「生命の跳躍」

生命の跳躍――進化の10大発明

生命の跳躍――進化の10大発明


本書は「生と死の自然史」「ミトコンドリアが進化を決めた」などの著者である生化学者ニック・レーンによる進化における10大トピックを扱った書物である.取り上げられている10大トピックとは,生命の誕生・DNA・光合成・真核生物・有性生殖・運動・視覚・温血性・意識・死(老化)となっている.これはメイナード・スミスとサトマーリによる「主要な移行」を思い起こさせる企画だ.*1 「主要な移行」は,複製する分子から区画に囲われた分子(細胞)・染色体・DNAとタンパク質・真核細胞・有性生殖・多細胞生物・コロニー(動物の社会性)・人類の社会と言語,とされていて,比べてみると進化を眺める視点の差がうかがえて面白い.


それでは順番に見ていこう.最初は「生命の誕生」
単にRNAワールドの複製から始めるのではなくレーンは化学者らしくエネルギー勾配を問題にする.原始の分子スープの議論はよくなされるが,何らかのエネルギー勾配がないと複製はうまく続かないはずだというのだ.そしてそのような勾配がある場所として海中の熱水孔を挙げる.ここからの議論は込み入っているが,第2タイプの熱水孔*2では周りの物質を還元して水素を供給していること,またその噴出口まわりの岩石は微小な部屋を持つ表面構造を発達させること,クレブス回路が化学勾配によりどちら方向にも回転できることを指摘しつつ,古細菌に見られる反応が,フリーラジカルがアセチルチオエステル*3を産出できることを通じて,クレブス回路とATPの起源を説明できることを主張している.
またレーンはここで,生命がプロトンポンプを使っていることについても面白い議論をしている.これはATPによるエネルギー単位をより細かく崩して効率的に使用するために進化したということになる.そしてそれがナトリウムやカリウムやカルシウムイオンでないのは,熱水孔起源から説明できるというのだ.


「DNA」
ここでの面白い議論は,「DNAコードは偶然により決まったものがフリーズしたものか,それとも何らかの効率性への進化の結果であるか」という議論だ.遺伝や複製の観点から考えると,コードは全生物に普遍的であることから単一起源であり,コード自体に意味はなく,一旦決まってしまえば変更は非常に難しいから偶然フリーズ説に説得力があるように感じられる.しかしレーンは化学者らしくコードの意味を吟味する.化学者の目から見るとコードの第1スロットは当該アミノ酸が,クレブス回路のどの産出物が前駆物質になっているかを指定し,第2スロットはそれが疎水性か親水性かを指定している.ここまでで(開始コードを除いて)15のアミノ酸が指定できる.そして第3スロットで,やや複雑な5つのアミノ酸が指定されている.つまり(エラーがあってもできるだけ化学的に似たアミノ酸が指定されるようになっているという意味で)全体として合理的な体系であり,重複しているコードによる冗長性から自然淘汰の産物である可能性があることを示唆しているということになる.さらにレーンは当初RNAワールドではおそらく2文字で特定の化学的な触媒を表していたものが,タンパク質合成にかかるアミノ酸指定コードに進化し,その際に大きさの問題からもう1文字分のスペースが必要になって3文字体系にになり,そこでより複雑な追加アミノ酸の指定がなされるようになったのではという仮説を紹介している.
一旦決まったコードが変更すると適応度は大きく下がると思われるので自然淘汰の議論はなお難しいように思われるが,なかなか啓発的な議論であるように思う.


光合成
ここでは光合成を化学エネルギーの視点から見た解説が面白い.光合成は,まず光エネルギーを使ってH2Oから電子をはぎ取り(光化学系II*4),その電位エネルギーをATP合成系に渡す.一旦エネルギー準位が下がった後,もう一度光エネルギーを使って二酸化炭素に電子を押し込んで糖の合成を行う(光化学系I)という2段階構成になっている.
レーンは(生命が熱水孔由来だとすると)何故光合成は材料に鉄や硫黄を使わずに水を材料にするのかという問題を提示し,これについて,まずこの2つの経路は祖先を同じくするものであること,光化学系Iは鉄や硫黄の化学エネルギーから糖を作るように進化したもので,光化学系IIは光エネルギーをATP合成に使うように進化したものであることを説明し,そして,一部のバクテリアが変動環境に合わせて両方の経路を持つようになり,それを環境条件に応じてスイッチングしていたところから,両方を結びつけるように進化したのではないかというシナリオを紹介している.


この最初の3章は化学的な議論が多く,あまり当否を議論するような素養のない私のような読者はただ頷きながら読むだけだが,エネルギーの流れからの議論はなかなか説得力があるように感じられる.


