「ことばと思考」

ことばと思考 (岩波新書)

ことばと思考 (岩波新書)


本書は言語がヒトの思考や認知にどういう影響を与えているかについての本である.ある意味それはウォーフ=サピア仮説の是非というテーマになるが,思考は言語によっているかどうかという二者択一ではなく,どの程度,どの様に言語は思考に影響を与えるのかという観点から書かれた本になっている.また本書はその影響について特に学習や発達の観点から捉えており,進化的な意味での考察には焦点がおかれていない.


まず第1章で,言語が様々に連続したものをカテゴリー化しており,それが言語ごとに異なっている実例を紹介している.ここは楽しい言語のカテゴリー切り分けの多様性の話が続く.色の切り分け*1,容器を名詞でどう切り分けるか(瓶や罐とボトルやコンテナの区別が図示されていて大変面白い),動詞として動作をどう切り分けるか(ものを持つ動作の切り分けが図示されていてここも面白い)などが説明されている.
また名詞のカテゴリー分けとして,英語のような可算名詞と非可算名詞で区別する型,ドイツ語のように男性名詞女性名詞というカテゴリー分けを行う型,中国語や日本語のようにものの形状で区別する型(区別は助数詞にあらわれる)も紹介されていて面白い.


第2章では,サピア=ウォーフ仮説が紹介され,このことについて考察される.なおここでは「思考は言語によって構成されている」という強いバージョンと「思考は言語によって影響を受ける」という弱いバージョンの区別はされていない.基本的に弱いバージョンの是非を考えていく構成となっている.この議論をめぐる混乱は強いバージョンを巡って生じることが多いので,はっきりと区別して議論しておいた方がよかったのではないかと思われるところだ.(なお本書の後半の議論を読めば,今井も強いバージョンは成り立たないという立場に立っていることがわかる.)


ここでは一連のリサーチが紹介され,言語は思考に影響を与えているという弱いバージョンの主張が一応肯定されている.
紹介されているのは連続した色について二つの典型色のどちらと「同じ」であるかを聞いたもの,形が同じで材質が異なるもの(あるいはその逆)についてどちらと「同じ」であるかを聞いたもの,(可算名詞言語話者はよりその加算性(つまり材質)を重視するか)などだ.今井はこれでテストできたと考えているようだ.
そうかもしれないが疑問も残る.それは結局「同じ」ということばの意味が単に両言語で異なっていたからかもしれないし,被験者が「同じ」という質問の意味を「当該言語のカテゴリーとして同じカテゴリーに含まれるかどうかを聞かれている」と考えていたかもしれないのではないだろうか.(であればこれはトートロジーのような話になるだろう)いずれにせよ「材質が同じで形が異なる」とはっきり認識しているときにそれをどう表現するかということがそれほど重要であるとは思えない.それは思考そのものへの影響というより,思考の中身を言語でどう表現するかということではないだろうか.
また文法的性を持つ言語話者が動物のオスメスを問われるテストで文法的性にひきづられるという結果も紹介されている.これは(赤いインクで印刷された「緑」という文字の色を答えさせる場合と同じ)間違った手がかりに混乱されることがあるという一般的な認知の問題ではないだろうか.もちろんそれでも影響を与えたと言えなくもないが,言語の違いが特に大きな影響を与えることを示せているとは思えないところだ.

また別の一連のリサーチではあるカテゴリー分けが必要な言語話者は,何か表現しようとするとまずそれに注目せざるを得ないという効果があることが示されている.(ものの位置を表すのに左右を使う話者と東西南北を使う話者のケースは面白い例だ)これは納得感のある結果だ.言語という道具を使いこなすためには様々な注意が必要で,それが何に最初に注意するかという傾向に影響を与えるのだろう.

今井はこの章では,言語は確かに思考に影響を与えているが,ウォーフがいうほど大きなものではないだろうとまとめている.


第3章では言語の普遍性が考察される.ここでは基礎語彙の部分で様々な物事や動作をどうカテゴリー分けしているかを通言語的にみるとかなり大きな一致が見られることを紹介している.
進化心理学的な発想だとここからヒューマンユニバーサルや進化環境における適応に話が展開するところだが,今井は表面に見える多様性の深層に共通性があることを指摘するに止めている.私のような読者にはちょっと物足りないところだ.


第4章では言語発達が取り上げられる.赤ちゃんは,発達に応じて様々な物事の特徴を区別できるようになる.そして言語を習得していくに連れてその言語で重要なカテゴリーについては引き続き区別するが,その言語が同じカテゴリーとしている物事の区別には注目しなくなる.この辺りは具体的な例(同じという認知と,同じ名前を持つという認知は異なるなど)が示されていてなかなか面白いところだ.
この様に膨大な物事の区別を特定のカテゴリー分けの場合に限定していくことにより,思考にとって役立つ「概念」を学ぶこと(つまり処理数を減らして情報を効率的に処理すること)が可能になっているというのが今井の主張になる.これは数の概念の発達,空間認識の発達などが例にあげられていてわかりやすい.
(なおこの部分では大人でも物語を暗唱させながら空間認識させると著しく成績が落ちるというリサーチが報告されている.しかしこれは言語が空間の認知の基礎になっているというより短期メモリーが非常に汎用的な道具になっているという解釈の方がよさそうな気がする.)


