「Spent」第10章 消費者が見せびらかし,マーケターが無視する特徴 その2

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


ミラーは自動車と音楽という例を使って人々が行っているディスプレーのわかりやすい例を示してきた.
しかしそれには信頼性という問題があり,コスト構造が背後にある.


ミラーはここで話題を変えて,マーケターがこれらに気づいていないことを指摘している.実に大金がかかっているにもかかわらず,マーケターの世界にはこのような認識がないのだそうだ.


まずマーケティングの教科書にはまったくこの6要素は出てこない.
そこでは消費行動を決めるファクターとしては,富,時間,知識,行動,価値観,自己認識,動機などが取り上げられ,セグメンテーションとして年齢,性別,民族,社外経済的地位などのデモグラフィック要因に注目するだけだ.


では経営学のアカデミーではどうか.驚くべきことにここでも消費者行動研究者は6つの要素を無視するのだそうだ.

マーケティングマーケティングリサーチの論文誌は3誌あるが,その6400の論文のうち,パーソナリティについて記述があるものは60だけ,ビッグ5について記述があるのは3つだけだ.IQについての記述は皆無だ.また特性の遺伝についても記述もまれだ.
信号理論に基づいて会社がどのようなメッセージを送っているかについて書かれたものは5つ,そして消費者が何を信号として送ろうとしているかについて書かれたものは皆無だ.それどころか,ウェブレンの誇示的消費についてさえ言及がない.

基本的にはコンシューマーリサーチは最近の心理学の発展について行けてない.コンシューマーリサーチの基本的前提は,消費者は自分の自己アイデンティティ,あるいは自己スキーマにあわせるように購入行動をする,あるいはブランドパーソナリティと消費者パーソナリティを合わせようとするというものだ.それは信号ではなく,関係のクオリティとして捉えられている.誰かに何かを伝えようとしているのではなく,自分を何かに関係づけているという理解なのだ.

確かにリサーチャーの中には,消費者は望ましい自己アイデンティティを他人に伝えたがっていると考えているものもいる.「消費者は個人的なあるいは集合的なアイデンティティを作り,伝えるための社会的文化的象徴的美的儀式的方法を強調する.」と考え,特定の文化や集団について観察する.しかしこの理論は科学としてみると,「アイデンティティ」とは何かがあいまい,特に集合的なアイデンティティを示す機能とは何かがはっきりしないし,そもそもヒトの本性についての進化的な考えに敵対的だという深刻な欠点がある.また合理的選択理論,認知心理学,実験デザイン,量的分析と共通のグラウンドを気づくことにも失敗している.

失敗の1つの原因は,有用財と感覚財と地位財を区別しようとすることだ.これは実際には無理だ.というのは儲けようとして作られる消費者製品は何らかの無駄,精密さ,名声を信号として利用しようとするからだ.


このあたりのミラーの舌鋒は非常に鋭い.おそらく大量のマーケティングに関する論文や本を読んだあげくに,その根本のところに大きな穴があるのに誰も気づいていないということにがっくり来ているのだろう.


ミラーはさらになぜこうなってしまっているのかについてシニカルに推測している.3点ほど上げられているが,マーケティングのビジネスとしての事情があるということだ.


1. 「6つの要素は政治的に正しくない」
だから企業社会の中で,自分たちはリベラルで進歩的だと思われたいマーケターはこれを使うのがいやなのだ.
しかしマーケターはやはり政治的には正しくないにもかかわらず年齢や性別やエスニシティでセグメントするのは大好きだ.(例:ドイツ人は野望があり,成功オリエンティッドで競争的,フランス人は新しさとエレガンスを求める・・・・)
すると民族や宗教によって人の知性や性格が異なるというのは,マーケターにとって政治的に問題になる.民族や宗教や性別と6つの要素を関連づけるのは危険なのだ.現代アメリカではグループ間の意味のある心理的な差異についてしゃべることはタブーなのだ.さらにもしそれが有用だとわかったら,ブランクスレート的なリベラルと異なることが明らかになってしまう.


2. 「今までが間違っていたとは今更言えない
今までの知見が非効率だったというのは,ビジネススクールテニュアを狙っている教授陣やコンサルタントにとって都合が悪いのだ.
しっかりとした知見ベースの優れた安定した統合した世界になってしまうと,これまでのような「革新的な」本やビデオやセミナーは儲からなくなる.特に6つの要素は既に心理学の教科書にあふれているためにこれを使っても彼等はパテントを取って儲けることができないのだ.


3. 「6つの要素は退屈だ」
関連する学会のどのミーティングに行っても一般知性やビッグ5の信頼性や有用性が小さな発見とともに同じように繰り返される.これは退屈であり,確実な進歩に沿っているという喜びでもある.
しかしマーケターにとってはありふれた安定した手法ではマーケター間の競争に勝てないと感じられる.彼等は新しくて秘密なものが欲しいのだ.はっきり区分けされた対象に最適にターゲットされた広告を打ちたいのだ.6つの要素はすべて正規分布しているためにそういう美しいキャンペーンは難しい.
また彼等は領域特殊的な用語が好きだ.「コレクティヴィズム」「レファレンスグループの強さ」「コントロールの内的位置」「抽象的嗜好スタイル」など.これらがすべて6つの要素の還元されては退屈きわまりないだろう.


1と3は,マーケティング業のビジネスの収益率としての観点だ.1.については自社の評判に傷がつけば顧客は逃げてしまう.3.の問題も顧客が逃げてしまうという問題だ.
しかしこの1と3はよく考えてみると実は説得力はないように思う.マーケティングは単に顧客が気に入るかどうかでビジネスが決まるわけではない.最後には最終商品がいかに売れるかというところが問題になるし,掛け金は非常に高い.だから年齢や性別やエスニシティでセグメントするのをやめて直接6要素でマーケを打った方が良く売れるのであれば,それは最終的にビジネスで勝利が得られるはずだ.本当に売れるのであれば,退屈かどうかを気にする顧客がいるはずはない.あるいはここにはまだ誰も手をつけていないビジネスチャンスが転がっているのかもしれない.

これに比べて2は深刻だ.ビジネスの成否ではなく,リサーチャーの個人的インセンティブが大きな障壁になっているというわけだ.ミラーはリサーチャーだけでなくマーケティング業界で働くビジネスマンの個人的なインセンティブもビジネスの成否とずれているだろうとコメントしている.彼等の社会的性的キャリア動機は,「エキサイティングでトレンディでクールでありたい」というものであって,会社の株主の利益とは結びついていないということだそうだ.ミラーは「実際に広告は製品からの利益にあまり関連していない.それは会社による潜在的被雇用者,投資家,ライバルに向けた財務的強さのディスプレーとして捉えるべきものだ.」とまで言っている.
これは典型的なエージェント問題でもあり,またいかにもFreakonomics的な話で面白い.


ミラーは次章以降の4章は,6つの要素の中より消費の理解にとって重要な4つの要素(知性,開放性,誠実性,調和性)を見ていくと予告している.