「真核生物」
まず真核生物のDNAから系統樹を導くと,その部位により細菌と古細菌との分岐上の位置が異なり,実態はキメラであることが説明される.そしてこれを説明する仮説として,原始食細胞までは直線的に進化してミトコンドリアのみ飲み込んだという説と,様々な細胞内オルガネラはそれぞれ別のバクテリアの共生から始まったという説(運命の出会い説)がある.レーンは,ミトコンドリアは内膜面積を稼ぐ構造と,代謝のコントロールをできるだけ現場近くで行う必要から説明でき*5,原始食細胞がミトコンドリアなしに成立しているとは思えないと「運命の出会い説」を支持する.
レーンの核についての議論も面白い.利己的なジャンピング遺伝子が蓄積してスプライシングを行うようになったが,スプライシングには時間がかかり,タンパク質合成との干渉を避けるために区分けが必要になったというものだ.


有性生殖
レーンは有性生殖の2倍のコストと,それに対するハミルトンの赤の女王説とコンドラショフの突然変異修正説への流れを学説史としてまず紹介している.ダーウィン雑種強勢のメリットの指摘,ヴァイスマンの多様性維持説とナイーブグループ淘汰の誤謬あたりから始め,ジョージ・ウィリアムズの環境変動説の延長線上に赤の女王説を,マラーのラチェットの延長線に修正説を位置づけていてなかなか丁寧だ.
この両説は排他的ではないので,どちらも効いているというのが私の理解だったが,レーンはその後の理論的な展開にも触れていて参考になる.最近の集団遺伝学者サラ・オットーたちのシミュレーション研究によると,ハミルトンの赤の女王説は単独で効くとするパラメータの範囲が狭いことからいくつかのメカニズムが並行して効いているだろうこと,有性生殖は集団が変動しやすく,変異率,淘汰圧が高いようなパラメータの元で有利になりやすいこと,マラーのラチェット的な効果はあまり大きくないこと,むしろ連鎖遺伝子間の選択的干渉の効果*6の方が大きいことなどが示されているそうだ.私的には大変興味のある分野なので読んでいて面白い.ついでに参照されている論文も読んでみたがなかなか興味深い進展だ.


「運動」
ここではまず筋肉がどのような仕組みで伸縮するのかの学説史が扱われている.アクチンとミオシンがどのような形をしていて,ATPのエネルギーを使ってどのように縮むのか*7などが語られていて面白い.
レーンはアクチンもミオシンも似た構造であり,もともと細胞内の細胞骨格から起源しているという議論を行っている.


「視覚」
ここでは進化学説における眼の問題をまず扱っている.進化が(神様の創造であれば期待されるような)完璧なものを作らないことの例として,ヒトを含む哺乳類の眼がタコやイカの眼に比べて劣っていると議論されることがあるが,レーンはこれに異論を挟んでいる.確かに哺乳類の眼は血管が網膜の上に来ているために盲点ができるが,しかしタコやイカの眼に比べてより血流を届ける上では効率的になっているという指摘だ.(タコやイカの眼では血管は網膜が定着している基層細胞層をくぐっていく必要がある)なかなか面白い指摘だ.
次に眼の連続進化モデルに関連して深海のエビに見られるむき出しの視細胞集団による「原始的」な眼を紹介している.これは解像度と感度がトレードオフになっている中で感度を最大にした例だというわけだ.
次にアンドリュー・パーカーの光スイッチ説については,カンブリア爆発は,スノーボールアースの後の酸素濃度上昇による大型化が可能になったことによると考えた方が良く,一旦大型になれば視覚はすぐに生じただろうとコメントしている.
レンズについては三葉虫の方解石製のレンズを紹介した後,一部の扁形動物ではミトコンドリア(!)がレンズになっているものがあるとコメントしている.
化学的な話題としては,まず桿体にあるロドプシンに触れている.これは多くの動物で共通の配列になっていて,進化史上一度だけ起源したらしい.このロドプシンを含むたった一種類の光受容細胞がただ一度起源し,その後重複し,片方は概日時計になった.そして脊椎動物の眼はこの概日時計の方から進化したらしい.また錐体にあるオプシンについてはシアノバクテリアまでその起源がさかのぼれそうだということだ.


真核生物から視覚までは,化学的な議論はところどころに現れる形になり,トピックに関する様々な学説史中心の構成になっている.それぞれの主題について的確な見取り図が示された上でレーンの見解が披露されていてなかなか質の高い記述が続いている.


