「Spent」第14章 調和性 その5

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


ミラーはここまでにイデオロギー,政党支持がディスプレーである可能性を示唆した.


政治的なイデオロギーが配偶ディスプレーなら宗教はどうなのか?
ミラーによるとかつての宗教は,地域的民族的な独占の状況だったが,今日では個人が選べるという状況になりつつあり,ディスプレー的な側面が強くなっているという.つまり若者が何らかの新しいパーソナリティの誇示をしたいと考えると新しいセクトが生まれるということが生じ,消費者の宗教選択も家族的伝統から個人的なパーソナリティディスプレー戦略に沿ったものになる.


ミラーはここでスパゲッティモンスターを取り上げていて面白い.これは純粋の信仰とは言い難いだろうが,宗教的な文脈におけるディスプレーとしては非常に有効だということだろう.(なおスパゲッティモンスターとは創造論者が「キリスト教の神の創造」あるいはIDも科学だというなら「スパゲッティモンスターによる創造」という自分たちの信仰も同じように科学なのだから平等に扱えという皮肉の効いた運動,http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20061211参照)

もしあなたのオフィスのマグがWWFSMD(フライイングスパゲッティモンスターは何をするのか)というロゴを示していれば,同僚はあなたが,ちょっと皮肉屋で,世俗的で非常に開放的で,進化教育擁護派だということがわかる.

日本では自分の信じる宗教が何かのディスプレーになっているという状況は割とまれだろう.そもそも自分で何かを信じ始めるという状況がカルト的な宗教以外にはあまり目立たないようだし,カルトはディスプレー戦略としては(当該信者以外へのディスプレーとしては)強い負の結果が予想され,成り立たないだろう.
あるいはホメオパシーのようなものは(もちろん本人たちはこれが宗教だとは思っていないだろうが)少し「エコ」「自然」的な味わいがあってそういう状況にあるのかもしれない.




ミラーは本章の最後で「進化心理学者であること」のディスプレー効果を議論していてちょっと面白い.


ミラーによれば,グールドやローズやルウォンティンのような批判が,教育のある人々のかなりの部分を「進化心理学はよくある右翼の陰謀であり,それは生物学的決定論を復活させ,性差別,人種差別,エリートの支配をもくろむものだ」と信じ込ませることに成功した.
だから進化心理学者であると名乗ることは(現代アメリカでは)右翼の陰謀家であるというディスプレーにつながるという.

これは本当に腹立たしい経験なのだろう.「しかしそれは事実ではない」とミラーは延々と説明している.進化心理学は多くの良心的で進歩的な人々を魅了しているし,そもそも左派的な人がたくさんいる.リサーチもあって(!)168人の心理学者(うち31人は進化心理学者)のアンケート調査では,進化心理学者は他の心理学者と同じくらいリベラルで,平均的なアメリカ人よりずっとリベラルだという結果が出ているそうだ.
ミラーは,「宗教的右派から見れば(そして普通のアメリカ人から見ても)私達進化心理学者は,不信心で,ゲイの結婚に賛成し,木に抱きつく環境派*1で平和主義者だということだ.私達が右派に見えるのは1960年代のニューレフト(つまりグールド達)だけだろう.」とコメントしている.
現在進化心理学者がどちらかといえばリベラルよりだとしても,進化心理学自体は政治姿勢から中立なので,これが進化心理学について何かを示唆しているわけではないだろう.リベラルでなくとも(宗教的な原理主義というわけにはいかないが)プロビジネスの進化心理学者というのは十分あり得ると思われる.


ミラーは要するに,進化心理学者は信号を送るのに失敗しているということだとまとめ,これらは新しいイデオロギーにはよくあることのだろうと諦観している.さらに,これらのことは,政治過程としてみると,支配的なイデオロギーは,自分たちに取って代わろうとする新しい代替イデオロギーのイメージを操作することによって有利になれるし,新しいイデオロギーはうまいマーケティングがないと成功が難しいということになるだろうと述べている.


日本では進化心理学自体がまだほとんど知られていないこともあり,このようなイメージは(少なくとも今のところは)ついていないように思う.いずれにしてもマーケティング努力を怠るのはリスクがあるということだろう.

*1:英語にはtree-huggingという表現がある.樹木の伐採をその木に抱きついてでも止めようとするという表現だそうだ.