Inside Jokes 第2章 

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)


第2章 ユーモアは何のためにあるのか 


冒頭でこれまでのユーモアのリサーチは,何がユーモアを作るのか,つまりユーモアには何か本質があって,その本質を抽出しようというリサーチ,に集中していたと述べ,その究極因については無視されていたと指摘がある.
本書では究極因をまず考える,そうすればメカニズムについても理解しやすいだろうというのがハーレーたちのスタンスだ.


ではユーモアの究極因は何か.ハーレーたちはそれはなかなか難しいと述べる.そしてよくわからないというアーサー・ケストナーのコメントを引用している.

ユーモアや笑いには一見適応的価値があるようには見えない.せいぜいプレッシャーからのリリースぐらいしか思い浮かばない.
しかし進化史のどこかで、適者生存のユーモアのない熱力学的世界に、何かおかしな要素が忍び込んだに違いないのだ.


確かにユーモアの適応的価値は自明ではない.
ハーレーたちはまず適応的価値が自明でないものの例として.リンゴの皮むき器があげられている.リンゴを串刺しにして手回しハンドルで回転させ,もうひとつのハンドルで刃の高さを調整するというすごい機械だが,確かにリンゴがないと見ただけでは何のための道具だかわからないだろう.


そして適応的価値がわかりにくいとしてどんな説明が可能かを列挙している.


1.過去環境に対するなんらかの適応形質.過去の進化環境に適応したもので現在ではその利益がわかりにくくなっている.
その例としては甘いもの好みがあげられている.ジョーク好きも同じようなものかもしれないというわけだ


2.別の適応形質の副産物
この例としてはピンカーのチーズケーキ説における音楽好みをあげている.同じようにユーモアも何らかの適応形質への超刺激になっているのかもしれない.


3.ミーム
ユーモアはミームとしての適応価によっているのであって,ヒトへの適応価はないという考え方もある.
ハーレーたちはここで,性病の病原体は、性の喜びや性欲を増進させていてもおかしくない*1という例をあげている.



しかし適応的価値は私達が思いつかないだけで,実際にあるのかもしれない.ハーレーたちは次にそのような候補を挙げる.


<ユーモアの適応的価値の候補>


1.人気者となって社会キャピタルを得る
2.性淘汰形質として配偶相手への質のディスプレー


ここでハーレーたちは,グループの結束を高めるというグループ淘汰的な説明,あるいは緊張緩和や健康増進のためという説明はあり得ないとするミラーのコメントを紹介している.もしそうならどんなジョークにも馬鹿受けするようになるはずだというのだ.確かにその通りだ.


さらにハーレーたちはこのミラー的な考えの傍証をあげている.それは「ユーモアのセンスはフェイクしにくい」というものだ.これは何らかの正直な信号である可能性を示唆している.
さらにハーレーたちは(性淘汰)だけでなく,文化的な正直な信号になっている可能性も指摘し,以下のような例をあげている.

  • スカトロネタに反応して幼児性をバラしてしまう
  • 政治ジョークに反応してしまって,自分の(隠しておきたかった)党派性や人種的偏見を暴露してしまう.


ここまで読むとハーレーたちはミラー説に乗るのかと思ってしまう.しかし唐突に彼等は「私達は以下のように考える」と結論を提示している.(このつながりはちょっとよくわからない)

私達はユーモアのコアのメカニズムを同定できたと思う.

これは脳に対する計算的プロブレムに対する適応なのだ
私達はマセラッティのソフトウェアを走らせているシボレーのハードウェアを持っているようなものだ*2.この計算能力の限界がうまいトリックを生み出させたのだ.そしてそのトリックは既往の感情報酬メカニズムを利用している.

脳はリアルタイムで,次に何が起こるかなどのヒューリスティックサーチをし続けている.これは待ったなしなので,いちいちエラーを検証できず,エラーに寛容的にならざるを得ない.すると知識ベースにエラーが積み重なって汚染されてしまう.
これを避けるためにダブルチェックが必要になる.そしてこれを行うために報酬感情システムを利用したのだ.だからユーモアはおかしいのだ.


このハーレーたちの仮説は,ユーモアがおかしいのは現代でも重要な適応的機能のための報酬だからだということだ.そして極めて洗練されたジョークやコメディはそれに対する超刺激ということになるのだろう.
いずれにせよ第3章以降では,何故そう考えられるのかが順番に説かれることになる.

*1:なかなか面白い仮説だが,今のところ支持する証拠は無いようだと注記がある

*2:シボレーは日本ではスポーティなイメージもあるが,アメリカではGMのブランド階層の最底辺のブランドということらしい.日本車であえて言えば,GT-Rのソフトをマーチの脳で走らせているというところだろうか.