「温血性」
レーンは,まず温血性は非常にエネルギー効率が悪いことを説明し,それを埋める適応上の利益はスタミナによるニッチの拡大だっただろう(温血性は内臓にターボチャージャーを与えるためのもので,温血性自体はアイドリングによる廃熱の副産物だということになる)という前著「ミトコンドリアが進化を決めた」における主張を簡単に繰り返している.
ここから恐竜は温血だったかという論争にコメントしている.羽毛,心臓,気嚢などから温血であったとしてもおかしくはないとするがレーン自体はやや懐疑的だ.そして面白いシナリオを提示している.これはいかにも化学者らしい議論で,植物食というニッチに恐竜が進出したときに必要窒素をとると炭素が余ってしまうという問題が生じただろうというものだ.これに対処するには燃やしてしまうという方法と(哺乳類がとった温血化)炭素を使った身体を大型化するという方法があり,鳥盤類,竜脚類などの恐竜は後者を採ったのだろう.すると肉食だった獣脚類は必ずしも温血ではなかったかもしれず,雑食に転じたマニラプトル類から炭素の問題が生じて今度は温血化し,それが鳥類に引き継がれただろうと議論している.
この後半の恐竜の議論は関心を持つ人が多いところだと思われる.結論は基本的に保留されているが炭素をどう捨てるかという視点はなかなか面白い.


「意識」
ここではまず意識が統一体ではないことや,無意識下で様々な処理をしていることを紹介している.このあたりはモジュール的な進化心理学の議論から見ると当然の部分であまり面白い議論にはなっていない.
レーンはここからいわゆるハードプロブレムを取り上げている.そしてペンローズたちの量子効果論を丁寧に紹介した後*8に疑問を呈し,情動が何故言葉で表せないのかなどの疑問をあつかっている.このレーンのハードプロブレムの取り上げ方は問題意識も議論の踏み込み方も浅く不満の残るものだ.


「死」
死と題しているが,主に扱われているのは老化の問題で,ここは既著「生と死の自然死」の繰り返しの議論になっている.「多面的遺伝子発現説」と「使い捨て体細胞説」を提示し,性成熟とのトレードオフで長寿が簡単に生じる例をあげて「使い捨て細胞説」の方が説得力があると主張している.また老化とフリーラジカルの関係を整理し,単純にフリーラジカルによって体細胞が損傷するのではなく,フリーラジカルがスイッチになっているアラーム装置がなりっぱなしになることにより様々な酵素のスイッチが切られずに損傷がたまっていくというメカニズムだと解説している.そしてもしそうなら,老化をかなり食い止める療法の発見も夢ではないだろうと語っている.


本書全体を通じてレーンは化学者らしく酸化と還元,代謝のエネルギー,分子構造などの生化学の視点から様々な進化のトピックを語ってくれる.(意識の章だけはちょっと残念な出来だが,これは化学とあまり関係ない話題ということがあるだろう)私のような普段は遺伝や行動生態の観点から進化を眺めている読者にとっては,本書の語る視点は新鮮で読んでいて興味が尽きない.化学の話は一見なかなか難解で取っつきにくいところもあるが,エネルギーの流れや代謝の意味などをじっくり考えていくと,別の角度から物事の本質に迫れるようで,読んでいて充実感が味わえる.緻密な論考の詰まった得られるところの多い書物だと評価できるだろう.




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こちらは一般向けにやさしく書き直されたもの

*1:なおレーンは参考文献で「主要な移行」もあげており,サトマーリが化学者であることもあって十分意識しているようだ

*2:第1のタイプの熱水孔はよく見られるもので,マグマがエネルギー源で,硫化水素を噴出する.第2のタイプのものは,水が岩石と反応する化学エネルギーによるもので周りの物質を還元する

*3:この物質によりピルビン酸やアセチルリン酸塩の起源を容易に説明できるそうだ

*4:こちらをIIと呼ぶのは歴史的経緯だそうだ

*5:ミトコンドリアが進化を決めた」に詳しい議論がある

*6:ヒル・ロバートソン干渉とも呼ばれるもので,連鎖していない遺伝子座においてはそれぞれ適応度の高い遺伝子が独立に淘汰にかかるが,連鎖していると片方の遺伝子座への淘汰圧が,別の遺伝子座の淘汰に干渉してしまう効果のことを言う.大きな染色体で組み替えがないとすると,ある遺伝子座に非常に強い淘汰圧がかかるとそれ以外の遺伝子座における弱い淘汰圧の効果がなくなり弱有害遺伝子が大量に固定してしまう

*7:ミオシンの鍵のような突起がアクチンに引っかかっていくのだが,一斉に整然と動くのではなくかなりばらばらな動きから縮んでいくそうだ

*8:量子効果説は何とか自由意思の問題を解決しようとあがいたあげくに失敗している筋悪の議論だと思われ,そもそも紹介に値するほどの議論かどうか疑問だ