「Why everyone (else) is a hypocrite」 第5章 その2 

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind


第5章 真実は厳しい(承前)


真実を知ることのコストについてのクツバンの議論は次にモジュール性を踏まえたものに移っていく.


真実を知ることにコストがある得るとすると,多くのモジュールは戦略的に無知であるようにデザインされているだろう.ではどのようなモジュールが無知になるようにデザインされているだろうか.クツバンは,それは状況が社会的で,周囲の人々に「無知であることを信用してもらえる」局面でそうなるだろうと議論している.


<価値あることの価値>


クツバンは最初に結論を提示している.

報道官モジュールは以下のようにデザインされている.

  • 報道官モデルは,その目的のために有用な情報を保つためにデザインされている.
  • そしてそれは別のモジュールにある正しい情報と矛盾していてもかまわない.
  • つまり報道官モジュールは偏った情報,さらに誤った情報を集めようとデザインされているのだ.大統領は時に報道官に嘘をついて欲しいのだ.


クツバンはこう議論をはじめる.

  • ヒトはとても社会的な生物であり,友情や同盟などの社会的なことに適応度が大きく影響を受けてきただろう.実際に孤独であると身体的精神的病気になりやすく,ポジティブな社会的関係は幸福感につながっている.
  • であればヒトの心は様々な社会的な競争に向けたデザインになっているだろう.その中には顕現的な競争もあっただろうし,わかりにくい形の競争もあっただろう
  • 目立つ競争の例としては,配偶相手を巡るものがある.これに対する適応はミラーの性淘汰仮説でうまく議論されている.
  • また友人を巡る競争はあまり目立たない形だがあっただろう.親友は非常に限られた重要な資源なので競争も激しかったはずだ.
  • さらに望ましいグループの属するための競争もあっただろう.


クツバンによるこの競争のカテゴリー分けの真意は定かではない.様々なモジュールがあるという主張につながるのかもしれない.
確かに誰が親友かを巡る競争というのは恋のライバル騒ぎに比べてあまり大騒ぎされることは少ない.このような競争があるという説明の中でアメリカの人気TVドラマ「ボストンリーガル」におけるデニー・クレインとアラン・ショアの関係(デニーがアランとジェリーの友情に嫉妬する)が取り上げられていてなかなか面白い*1のだが,あれはいかにも不自然だからコメディになっているように思われる.だからこれがあまり顕現化されないこと自体がなかなか面白い問題なのかもしれない.恋人の浮気に嫉妬することに比べて,親友が別の同性の友人と仲良くすることに嫉妬するのはより本人の評判にとって良くないのだろうか.もしそうならそれは何故なのだろう.

  • いずれにしてもこのような配偶相手や親友や望ましいグループへの所属のためには,自分に価値があることをディスプレーすることが重要になる.
  • 価値は健康,知性,性格などになる.これらは行動や言動を元に大体30秒(長くても5分)ぐらいで判断されることが知られている.*2
  • すると相手に自分の価値を判断してもらうための行動や言動のディスプレー用のモジュールは,短い時間の中で他人に受けが良くなることが重要な目的としてデザインされているだろう.


クツバンはヒトの言動を司るモジュール,つまり意識モジュールの重要な目的のひとつは他人の受けを良くすることにあるといっているのだ.そしてそれは広報モジュールとして他人の受けを良くするために役立つ情報のみを受け取るようにデザインされているということになる.


<情報は漏れる>


では他人の受けを良くするためには,意識モジュールにどのように情報を送ったり遮断したりすればいいのだろうか.
クツバンは,言動は秘密を漏らしてしまうことがあるから,都合の悪い情報は広報モジュールにはない方がいいと議論している.また真実と異なる情報の方がいい場合にはモジュールはそのように適応する,つまり情報が間違っていた方が有利な場合には,広報モジュールの判断にはバイアスがかかるだろうという.

  • 知ることに益がなく,自分の価値を下げるならそれを知らない方がいい:(例)ヒトは,重大で治療法がないような病気については検査を受けたがらない.
  • 真実をちょっと曲げた方がいい場合にはバイアスがかかりやすい:(例)「彼女は自分を愛すべきだ」と信じる男は,より彼女のハートを落としやすくなる


クツバンは後者についてはこのような例もあげている.:もし優秀なライオン使いの方が高給を取れるとするなら,雇い主の前では自分は優秀なライオン使いだと信じるモジュールが起動し(そのような言動を行い),ライオンの前では真実を告げるモジュールを起動させる(そのように行動する)方が適応的だろう.
クツバンはこれらは意識的なウソとは異なる問題だと注意喚起している.つまりこれらは自己欺瞞の問題だと言うことだ.


<間違っていることによってうまくやる>


クツバンは本章の最後で「超自然への信念」の問題を取り扱っている.


議論の前にクツバンは自分の立場を整理していてちょっと面白い.

  1. 超自然信念自体は科学の対象
  2. ここで扱うのは自然法則で説明できないことを信じるということであり,組織的宗教ではない.
  3. ここでは超自然の信念は全て誤りだと仮定する.ドーキンスがいうように,結局超自然信仰は互いに矛盾しており,あなたがある信念を持つとしてもその他の全ての信念は誤りであることを認めている.そしてそれを一歩進めるだけだ.これは十分に良い近似でもある.


クツバンの議論は,ボイヤーの議論を踏まえた上で,至近的な論点ではなく究極的な論点に絞っている.すると「何故誤った信念は膨大なコストを持つように見えるのにそれにはまるヒトが多いのか」が問題となる.
クツバンは,もし周りの人間が既に超自然信仰に染まっている場合には,周りの超自然信念と異なる信念を持つことは非常に大きなコスト(同盟者,保護者を得られない,利益の多いグループに属せない,異端排斥などに合う)がかかっただろうと議論している.つまりそれがどんなに馬鹿げた信念であろうと,周りにあわせるのは適応的だっただろう,そしてそれを馬鹿げたものだと思わないようになっているだろうと言うことだ.これは馬鹿げた信念の発端の説明にはなっていないが(それはボイヤーにまかせるということだろう)その後の成り行きに関してはなかなか面白い指摘だろう.

*1:このドラマはボストンの一流法律事務所を舞台にしたコメディ(なおコメディドラマのことはdramedyというそうだ)で,その時々のホットな話題を馬鹿げた訴訟という形で取り扱っていて小粋だ.ほかの法廷ドラマと異なって民事訴訟が多く,法律の議論もきちんと監修が入っているようで深くて面白い.なおデニーはかつての恋人シャーリーを巡っても親友アランと嫉妬がらみのやりとりを繰り広げている.

*2:ヒトが言動や行動で判断する例として実話に基づくスピルバーグの映画「Catch Me if You Can」があげられている.これは不世出の天才詐欺師アブグネイルを描いた面白い映画だ.クツバンは医者だと信じさせる一番いい方法は医者のように振る舞うことだと言っている