- 作者: 新妻昭夫
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2010/04/10
- メディア: 単行本
- クリック: 19回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
本書はダーウィンとウォーレス*1の往復書簡集である.ウォーレスはダーウィンと独立に自然淘汰学説に到達し,その論文をダーウィンに送ったことが,リンネ協会におけるダーウィンとウォーレスの自然淘汰学説の共同発表につながり,さらにダーウィンによる「種の起源」の執筆のきっかけになったことで知られる.ウォーレスはダーウィンを深く尊敬し,自然淘汰説はダーウィンの業績だと主張し,最後まで自分の業績とはしなかった.2人の間には文通を含め様々な交流があり,意見の相違もあったが,いかにもヴィクトリア朝らしい礼儀正しい関係であったようだ.
本書では,この2人の間で交わされた書簡のうち現在入手可能なものが新妻昭夫により丁寧に注釈されて訳されている.この往復書簡を読んでいて特に印象深く感じるのは,ダーウィンもウォーレスも互いに相手を当代きってのevolutionary thinkerだと認めて,本音をぶつけたやりとりをしていることである.
ダーウィンのまわりにはフッカーやハクスレーもいたが,おそらく自然淘汰にかかる考察についてはウォーレスを最も重要な議論相手と考えていたのだろうと思われる.それはひとつは,自然淘汰について独立に到達したこと,また警告色や動物地理についての業績からウォーレスを高く評価していたこともあるが,もうひとつは,おそらくウォーレスの独特な人柄によるもので*2 ,ウォーレスはどんなにダーウィンを尊敬していても,進化的な議論についてはまったく遠慮なく意見を述べている.このような率直な意見はダーウィンにはとても有用だったのだろう.
2人の間の意見の不一致には,性淘汰を巡る論争,人間の精神の進化を巡るウォーレスの自然淘汰からの撤退が有名だが,そのほかにも様々な論争が書簡でなされている.それでも2人の間には不和は生じず,時に近況報告を交えながら,意見のやりとりが続いている.その背景には,ダーウィンは自然淘汰説についてウォーレスが非常に謙虚な姿勢を崩さないことに感謝していたし,またウォーレスがダーウィンの人柄.学識を深く尊敬していたこともあるのだろう.いずれにしてもそのような2人のやりとりは書簡集をとても温かいものにしている.(私が特に気に入っているのは『マレー諸島』が出版されたお祝いの手紙の中で,ダーウィンが蝶の採集の記述を見て嫉妬を覚えたと書いているところだ)
内容的に私が興味を引かれたのは以下のようなところだ.
- ごく初期からダーウィンは種内多型を気にしていた.単純な自然淘汰では説明しにくいことを気にしていたのだろう.(ヒョウの黒型(クロヒョウ)についてのやりとりがある)
- ベーツ型擬態種のチョウにおいてメスのみに擬態型が見られることについて,ウォーレスは「メスの方が保護の必要性が高い」という理由で説明している.(これは性的二型の鳥類でメスの方が保護色になっていることを説明しようとするウォーレス説と同じ理由付けになる)このウォーレスの「保護の必要性」というのはややあいまいな概念だが,そのポイントは「卵を持つ分,飛翔が緩慢になって補食されやすい,産卵時に補食されやすい」というもので,基本的に「卵を持つ分,捕食者にとって望ましいので補食圧が高い」という現代の有力な考え方とほぼ同じになる.自然観察におけるウォーレスの感覚の鋭さを示しているようで興味深い.
- 『自然淘汰』という用語と『最適者生存』という用語とどちらがいいかという議論において,ダーウィンは「自然淘汰という用語が否定されるかどうかは,いまや『最適者生存によって』決まるだろう」と書いている.これはミーム的な議論の嚆矢と評価できるだろう.
- ダーウィンは遺伝について非常に興味を持ち,実験も行い,深く考察していたが,ウォーレスはここについてあまり深く考察している様子がない.
- 種間雑種の不稔性が自然淘汰で進化できるかどうかを巡って,ウォーレスは群淘汰的な議論で満足しているが,ダーウィンは一旦そういう議論に説得されそうになりつつも,個体淘汰的な視点からどのような淘汰が生じるかを考え直す(そして群淘汰的な結論を否定する)と言うことを繰り返している.ダーウィンは,何が問題なのかについて(残念ながら)明晰な議論はできなかったが,時代を100年先駆けたevolutionary thinker振りをよく示している.(新妻はこれを不毛な論争と評価しているが,私には時代を先駆けた貴重な議論であるように思われる)
- 性淘汰についての議論を見ると,ダーウィンはウォーレスの考え方の納得できない部分(なぜオスが美しくなるのかが説明できない.保護色が有利ならオスもそうなるのではないか)を再三指摘しているが,ウォーレスはダーウィンの考えの弱点(そのような選り好みをする性質がなぜメスに進化したのか,かえって不利ではないか)を往復書簡では指摘していない.後年著した「ダーウィニズム」では指摘しているにもかかわらずこれを直接問うていないのは不思議だ.ダーウィンの死後そう考えるようになったのかもしれない.
