとんどの琵琶湖産のアユは子孫を残せない(稚魚の海水耐性がないせいだと思われる)ようだ.両側回遊性のアユは南北2つのグループに分かれている.


興味深いトピックとして遺伝子浸透と単性生殖種の問題も取り上げられている.
淡水魚類では形態や核ゲノムの境界とミトコンドリアハプロタイプ境界がずれていることがよく観察されている.(本書ではチチブとヌマチチブ,ヨシノボリ類の実例が紹介されている)
ミトコンドリアの方が浮動しやすいこと,ミトコンドリアは呼吸効率に関連するので,淡水魚では適応進化に乗りやすいことなどが考察されている.なかなか面白いテーマのように思われる.今後の研究の進展が楽しみだ.
単性生殖種としてはギンブナが取り上げられている.ここで解説されたリサーチによるとギンブナは交雑種起源の3倍体クローン種であり,多元的な起源を持つようだ.植物以外でもこのような現象があるのは興味深いところだ.


この後に総合的な論考が並んでいる.
まず南西諸島の様々な魚類の系統地理が取り上げられている.大きなギャップがどこにあるかは分類ごとに微妙に異なっていて,地史だけでなく,当初隔離後の交雑可能性や生態も大きくかかわっていることがわかる.
最後に新生代の化石と現在の系統地理を総合する試み,分布の歴史の生態的な考え方の総合を目指したいという記事,今後の展望と課題をまとめた論考が載せられている.化石との統合の寄稿は大変面白かった.本書全体を通読して淡水魚類の系統地理というこの分野は現在まさに活発にリサーチされているエリアだということがよくわかる.今後ますます面白い発見がありそうで期待したい.



関連書籍


生物系統地理学―種の進化を探る

生物系統地理学―種の進化を探る

この分野の創始者である著者の大著.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090511


動物地理の自然史―分布と多様性の進化学

動物地理の自然史―分布と多様性の進化学

  • 作者: 浅川満彦,阿部永,石黒直隆,太田英利,大館智氏,押田龍夫,鈴木仁,高橋理,永田純子,前田喜四雄,増田隆一,松井正文,松村澄子,馬合木提哈力克,渡部琢磨
  • 出版社/メーカー: 北海道大学出版会
  • 発売日: 2005/05/25
  • メディア: 単行本
  • クリック: 18回
  • この商品を含むブログ (5件) を見る
同じ北海道大学出版会の自然史シリーズの一冊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060215