「Spent」第12章 開放性 その2

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


消費者がディスプレーする第2の特性「開放性」.ミラーはここまで開放性が対人関係に与える影響を整理し,さらになぜ開放性にかかる多型が維持されているのかについて,それは感染リスクに重要な関連があるという興味深い仮説を紹介した.


開放性が感染リスク減少に効いているとするなら,より感染リスクを避けるためには他人を遠ざける形で作用するだろう.ミラーはこれは無意識的な「嫌悪」という形で現れるのだろうといっている.


ミラーは,進化心理学者ジョシュア・タイバーの挙げる3つの嫌悪の形を紹介し,さらに自分で4つ目を加えている.

  1. 反寄生者嫌悪;接触感染を避ける
  2. 性的嫌悪:近親交配,あるいは遺伝的に劣ったものとの性交を避ける
  3. 倫理的嫌悪:利他的な他人から搾取されるのを避ける
  4. 文化的嫌悪:感染的なミームを避ける


ミラーはこの4つ目の文化的嫌悪が見られる例として,1930年代のベルリン,1960年代のテキサス,そして魅力的な文化への反感をあおる手法として現在の保守派のトークショーをあげている.そこではホストは文化の担い手をクレージーなリベラルゾンビと呼び,感染される前にたたきつぶせとあおるのだそうだ.ミラーのリベラルびいきを勘定に入れてもなかなかアメリカの保守的トークショーはすごいことになっているようだ.


ミラーはここで仮説を一歩進めている.フィジカルな感染リスクと同じように,メンタルヘルスにリスクがある人は強い文化的な嫌悪と低い開放性を持つのではないかというものだ.そして保守的トークショーのホスト,ビル・オライリーの振る舞いは「ミーム感染に対する免疫不全症候群」ではないかと揶揄している.いわく「彼は新しいアイデアに囲まれたら自分が発狂してしまうと恐れているのだ.」
嫌悪が無意識だというミラーのそれまでの説明からはやや逸脱しているが,よほど(リベラルな人から見て)不愉快な代物なのだろう.なおYoutubeをBill O'Reillyで検索すると大量の動画がヒットするが,いくつか見てみるとある程度雰囲気がつかめる.


例えばこんな感じ.不法移民者が飲酒運転を起こした事件に関するものだが,これは後半から「問題は飲酒運転であって,不法移民ではない」とするリベラル論客とつかみ合いにならんばかりの議論をしている.
http://youtube.com/watch?v=H7Nt8MQaKko


これはオライリードーキンスとかみ合わないやりとりをしているものだ.
http://youtube.com/watch?v=2FARDDcdFaQ



さらにミラーは免疫が強いというディスプレーと開放性ディスプレーの関連を議論している.
免疫が強いというのは適応価があるので,これはディスプレーの対象になる.ハミルトンの主張した性淘汰形質の意味はまさに感染耐性のディスプレーだというものだ.ミラーはヒトにおいても実際通文化的によく見られるし,感染負荷が強い地域では特にそうだと説明し,皮膚を感染源に晒す刺青はそういうディスプレーだと示唆している.また若者のカッティングが,クールに感じられているのもそういう背景があるのだろうとも示唆している.


刺青やカッティングは実際に感染リスクがあるので,これはコストのかかった正直な信号になり得るだろう.
またこの手の若者の馬鹿げた行動が実はハンディキャップシグナルだという説明は喫煙習慣などに関してもよく用いられるものだ.最初に聞くと「そんな馬鹿な」という感覚を抱くが,実際に様々なハンディキャップシグナルをよく見て考え始めると実は大変説得力があるように感じられるのだ.


ミラーは,先進国ではいまやフィジカルな感染症よりミーム感染の方が破壊的で恐ろしいから,メンタル的な免疫が強いというディスプレーが発達し,それは「様々なアイデアに身をさらしても発狂しない」という形をとるのだと議論している.
それが最もよく観察される場所の1つとしてミラーはSNSを上げている.

デスメタルにさらしながら魅力的な会話ができるのであれば,彼等は開放性と精神的免疫の強さを示していることになる.もっともこの文化的な被爆が最近であれば,これからおかしくなるかもしれない.だからこのような趣味に昔から染まっている方が信号の信頼性は高くなる.

ここでは最初のミラーの開放性のディスプレーの議論は少し変質している.当初ミラーは開放性をフェイクしても自分が魅力を感じる人から好まれることはないのでそのようなフェイクをする動機はないと議論しているが,ここでは,開放性はメンタル免疫耐性のディスプレー
となると議論している.つまりフェイクする動機はあるが,信号の正直性は,奇妙なアイデア被爆することのリスクというコストにより保たれているとしているのだ.


そしてこのようなメンタル面での感染耐性がない人は集まって自分の精神を守ろうとすることが予想される.

このような被爆に弱い人たちは古いもの,伝統,予測可能なものを好むようになる.物理的に重量があり,認知的な負荷は軽い商品を買うだろう.そして反知性的なコミュニティを好む.たとえばインディアナポリスのような人種的に均一な郊外を好むだろう.そしてナショナルチェーンで買い物をし,決まり切ったプロットの小説を読む.

重いものを好むというのがちょっと面白い.重い方が予測可能性が高いということだろうか.


ミラーは特にコメントしていないが,もしそうだとすると,これらの開放性が低いことを示す行動は(少なくとも感染耐性にかかる)ディスプレーではなく,単に身を守ろうとしているということになる.