「Spent」第15章 遠心性の魂 その1

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


さてミラーはここまで4章を使って,ビッグ5+知性の6要素のうち「知性」「開放性」「誠実性」「調和性」の4つの要素について人々がどのようにディスプレーしているのかの詳細を語ってくれた.
ここまでは進化心理学の啓蒙書というスタンスだったが,ここからの記述はこのような知見を使ってどのようなことができるかという「応用」の話になる.これは本書が一般向けの本なので当然あり得るスタンスだが,もはや科学書という範囲からは外に出ている部分になるだろう.あるいはある意味ハウツー本のような体裁になっているともいえるだろう.


第15章の章題は「The Centrifugal Soul」うまく訳せないが,中心に穴が空いてしまった魂というほどの意味だろう.ミラーは現代の人々はあまりに多様なディスプレー手段のなかで,取り憑かれたようにディスプレーしていて本来の自分を見失っているのではないかといっている.これは進化心理学的にいうと,ディスプレーする心理が過去環境に適応していて現代の消費者資本主義のなかでは不適応(ミラーは幸せではないといっているので厳密には適応かどうかとは別の話になる)だという趣旨に近いだろう.


適応かどうかはともかく,これによって不幸せになっているとすると,どのようにすればより幸せになれるだろうか.これはちょうど現代の飽食社会のなかでどのようにすれば肥満にならないで済むかを考えるのと似ている.ここからミラーのハウツー本が始まる.第15章は,個々人がとれる戦略について.ディスプレーは引き続き行うとして,現代環境のなかでよりスマートなディスプレー戦略が可能かどうか考えてみようという内容だ.


まずよくみられる戦略についての考察から.ミラーによるとただ流されて高額なブランドや流行品を買いあさる以外に2つの代替戦略がみられるという.それは放棄戦略と,ビジネスとプライベートでディスプレーを変えるという戦略だ.


放棄戦略とは誇示的消費を放棄するもの.カルバン派やマルキストなど宗教的,政治的な熱狂者にみられる.ミラーによれば,この人たちは,自分たちのセクトのなかで「清貧さ」や「孤独」という新しい別のディスプレーをしているということになる.
さらに現代の放棄主義者として,エコバッグを盛って自主的簡素化運動に参加する人たちを紹介している.ミラーはこのようなディスプレーは自己欺瞞が明白で子供じみていると指摘している.要するに新しい誠実性や調和性のディスプレーに過ぎず,普通の人からみれば知性を欠いているようにしか見えないというのだ.なかなか辛辣だ.確かに先進国に住んで,エアコンや情報機器の恩恵に浴していながら,簡素な生活振りの良さをあまりに強調する人は,偽善的というより,自己欺瞞的に見えることがある.
はっきり書いてはいないが,自己欺瞞的でディスプレーとしてマイナスだというほかに,この戦略はコストが大きすぎて普通の人にとって幸福になる戦略ではないということも背後にあるようだ.


2番目は先進国でごく標準的にみられるもので,「自分の知性とパーソナリティで可能な限りの高い収入のフルタイムの仕事に就き,得られた高収入でフルリテールプライスの商品やサービスを買う」というものだ.このときに仕事においては取り憑かれたように働いて,合理的知性,保守主義,誠実性,非倫理性をディスプレーし,休日には一転してエコーでスローな怠けものになり,感情的暖かさ,開放性,自発性,倫理性をディスプレーする.


ミラーはこのような戦略は代替戦略としてはなかなか良い物だが,休日のディスプレーにもう一工夫する方がよいのではと示唆している.単にエコでスローなイメージの製品を買いあさるだけではディスプレーとして弱いということだろう.要するに知性や誠実性をディスプレーにするならその製品に金銭的なコストがあればシグナルの信頼性が生まれるが,「商品をフルリテールプライスで買ったこと」は感情的な暖かさや倫理性を示す信頼できるコストになっていないという趣旨だろうと思われる.


本章の後半では,一工夫した,より意味深いディスプレー戦略をいくつか提案していくことになる.