「Spent」第5章 消費者中心主義の幻想 その2

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


ミラーは買い物によって自分の質をディスプレーしようとする戦略の有効性の低さについて説明を始める.


私達は友人や同盟者の基準として外見的な魅力,健康,精神の健全,知性,性格の良さを求め,それらを他人にアピールしようとしている.そしてそれが買い物を通じてできるような幻想を抱いている.
しかしそれは実際に効率的な方法ではない.あなたは自分の同僚がどんなものを着ていたかおぼえているだろうか?特別な興味を持っていない限り他人のディスプレーには無関心であるのが普通だ.(友達や配偶者については見ているだろうが,そもそもそのような親密な人については知りたいことは既に知っている)
ヒトは進化的に知りたい情報を会話などで得るように適応している.だから買い物によるディスプレーででっち上げるのは難しいのだ.


このアセスメントのキューは会話,態度,服装などのすべてだ.ミラーは具体例として,ゲーテをどう発音するか,ガイマンの小説をどう議論するか,歩くスピード,タンゴを踊るときにセクシーさなどを上げている.
そして求める手がかりが得られないときに,私達はそれが得られるようなイベントを引き起こそうとする.
要するに,娘のボーイフレンドのことを知りたければ,ステーキレストランで食事をするより,夏の暑い日にバーベキューをしてビールを飲んだ後に,子供や犬や蚊に囲まれているときの方がいいというわけだ.(蚊に刺されてイライラして犬や子供に当たり散らすかどうかがすぐわかる)


ミラーは,このようなフレームで考えると社会的な出会いの儀式(デート,就職面談,パーティ,バンケットなど)はどうしてこんなに長くストレスフルでアルコールがしばしば供されるのかという問題がわかるという.つまりストレスを与えて見極めようとする心理が無意識に反映しているのだろうと議論している.出会いの儀式がストレスフルだというのはその通りでなかなか面白い.


ミラーはこのようなアセスメントは年をとるにつれてうまくなるといっている.ティーンエージャーのデートの相手についての決断が驚くほどばかげているのはそのためだ.彼等は得やすいキュー(外見,仲間内での地位など)に依存してしまうのだ.両親はもっと長期的に役に立つ性格的なキューをより利用することができる.これらは人生の知恵だと考えられてきた.
何故こんなこと(若者のアセスメントが馬鹿げていること)になっているのかは謎だ.ミラーは可能性としていくつか上げている.短期的な配偶でよい遺伝子を得るのに適応しているのかもしれない.あるいは進化的には初潮ははるかに遅かったので,現代の環境に適応していないのかもしれない.あるいは進化的には両親の意向が通っていたので,そちらが適応しているのかもしれない.いずれもあまり説得力はなさそうだ.私としてはEEAではそのようなキューが十分機能していたのではないかという気がする.


しかし20世紀以降マーケターの活動によりこの人生の知恵は危機を迎えているというのが本章におけるミラーの主張だ.

マーケターにとって若い人に「自分自身のことは自分自身で決められる」とすり込むことが重要になった.両親の世代の知恵は古く,ダサいのだ.そしてマーケターは「性格や知性や精神の健全性や倫理性はどうでもいい,そして価値は環境や遺伝によって決まらない」とすり込むことに成功した.

ミラーによるとこれは消費者中心資本主義のブランクスレートイデオロギーだということになる .新しい商品を買うことは古い世代のダサい価値観を打破することになるのだ.
行動科学分野においても,性格分析,知力リサーチ,行動遺伝学などの個人差に関するものをさげすみ,発達,社会認知,神経情報プロセスなどの人に共通なリサーチに焦点が当てられた.
広告は個人差を無視し,自分の欲しいものは商品を買うことによって得られるとすり込んだ.ブランドやマーケティングにおいては個人差は隠された.


ここで本書の主張の面白いところが明らかになる.ミラーはディスプレーを通じて個人差の進化心理学に進もうとしているのだ.


ミラーはここまで説明した消費者中心主義の幻想をまとめている.これは2つのウソから成り立っている

  1. 平均以上の商品を買えば,配偶者や友達を求めるときに,自分自身の平均以下の性質をカバーできる.(確かに47歳の女性がボトックスをすれば,37歳の男性と2回目のデートに漕ぎつけられるかもしれない.しかし年齢はいずればれるのだ.これはその他のどんな性質についても同じだ)
  2. 商品はより良い印象的なディスプレーを可能にする.(もちろん自分の性質にあったディスプレーは効果がある,しかし商品はいつも二次的な関心しか生まないのだ.これは広告においてはいつも巧妙に隠されている)(どんな高いスポーツカーよりもちょっとユーモアのセンスがある方がずっと女性の関心を高められる)


本章の記述だけではみんなマーケターにだまされているのだということになっていかにも浅い記述だ.なぜヒトはそんなに簡単にだまされたのかというところに踏み込まなければ深い洞察にはならない.それは適応度シグナルのディスプレーとして進化心理に刻み込まれている特徴をうまく利用されたからということであり,詳しい考察は次章以降になされるのだろう.


ミラーは本章の最後で,消費者の権利,教育,保護活動でさえこの幻想を助長すると厳しく批判している.
つまりコンシューマーリポートは商品の機能や耐久性をリポートするが,ディスプレーとしての機能については何も言わないということだ.実はディスプレーとしての機能を調べるのはそれほど困難ではないにもかかわらず,それに言及することはないのだ.


もっともここは難しいところだろう.高級車のレポートや口紅のレポートにナンパの成功確率を載せるのは,それが巻き起こす批判を考えるとなかなか踏み込みにくいところだろう.私が知っている限りこのようなレポートである程度成功したものはホイチョイプロダクションズの「東京いい店やれる店」という企画だけのような気がする.


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この本はかなり古いものだが,会員制携帯サイトとしてこの企画は続いているようだ.
参考http://www.bigcomics.shogakukan.co.jp/iimise/