Inside Jokes 第3章 その2 

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)


第3章 ユーモアの現象学(承前) 


ユーモア現象のカタログは続く.


D おかしい!はっはっは,と,おかしい,ふーむ


ここの参照ジョー

  • シェフがおどけ者どうかはどうやればわかるか?彼の料理がおかしいかどうか見ればいい.
  • オックスフォードのレクチャーで,言語哲学者オースティンはこう主張した.「二重否定が肯定を表す言語はあるが,二重肯定が否定を表す言語はない」これを聞いた哲学者モーゲンベッサーはそっけなく一言「はい,はい」


ハーレーたちは,ユーモアの理解と問題解決は似ている.ジョークが理解できたときには問題解決の高揚感があるし,理解できないと混乱と欲求不満があると指摘したあと,funnyという言葉の二義について解説する.


funny
 (1)笑える,喜びをもたらす
 (2)通常でない,妙


ハーレーたちは,この二つの意味は偶然ではなく深くつながっているようだとし,ユニバーサルとまでは言えないが多くの言語でこの両義を持つ単語が存在すると指摘している.
彼等は正式のリサーチではないとしながら次のような言語について実例をあげて詳しく紹介している.:ラテンアメリカスペイン語ポルトガル語,フランス語,ドイツ語,ギリシア語,ハンガリー語ブルガリア語,日本語,韓国語.確かに日本語の「おかしい」は英語のfunnyとまさに同じ二義を持つ.(本書では日本語のフォントで「彼はおかしい人ですね」「彼の頭はおかしい」という例文が載せられている)
(なお持っていない言語としては以下をあげている:中国語,タイ語オランダ語,欧州のスペイン語チェコ語スペイン語が欧州と南米で違うというのは面白い)


ハーレーは以下のように書いてこの項を結んでいる.
「英語のfunnyにはどこかfunnyなところがあるのだ.」



E ユーモアは知識依存的


冒頭の参照ジョー


ユーモアは背景知識を共通に持っていないとわからない.ある人々にとっておかしい話は別の人には理解不能だ.ハーレーたちは実例でたたみかける.


まず最初は次のジョークだ.

  • 「What has two legs and bleeds?」「Half a dog」

ハーレーたちは,これはある人々にとっては爆笑もので,別の人にとっては面白くも何ともなく,さらに一部の人にとっては不快なものだと言い,これはジョークを聞いている時に感情から距離を置ける人たちにとってのみおかしいのだろうと説明している.
確かにカットされたイヌに対してどう反応するかという問題はあるだろうが,そもそもこのジョークは私にとっては何がおかしいのかよくわからない.女性と思わせておいてイヌの半分ということだろうが,それにしてもおかしいという感じではない.感情傾向の前におそらく私に何らかの背景知識がないのだろう.(わかる方がおられましたらお教えいただけると嬉しいです)


だじゃれ

  • 「鎌倉でカッコいい竹の箸を見つけてね」「買ったの」「いや,とってもタケーからやめた」(一部改変) ここも日本語フォントで原文と訳文が載せられている.当然ながら英文だけ読んでもわからない.


韓国のジョー

  • 「お母さんにぶたれるとわかっていて台所で塩水と真水を混ぜ返す子供がいるものか」*2


つまり背景知識が重要なのだ.これはある意味当然だが,ハーレーたちはさらに「しかしそれだけではない.背景知識がどの様に使われるかが決定的に重要なのだ.」と指摘する.そしてジョークを説明するともはやおかしくはないし,話す順序を間違えると台無しになることを説明する.これはなかなか微妙で面白いところをついているようだ.



順序を間違えて台無しにした例

  • 「ある男がホットドッグ屋の屋台で,『全部入りにしてくれ』,ってその男は仏教徒だったんだけどね」

これも最初は何のことかわからなかったが,台無しにしてしまった有名なジョークのオリジナルはこうなっているということのようだ.

  • A Buddhist goes to a hot dog vendor and the vendor asks him "Hey buddy what can I make ya?". "Make me one with everything" replies the Buddhist.

解説すると,これは "Make me one with everything" が「私に全部入りのホットドッグを作ってくれ」という意味にも「私を『個であって全なるもの』にしてくれ」(いかにも禅宗で言いそうなモットー)という意味にもとれるという英文法の両義性に依存した言葉遊びのジョークだ.*3確かに仏教徒という説明があとから来てもおかしくはないだろう.


またハーレーたちはいずれ背景知識が消えゆくだろうジョークも紹介している.これはなかなか傑作だ*4

  • ある男がニューファンドランドのカナダ人の友人を訪ねたところ,両耳に包帯を巻いている.「その耳どうしたんだい?」「シャツにアイロンをかけていたらちょうど電話が鳴っちゃってさ」「でも何で両耳なの」「だって救急車を呼ばなくちゃならなかったんだもの」

もはや携帯しか持たない若い人には既に意味がわからなくなりつつあるのだろうか.(ハーレーたちは,受話器がごつい電話機がなくなっているだけでなく,若い人はもはや誰かがアイロンをかけているところもあまり見なくなったと言っている.アメリカではそうらしい)


さらにインナーサークルだけにわかるもの

これは二進数表記がわかる人だけが笑える.*5



F 性差


ハーレーたちの指摘する最後のユーモア現象カタログは性差だ.これはミラーが言うような性淘汰が絡んでいるなら重要になる.
ここで報告されている性差は以下のようなものだ.

  • 男性の話し手の方がより笑われる.女性の聞き手の方がより笑う.
  • 子供の場合男の子の方が先にふざけ始める
  • ユーモアを評価しているときのfMRIの活性部位は女性の方が広い.


これは男性がユーモアを作り,女性がそれを評価するという傾向を物語っている.当然性淘汰の影響が背後にあることが強く推測される部分だ.なおハーレーたちはここでは性差の指摘にとどめて,のちに詳しく議論したいと言っている.


以上がユーモア現象カタログということになる.次は過去のユーモアにかかる理論を見ていく.

*1:これはAlexander the Great, Winnie the Poohという通称,ミドルネームとは何かなどがわかっていないとどこがおかしいのかわからない

*2:これは韓国の小学校の算数では塩水と真水を混ぜて濃度を聞く問題が多いことがわかっていないとわからない

*3:ハーレーたちはこのジョークはさらに新しいバージョンがあるのだとも注で紹介している.そのバージョンでは仏教徒はこの後20ドル札を出しておつりを要求するのだが,ハンバーガー屋に "Change comes from within" と煙に巻かれる.

*4:もっとも何故ニューファウンドランドなのかはよくわからないのだが

*5:なおハーレーたちはこのジョークは書かれたものとしてしか成り立たないという特殊性があるとも注記している.確かに「十種類」と読んでしまえば意味が通らなくなるし「いち-ぜろしゅるい」と言ってしまっては面白くない.