「Why everyone (else) is a hypocrite」 第9章 その1 

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind



第9章 道徳と矛盾


第9章は「道徳と矛盾:Morality and Contradictions 」と題されている.本章における「道徳」は,「自分の行動規範」ではなく「他人に対して何らかの規範を押しつける」ものを対象としている.
クツバンはまずかなりジョーク的な思考実験から始める.


もしアメリカで全てのセックスを禁止したら何が生じるか?


クツバンの考察
<メリット>

  • まず性感染症は激減する.法律破りだけが性病で罰される.
  • セックスのあとの喫煙もなくなり,喫煙による損害が減るだろう.
  • 中絶もゲイの権利も政治イッシューではなくなる.民主党共和党は仲良く協調できるようになり,カリフォルニアとミシシッピもうまくやれるようになる.
  • アメリカはもはや人口増加せず,世界の中で道徳的に優れた立場に立てる.
  • 移民問題も解決する(どのみち受け入れざるを得ない)
  • 睡眠時間が増え,生産効率も上がる.
  • カップルがセックスを巡って争うこともなくなり,心理学者は少し職を失うだろうが,もっと重要なこと(どちらがゴミ出しするか)に集中できる.


<デメリット>

  • 副作用はあるだろう.メキシコとカナダへの旅行は増え,アンダーグラウンドの性産業ができるだろう.潰れる店も出てくるだろう.しかしそれらはいずれ調整されるはずだ.


中絶を巡ってカリフォルニアとミシシッピがいがみ合わなくてもいいというのはなかなかシニカルだ.これさえなければ民主共和両党が国債のデフォルト問題で合意できるとも思えないが,普通のアメリカ人にとっては中絶が最大の政治イッシューということなのかもしれない.
なおデメリットに「セックスによる喜びや子作りの喜びが失われること」がないのはいささか衡平を欠いているようだが,ここでのクツバンの議論は何かを禁止するときのモジュールの働き方に関することのようなので,とりあえず先に進もう.


クツバンは「このようなメリットがあるのに何故セックスを禁止すべきでないと考えるのか」と問いかける.
クツバンによると,理由を聞かれた多くの人は以下の三段論法に従う.
1.一般道徳原則として,他人を傷つけないなら,人は好きなことをして良い.
2.同意の上での性行為は誰も傷つけない.
3.だから同意の上の性行為は許される.


するとこれは「好きなことを禁止するには理由が必要だが,禁止しないことについては特別の理由を聞く必用がない」ということになる.要するにこの説明は一般原則「自由」があるという構成になっている.


クツバンは,ヒトが他人に道徳規範を強制しようとするときにはこのような一般原則からの演繹的な思考はとらないのだと指摘する.これはハイトにより"moral dumbfoundings"として紹介された「同意があり,一回限りで,完全に秘密で,避妊をしている兄弟姉妹間の性交」の問題を考えると明らかだ.ヒトは(一般原則「自由」に合致している)その行為を,理由は説明できなくても非難する.


要するに道徳判断は,一般原則演繹モジュールではない別の計算過程を持つモジュールによっているのだ.そしてそのモジュールの計算過程は報道官モジュールに常に開示されているわけではない.だからヒトはある道徳判断に対して理由が説明できないことがある.そして説明できてもそれは報道官のでっち上げである可能性があるということになる.


ここまではハイトやハウザーなども指摘しているところだが,クツバンはさらに道徳判断のサブルーチンに当たるモジュールが複数あると考えているようだ.様々な道徳判断サブルーチンモジュールがあり,それらは互いに矛盾しているので道徳判断はまったく一貫しないというわけだ.


<誰を被害者と呼ぶのか>

ここからクツバンは道徳判断が報道官と別のモジュールによるものであることを示す実例を挙げていく.
最初にハイトの先ほどの"moral dumbfoundings"近親相姦例をあげ,ハウザーによる暴走列車リサーチを紹介する.その後自分自身の実験を紹介している.


これは被験者」が「悪」と判断しそうだが,被害者がはっきりしない説例を提示し,被験者に「悪」と答えさせた後,誰が被害者なのかと問う.被験者は誰かを指定するが,その後,その誰かがいないように説例を変える.被験者は「悪」という判断を変えずに,別の被害者を捜し出すそうだ.
様々なバージョンがあるそうだが,例えば「墓への冒涜行為」→「被害者は家族や友人」→「では無縁者の墓ならどうか」→「被害者は実は社会全体」などが紹介されている.


なかなか意地の悪い実験だが,報道官が後付けで理由をでっち上げていることがよくわかって面白い.被験者は結構面食らっただろう.