今井はここで,「ヒトは言語の習得によって複雑な認識が可能になっているのだ.だからサピア=ウォーフ仮説は正しい」と主張している.通常サピア=ウォーフ仮説は言語間の違いを問題にする文脈で現れるが,ここではヒューマンユニバーサルの文脈で用いられている.言語間の違いの議論とユニバーサルの議論とはかなり異なる問題なので注意が必要だろう.また発達としてはその通りかもしれないが,進化的には因果が逆かもしれないことにも注意が必要だろう.


第5章では言語が認知に与える具体的な影響を取り扱う.最初の部分は,言語情報によって記憶の内容が影響を受けること取り上げられている.もっとも記憶が様々な影響を受けやすいのはある程度わかっていることで,特に他の刺激より影響を受けやすいのかどうかが興味深いところだが,そこまでの記述にはなっていない.
次に無意識下でもカテゴリー認知処理が行われていることが紹介されている.これも最近の認知科学の知見からいうと当然ということになろう.そのあとで,脳は常に無意識下で言語にアクセスするのだから,言語のない思考は言語のあるものと異なってくるだろうという議論がなされている.これは少なくともサブルーチンとしての短期メモリーについては当たっているだろう.
次はフレーム効果が紹介されている.この様な状況説明は通常言語によってなされるので,言語が認知に与える影響ということになる.私は絵画的な情報でもフレーム効果を引き起こせるのではないかと思うが,そういう議論はなされていない.


終章で議論のおさらいがなされている.
今井は言語が思考に影響を与えているのは疑いないこと,しかしそれは相互理解が不可能なようなものではないこと,そして相互理解のためには,異なる話者における認識の違いを理解することが重要だとまとめている.


なお今井はここで、ピンカーが「言語が思考に与える影響はあるとしても取るに足らないものだ」と言っていることについて「短絡的だ」と批判している.自分の研究していることを「取るに足らない」と言われた気持ちは理解できるが,結局「影響はあっても大きなものではない」という結論はほぼ同じなのではないかと思う.
本書を読んだ私のサピア=ウォーフ仮説に関する感想としては以下の通りだ.

  • 言語は思考に影響を与えているが,少なくとも言語間の差は小さいだろう.ここでは「カテゴリー分け」が問題にされているが,テストとされているものの多くはコンクルーシブではない.思考そのものへの影響と,それを「言語」でどう表現するかという部分が切り分けられていないものが多いように思われる.
  • 異言語間コミュニケーション上で「カテゴリー分け」のような問題が重要だと主張されているがそれほど重要であるとは思えない.言語の問題としてある程度注意すべきなのは語彙が1対1対応していないこと(オレンジに茶色が含まれるかなど)ということの方だろう.そして言語差というよりより広い文化差(ある状況である言動をしたときに対人関係においてどういう意味になるか)の方がはるかに重要だろう.
  • ヒューマンユニバーサルとしての言語の思考に与える影響には短期メモリーのサブルーチン,幼児の言語学習時のカテゴリー分け注意範囲の縮退などが確かにあるのだろう.


また最後には言語が思考に影響を与えているとするとバイリンガルの思考がどうなっているかという興味深い話題も簡単に扱っている.どちらかの母語にひきづられていることも多いが,両言語を自由に使い分けられるようなケースではどちらの母語話者とも異なっているということらしい.ちょっと面白いところだ.


やや批判的にレビューしてきたが,本書は専門的な内容を非常にわかりやすくかつ興味深く紹介することに成功していて,非常に優れた本だと評価できる.言語や認知に興味のある読者には特に嬉しい新書の登場と言えそうだ.



関連書籍


The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

言語の諸様相に現れたヒトの心理を扱ったピンカーの本.この中でサピア=ウォーフ仮説の強いバージョンについて徹底的に批判している.
私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080925.ウォーフ仮説の批判にかかる部分のノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080130あたりにある.


思考する言語(上) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(上) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

同邦訳

*1:ここで信号の色を「青」というから日本語と英語は「青」と「緑」の切り分けが異なるという主張がされている.確かに古代日本語ではそうだったかもしれないが,現代日本語では,あれは誰が見ても「緑」であり,ただ「青信号」と呼ぶのだという学習教育によりいわば不規則動詞のように例外的な慣用表現として使っているだけではないだろうか?