Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind
- 作者: Robert Kurzban
- 出版社/メーカー: Princeton Univ Pr
- 発売日: 2011/01/03
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第8章 自己コントロール(承前)
<レヴュー>
クツバンはここでモジュール視点から自制を整理している.
- 通常自制という言葉は長期的利益に叶う行動のことをさしている.
- これは長期モジュールと短期モジュールの相互作用であり,これらはよくコンフリクトを起こす.
- 機能を理解すると,どの様な刺激がモジュールにどう働くかが理解できる.例:ヌード写真はセックス短期モジュールを活性化する.お菓子を隠すと食欲短期モジュールは抑制される.
そして様々な心理学者は今やモジュール的な考えに収斂し始めていると言っている.
- アリエリー:心は統一体ではなく,複数のセルフの集合体だ.
- ウェゲナー:これまでの自制の研究はコントロールする「中の人」にとらわれすぎていた.そんなものはいないのだ
<self-interest :セルフインタレスト>
クツバンはここでセルフインタレストの問題も取り上げている.これは日本では日常それほど言及されることがない概念だが,利己心と訳されることが多いようだ.英語ではそのような意味もあるが,ここまで見てきた「長期的な利益」を指すこともある.
クツバンはそもそも単一のselfなるものがないのだから,self何とかという概念は全て怪しいと前置きしつつ,セルフインタレストを長期的利益と考えることは短期的な利益はウソで長期的利益が本当だという見方に立っていて,それはおかしい(何故ケーキを食べたかったインタレストは無視されなければならないのか)と指摘している.
またクツバンは「利己心」という用法についても問題含みだと噛みついている.それは友人を無償で空港に送っていく行為を議論するときに,それがその人に喜びをもたらすならセルフインタレストにかなうという形で使われることがあるが,そうすると全ての行為はセルフインタレスト的になって無意味な概念になるだろうという.
クツバンはこの後もこの用語の不適切性について議論を続けている(子グマに授乳する母グマはセルフインタレストをかなえているのか?ヒトの場合は?友情は?).この部分の議論はなかなか難解だが,要するに何らかの利他性の絡む問題について考察するなら,そもそも怪しげなセルフインタレストにかなうかどうか議論するより,そこで働いているモジュールの機能からアプローチする方がよいということを言っているようだ.
<彫刻と心理学>
クツバンは本章の最後で,心理学と経済学は同じ「心」を異なる見方で見ているのに過ぎないとまとめている.
心のモジュラー的な見方と,経済学的な見方は,彫刻の二つの方法に似ている.
大理石:ミケランジェロは大理石の中に完全な天使を見て,余計なものを削り落とした.経済学者は,人の心をまず統一された完全な合理的なものと考え,そこからの逸脱を付け加える.それが,バイアス,ヒューリスティックス,非合理性だ.
粘土:モジュラービューは粘土彫刻に近い.心は様々な文脈で働くパーツを自然淘汰によりひとつづつ積み上げたものだ.それは多くの計算機構の集積であり,自然淘汰により編み上げられているのだ.通常はとてもうまく働き,時に特定の条件下で混乱する.しかしそれを完全体からの逸脱としてみるべき必然はどこにもないのだ.
言外の含みとしてバイアス,ヒューリスティックス,非合理性などの見方はより正しい方向に向かっているが,そもそもモジュラー的に考えた方が分かりやすいということだろうか.Nowakたちではないが,それらは天動説の周転円的だといいたいのかもしれない.