- 性淘汰については2人は何度も何度も議論しているが,人間の精神の進化については議論らしい議論はない.ダーウィンはウォーレスの心変わりを嘆いているだけだ.(観察によって心霊現象の存在を信じているウォーレスに対して)説得しても無駄だと思ったのか,ここについてはダーウィンも強い議論ができないと認めていたのか(なぜ狩猟採集生活で不必要な数学などの高度な能力が進化したのかというのは当時としては難しい問題だったのだろう),ちょっと興味深い.
- ダーウィンは海を越える生物の拡散について,機会的漂流を原因とする自説にかなりこだわっている.偶然の移動であればそれがどのような原因であろうとも(ウォーレスは風によって種子が運ばれた可能性を指摘してダーウィンと論争になっている)自然淘汰による進化説にとっては特に問題ないはずなのでこのこだわりは興味深い.
新妻による解説は,注釈だけでなく,書簡集をいくつかの時代に分け章立てし,章頭で背景を大まかに解説しており,非常にわかりやすい試みになっている.
なお細かな話だが,新妻は,「ダーウィンはパンゲネシス説にこだわったために獲得形質の遺伝という誤りを起こしてしまった」と解説しているが,これは因果が逆だと思う.ダーウィンは観察によって獲得形質が遺伝することがあると考え,それをそのほかの様々な遺伝現象(特に重要なのは遺伝形質が常に混じり合ってしまわず粒子的に伝わるというところだ)とあわせて理論に組み込むために苦労してパンゲネシス説を組み立てているのだと思う.
本書は私のようなダーウィンファンで,ダーウィン,ウォーレスの著作,伝記を読み込んでいるものにとっては本当に興味深く,まさにこれまで様々なダーウィン関連本を読んできた読者へのボーナスのような本だと感じられる.また当時2人が興味を持ち,情報交換し,議論している博物学的な詳細も大変楽しい.このような極めてナローな焦点の本が出版されたことに深く感謝する次第である.
関連書籍
本書に関連するダーウィン本,ウォーレス本をいくつか列挙しておこう.
- 作者: チャールズダーウィン,Charles Darwin,渡辺政隆
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2009/09/20
- メディア: 文庫
- 購入: 9人 クリック: 119回
- この商品を含むブログ (34件) を見る
- 作者: チャールズダーウィン,Charles Darwin,渡辺政隆
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2009/12/20
- メディア: 文庫
- 購入: 6人 クリック: 25回
- この商品を含むブログ (23件) を見る
- 作者: チャールズ・R.ダーウィン,Charles Robert Darwin,長谷川真理子
- 出版社/メーカー: 文一総合出版
- 発売日: 1999/09/25
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 45回
- この商品を含むブログ (22件) を見る
- 作者: チャールズ・ロバートダーウィン,Charles Robert Darwin,長谷川真理子
- 出版社/メーカー: 文一総合出版
- 発売日: 2000/02
- メディア: 単行本
- クリック: 25回
- この商品を含むブログ (26件) を見る
- 作者: ダーウィン,浜中浜太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/01/01
- メディア: 文庫
- 購入: 5人 クリック: 100回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
マレー諸島―オランウータンと極楽鳥の土地〈上〉 (ちくま学芸文庫)
- 作者: アルフレッド・R.ウォーレス,Alfred Russel Wallace,新妻昭夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1993/08
- メディア: 文庫
- クリック: 6回
- この商品を含むブログ (6件) を見る
マレー諸島―オランウータンと極楽鳥の土地〈下〉 (ちくま学芸文庫)
- 作者: アルフレッド・R.ウォーレス,Alfred Russel Wallace,新妻昭夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1993/08/01
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 3回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
- 作者: アルフレッド・R・ウォレス,谷田専治,新妻昭夫
- 出版社/メーカー: 平河出版社
- 発売日: 1987/01
- メディア: 単行本
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
- 作者: A.R.ウォレス,長沢純夫,大曾根静香
- 出版社/メーカー: 新思索社
- 発売日: 2009/08
- メディア: 単行本
- クリック: 27回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
伝記など
- 作者: エイドリアンデズモンド,ジェイムズムーア,Adrian Desmond,James Moore,渡辺政隆
- 出版社/メーカー: 工作舎
- 発売日: 1999/09
- メディア: 単行本
- クリック: 32回
- この商品を含むブログ (13件) を見る
- 作者: ジャネットブラウン,Janet Browne,長谷川眞理子
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2007/09/18
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (21件) を見る
- 作者: ピーターレイビー,Peter Raby,長澤純夫,大曾根静香
- 出版社/メーカー: 新思索社
- 発売日: 2007/10/01
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 21回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
- 作者: エイドリアン・デズモンド,ジェイムズ・ムーア,矢野真千子,野下祥子
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2009/06
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 52回
- この商品を含むブログ (17件) を見る
- 作者: 長谷川眞理子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2006/08/12
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 22回
- この商品を含むブログ (30件) を見る
関連本
- 作者: 新妻昭夫
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1997/05/05
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 5回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
- 作者: 北村雄一
- 出版社/メーカー: 化学同人
- 発売日: 2009/02/12
- メディア: 単行本
- 購入: 6人 クリック: 45回
- この商品を含むブログ (15件) を見る
- 作者: 新妻昭夫,杉田比呂美
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2000/06/01
- メディア: 大型本
- 購入: 4人 クリック: 41回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
- 作者: チャールズダーウィン,Charles Darwin,渡辺弘之
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1994/06/01
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 44回
- この商品を含むブログ (22件) を見る